novel | ナノ



天変地異は不覚にも、酷く緩やかに訪れた。久しぶりに再会したジローは喫茶店でハーブティーを飲んでいて扉を開けて入ってきた俺を見つけると穏やかに笑って手を振ってきた。相変わらず緩やかな空気感で生きているな、と少し可笑しくなって俺もにっこりと笑い返した。

えらい疲れてるやん、とジローの前に腰を下ろしそう口にしようとして不意に俺は固まった。目の前のジローはそんな俺には一切気づかず店員にコーヒー、ブラックで、なんて俺の飲み物を勝手に注文している。そのジローの顔は確かに疲れていた。記憶よりも少し痩せているし顔色も青白く起きているくせに落ち着いている。しかしなにより、俺が口を閉ざしたのは彼の目の下にある黒ずみの存在に気づいたからだった。
いくら疲れていると言ってもあのジローが? 食欲、性欲を根こそぎもぎとり睡眠欲にほぼ全ての日常を費やしてきたあのジローが、まさか目の下に隈なんてそんなあり得ない。青学の手塚が鳳並みの爽やかな笑顔で油断してもいいんだよ!と声高らかに宣言するような衝撃だ。まさに天変地異、それほどまでにジローのライフスタイルの半分は睡眠で出来ていた。ジローが地球なら70パーセントは睡眠で出来ていると言っても過言ではない。
そんなジローが……隈!

「お前死ぬん?」
「は?縁起でもねぇこと言わないでくれる?」

やっと口を開けた俺はさぞ間抜けな顔をしているんだろう。眠そうに半分しか開いていない目はいつも通りなのにその目元にはこびる隈はどうしたって違和感がある。

「お前眠ってへんの?」
「うん」
「なんで?」
「別に」
「眠れへんの?」
「うん」
「お前に限って嘘やん」
「ほんと」
「あれちゃう?寝過ぎてもう一生分寝てしまったんとちゃう?」
「あー、かもねぇ」

あのね、

「眠ると、嫌な夢を見るんだ」

だから寝るのが怖いんだ。ジローはそう言って残りのハーブティーを喉奥に流し込んで、少しむせた。



不眠症ですね。そうに言われて睡眠薬をもらって一錠飲んでやめたらしい。そもそも眠りたくもないらしく、それこそジローらしくもないが、どうしても不快感で眠る事が酷く恐ろしいらしかった。
そのうえ、ジロー曰く睡眠薬を服用しても深い眠りにつけないそうだ。浅い眠りを繰り返し、寝覚めも夢見も悪い。ともくれば今まで快適な睡眠しか知らなかったジローが眠りたくなくなるのも頷ける。かも知れない、と俺は思った。

今思えば、ジローにとって睡眠とは呼吸と同義だった。まるで眠るために生きているみたいな、ジローにとって、いや、俺にとってのジローの睡眠とはまさしくそんなイメージだった。


「不眠症になるほど嫌な夢なん?」
「嫌だね。嫌すぎる。起きたあとの自分への吐き気がやばいの」
「なんやそれ」
「自己嫌悪に陥るんだよ。マジ忍足死ね」
「うわ、八つ当たりにもほどがあるやろ……」

眉間に皺を寄せながら気だるげにそう毒を吐いたジローは八つ当たりじゃねぇよ、と恨めしそうに俺を睨みつけた。

「しきりにセックスする夢を見るんだ」
「ぶっ!!」
「しかも必ず決まったやつと」
「おっ、お前、むしろいい夢やん!なんやねんそれ心配して損したわ!」

ただの欲求不満やろ!と白昼堂々全く予想していなかった単語に盛大に吹き出したコーヒーをナフキンで拭き取りながら抗議する。ジローは変わらず不機嫌そうな面持ちで言葉を続けた。

「毎回おんなじやつだよ?好きでも嫌いでもないやつ。夢見マジ悪くて、起きたあとそんな夢を見る自分に吐き気がすんだよね」
「好きでも嫌いでもないって……毎回そんな夢見てんねんやったら確実にそいつの事好きやろ。どんだけ鈍感やねん」
「そう思えば思うほど気持ち悪いんだってば」

毎回タダで擬似セックス出来て気持ち悪いってなんやねん!贅沢言うな!と我ながらゲスい檄を飛ばす。

「わざわざ呼び出されてなんの話かと思えば。お前はそいつの事好きやねん。好きなやつの事気持ち悪いとか言うな」
「……やっぱ、そうなのかなぁ。うわぁ」
「どんだけ自分の気持ちにドン引いてんねん。相手が可哀想やろ」
「だってさぁ……」

心底嫌そうな顔を浮かべて、でもどこか納得したような、諦めたような表情でジローはまっすぐに俺の目を見据えた。そしてその唇が紡いだ名前。

「そいつって、忍足の事なんだけど。」

俺は多分この時以上にコーヒーを吹き出した事はない。

「ぶっほぁあ!!いったああ!鼻からコーヒー出た!!」
「てぃらり〜鼻からコ〜ヒ〜」
「やかましいわ!」

天変地異は不覚にも、酷く緩やかに訪れた。……なんて、そんなのとんだ勘違いだったわ!



それは隕石のごとく


「自分の言った事に責任は持てよ、忍足」
「え、なに、それって付き合えって事なん?」
「ちなみに俺が上だった」
「あかん、こんな心底嬉しくない告白初めてや死にたい」

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