~2010 | ナノ




 自分の携帯電話と睨めっこを始めて一体どれくらいの時間が経っただろう。時計をチラリと横目で見やると既に小一時間は経過していて俺は重いため息を吐いた。
 ああ早く勇気を出さなければあちらは夜になってしまう。
 ディスプレイには跡部景吾の名前と共に彼へと繋がる番号がただただ静かに表示されていた。


 中等部を卒業して、跡部がイギリスへ留学してしまってからもマメに連絡は取っていた。ほとんどが俺からで、何度母ちゃんに電話代で叱られたか数える気にもならない。

「お前は案外、臆病だったんだな」
「なに、宍戸、急に」

 しかし連絡を絶ったのも俺の方だった。
 いくら強い跡部だからって、負けない事なんてない(らしい。俺は信じてない)決まってそういう時の跡部はどこか満足そうにしながらも疲れた声をしてるから俺は俺なりに頑張って励まそうとか思うんだけど、決まって言葉に詰まってしまうのだ。元気に励ますのが俺の役目だっていうのに、なにか声を掛ければ掛けるほど声だけでしか跡部の役に立てない今の状況に虚しさともどかしさが俺をぐるぐると支配し始めて、どうしようもない無力さに絶望してしまう。挙げ句の果てには励ます筈の俺が励まされる始末で、結局のところ俺は跡部に「頑張れ」というありきたりな、無責任な、投げやりとも取れる陳腐な一言しか投げ掛けてやれないのだ。

「お前逃げてるだろ」
「否定はしないけど」
「今やってる大会、跡部の試合チェックしてるか?」
「最近は、あんまし」

 今までもさして立派に生きてきた訳じゃないけど、こんなにも自分を情けないと思った事はなかった。今すぐにでも跡部の傍へ行って触って声を聞いて顔を見て抱き着いてしまいたい。というように跡部を励まそう、よりも先に自分の安堵を考えてしまうあたりやはり俺はダメなやつだと思う。怒りさえ沸いてくる。

「一応勝ってはいるけどな、調子はどうも良くないらしい」
「……は」
「誉められた試合じゃねぇって事だよ」
「……」
「喝入れてやろうと電話しようかと思ったが、やめた」
「……なんで?」
「激ダサだな、お前」

 宍戸は俺にそう言うと席を立って俺の部屋から出ていってしまった。取り残された俺は途端に跡部の事しか考えられなくなる。
 試合にはなんとか勝っているけど不調?スランプ?このままじゃ危ない?ぐるぐると思考展開する俺はとてつもない不安に襲われてひとりポツンと身震いをした。
 宍戸に言った通り最近はあまり跡部の試合はチェックしていなかったが(いわゆる逃避だ)、今行われている大会は承知している。まだ俺と跡部が連絡を取り合っていた頃から跡部がなにかと口にしていた世界的な大会である。この大会が跡部にとっていかに大事か、俺は跡部本人から聞いていた。少なくとも2年はこの大会のために費やすのだと確かに跡部は言ったんだ。
 どくどくと不安が押し寄せる。俺は乱暴に携帯電話(国外対応である)を取り出してアドレス帳から跡部の名前を探し出したが通話ボタンを押す直前で今度は別の不安に襲われた。
 俺が電話して、なんになんだろう。
 そうに思うと通話ボタンに宛がわれた親指が硬直してしまって、かと思えば小刻みに震え始める。

(留学する前はこんな事なかったのになんでこうなったんだろう。全部俺の問題なのになにか別のせいにしようとしてる俺はダメ人間以外の何者でもない。今どうにかして跡部に電話を掛けないと俺はずっとこれからもダメな気がする。なんとかしないと今度はこの震える指を原因に仕立てて逃げてしまいそうだ。それじゃダメだ。絶対にダメだ。そう思うのに指は一向に動かないし、なにより、俺は跡部にどう声を掛ければ良いのか全く分からないでいた)

 まず謝ろう。そうだ、まずは連絡を絶った事を開口一番に謝ろう。その後の事は考えずとにかく謝るために電話をするんだという事に自分のなかでしておこう。そう無理矢理勝手付けて俺はとうとう通話ボタンを押した。このボタンを押すのに有した時間はざっと一時間半である。プルル、プルルという妙に焦る呼び出し音が途切れると俺の肩は少しだけびくついてしまった。

「もしもし」

 しかし、跡部の声が耳にじんわりと届くと身体中の筋肉が弛緩したみたいにドッと力が抜ける。それと同時に耐えがたいなにかが骨の髄まで駆け巡り意思とは関係なしに目からどぱぁっと洪水みたいな涙がそれはそれはとめどなく溢れ出た。
(跡部だ、跡部だ、跡部だ!)
 その瞬間、俺はパニックに陥ったんだ。

「が、頑張れ!跡部頑張れ。頑張れ、頑張れ、頑張れ!がんばっ……れ!跡部、ごめ……跡部、頑張れ……!」

 気付いた時には俺はただひたすらに跡部に頑張れと、嗚咽に溺れそうになりながらそう唱え続けていたのである。

「跡部……!頑張れ……!」



 頑張れ、だなんて無責任な言葉を良く作ったものだと思う。それでも俺の陳腐な脳みそでは頑張れの文字以外一向に浮かんでは来なくて真っ暗になってしまった自分の部屋で俺は必死に頑張れを繰り返しながら耳に跡部の声を聞いていた。

(頑張れという言葉はあまり好きではない。あからさまに第三者というか他人行儀な感覚を覚えるからだ。しかし悔しい事に、投げやりかつ時に無責任に聞こえるその言葉の代理となる言葉を俺は知らずに生きてきてしまった。悔しさともどかしさと情けなさと愛おしさで頭のなかは顔と同じくらいぐちゃぐちゃだ)

 しかし、応援というよりもそのすがるような「頑張れ」にそれでも跡部は微笑んで、

「お前のそれが一番聞きたかった」

 と優しく、本当に優しく電話越しに笑ってみせた。
 今までの色々を帳消しにしただけでは事足りず、俺の陳腐の結晶である「頑張れ」を一番望んでいたのだと、跡部は確かに言ったんだ。
 その言葉に俺は更に嗚咽が止まらなくなってしまって、結局また跡部に励まされてしまったと自分の情けなさを心のなかで叱責した。

「跡部、ごめん、マジで大好き」

 ああ俺はいつだって跡部に助けられてばかり!


ダリアダリアダリア
 不安定になって勝手に跡部を遠ざけて大事なものを自ら失くそうとしていた俺は救いようのないダメ人間だけどそれでも跡部は見捨てず救ってくれるから俺は跡部が大切で仕方がない。好きとか嫌い以前に俺は跡部に依存している。


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