novel | ナノ



跡部を孤高のライオンとするならば、という仮定の話をしようか。

跡部の世界には上にいる人間と、下にいる人間と自分とでしか構成されていなかった。実力とかそういった類いのものではなく、ただ本能的に人を下に見たし上にも見た。はっきりと言えば蔑んでいたのだ。実際に跡部は誰よりも優れていたし周りの大人達も必要以上に媚びる人間が多かったのでそれがある種の原因かも知れない。しかしそこで出会ったのがジローだった。

「脳が左と右に分かれている理由はどちらも違う役割を担っているからだって兄ちゃんが言ってた。目がふたつあるのだってきっとそれと一緒に違いない。手も足も耳だってそうさ。例えば右手はお父さんの手を握る役割を持っていて左手はお母さんの手を握る役割を担っているのかも知れない。心臓がふたつもないのはきっと不完全さを表現しているんだと思う。間違ってでもひとりで生きていかないように、例えば俺と跡部がきつく抱き合って初めて左右に心臓が重なるように、そうやって人間は完成していくんだ。イギリスの料理が不味い事と同じぐらい確実に人間っていうのは一人じゃ生きていけないものなんだよ」

そんなジローと出会ったのは跡部にとってこれ以上ないほどの衝撃だった。それほどまでに芥川慈郎という人間は頭のネジがぶっ飛んでいてやる事なす事が(跡部とは違う種類での)規格外だったのだ。跡部の稚拙過ぎる秤では到底測りきれない人物だった。

「そもそもなんでイギリスの料理って不味いの?俺そんな食った事ねぇから良く分かんねぇけど、でもローストビーフは美味いよね。俺結構好き」
「……いつの時代の話だよ。まぁ、不味かったのは認めるが」
「ほら、じゃあやっぱり確実だ」
「……なにがだよ」
「さっきの話」
「……離せ、裾が伸びる」
「嫌だね」

がっしりと制服の裾を掴まれてぶらんぶらんと揺らされる跡部の顔には疲労と嫌気が見てとれた。さらにぐいぐいと引っ張られて、まるでオモチャをねだる子供のようだと思う。
ジローと仲の良い岳人にしてみればその行為に悪意はないらしいのだがいかんせんジローはクリーニング屋の息子なので服の扱いに躊躇いがない。汚しても次の日には綺麗になっているものだと勝手に勘違いしている。それほどまでにこいつは常識や配慮が欠落しているのだと嫌そうな顔で教えてくれた。跡部はくそったれと内心毒吐いて変なやつに気に入られてしまったと頭を抱えている。そうやって思い返している今も裾をぐいぐいと引っ張られているし、この前なんて草の中に座らされ膝の上で勝手に寝られ挙げ句の果てにヨダレを垂らされた。
いい加減やめろ、と呆れた目線でそう言うと、跡部はたちまち後悔する羽目になりコイツいっそ殺してやろうかと殺意さえ芽生える。

「ぎゅう〜」

とかなんとか言いながら思いっきり抱き着いてきたジローはそのままの勢いに乗って無防備だった跡部の唇に自分のそれを押しつけた。むに、という効果音が似合うであろう口づけに跡部の怒りの沸点はとうに超えている。

「殺すぞてめぇ!」
「あ、人を殺して大罪を犯す人間は大概愛が欠如してるって兄ちゃんが言ってた。そうやって不完全なひとつの心臓を埋めようと躍起になるんだって。愛で心臓を、心を共有する事に欠けているからって」
「なにが言いたい」
「跡部がそうだっていうんなら俺が抱き締めて埋めてあげる。ほら、ぎゅうって」
「それが殺してやりたいって言っ・て・ん・だ!離せ!」

お前の兄貴は詩人かなにかか。兄弟揃ってそのはた迷惑な脳みそをどっか取り換えてきた方が良い。そんなどうでも良い事を考えながらジローを引き剥がそうとする跡部はジローの執拗さを甘く見過ぎていた。元来ジローは跡部の秤では到底測りきれない人物であるのだからそれは自然の成り行きとも言える。にへらと笑ったジローに少なくとも跡部はうすら寒さを感じた。

「つれない事ばっかり」
「お前がそんなだからだ」
「俺跡部の全部が好きだよ。かっこいい笑い方もちょっとアレな笑い方も人を馬鹿にしたような笑い方もみんな好き。でも俺にはどれもしてくんないの」
「今一度言う。お前がそんなだからだ」
「跡部って良く人の事下に見るよね。でも気づいてる?俺にはそんな目向けた事ないよ」
「な、」
「かと言って敬うような目も向けないけど。でもそれってさ、つまり」

ジローは跡部から体を離すと目を細めていやらしく笑った。普段のジローからは考えられないようないやらしい表情で、にんまりと笑う。お日さまのような笑顔だと女子から誉められていたジローにしてみればそれはまさしく夜の顔だろう。

「俺の事、少しはマシに思ってんだよね」

跡部はこの時、拙いながらもその秤でなんとか答えを導き出した。つまりこいつは上でも下でもなく少なくとも同等の人間なのだと本能的にそう悟ったのである。
テニスの上手い下手でもない、才能の善し悪しでもない、ただ純粋な立場。それが分かった途端跡部は全身の力が抜けるような感覚にとらわれた。こんなにも簡単な事が跡部にとっては鈍器で殴られたような衝撃に近かったのだ。地位とか実力とか知能とかそういったものの干渉がない関係など跡部にしてみれば初めての事だった。そうに理解した途端痛かった頭がずっとずっと楽になった。気がした。(あくまで気がした、だ)

「……」
「跡部?」
「……目が回る」
「なんで?」
「疲れた」
「あはは、変なの」

跡部を孤高のライオンとするならばジローはたんぽぽとでもしようか。いつもの彼らしいニパッとした笑顔に跡部は諦めたように苦笑する。かと言って苦手意識は抜けないがライオンがたんぽぽを同等の存在なのだと認めたそれだけで案外ロマンチックだと跡部はそれで良しとした。

「分かった。お前を認めよう。ただし半径三メートルは近づくな」

ともかく貞操が危ない。


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