頬に痛みを感じた頃には既に俺は殴られた後だった。それがあまりに不意打ち過ぎてしばらくの間俺は状況がうまく飲み込めなかった。
「お前、ホンマ死なす…!」
頬を押さえて視線をユウジ先輩に向ければ彼は涙目でワナワナと震えている。しかしその目付きには俺を殺してやるという憎悪と怒りが見てとれた。鋭い眼孔でギッと睨むユウジ先輩は怒りを持て余し拳を強く握っている。
「俺を馬鹿にすんのはええ、実際キモいやろうし俺もそこはなんとなく自覚してる」
けどな、とユウジ先輩は続けて言葉をつむいでいく。
「小春を馬鹿にするやつは、死んででも許せへん…!」
その唇が震えているのに、俺は酷く憤怒した。
「…うざいっすわ」
「ぁあ?」
「なんなんその表情その言葉その震え」
「ざいぜ…」
「俺の欲しいもん全部やん。それをあのキモい先輩のためにしよるとかクソむかつく。そん顔は俺を思ってしとったらええねん」
「なに勝手な事をベラベラと!小春を…」
「ああもう小春小春うっさいな!少しでも名前を出すとすぐにそっちに食いついて俺の言葉の意味なんてまるでガン無視や。ホンマうざい。小春先輩なんて」
「財前!」
分かってる。これは言ったらあかん事ぐらい俺でも十分に分かってる。それでも俺にこの言葉を言わせたんは、紛れもなくアンタなんや、ユウジ先輩。
「小春先輩なんて、死んでしまえばええんすわ」
そう言った瞬間ユウジ先輩は予想を裏切らず間伐入れずに拳を奮ってきた。それをギリギリのところでかわしてから俺は空振ったユウジ先輩の手首を手早く捕らえて力任せに床へと押し倒す。
その際凄い痛そうな音が鳴ったけれどユウジ先輩は背中の痛みなんかには目も繰れずなお俺に殴りかかろうと力の限り俺を睨みつけていた。視線を俺からなんびとたりとも外さないその顔はまさに怒り心頭だ。少しでも組み敷く力を緩めると今にも噛み付かれてしまいそう。
「お前!その台詞二回目やぞ!分かってんのかゴルァ!」
「なんなら何回でも言ったりますけど?」
「やめろ!」
「小春先輩なんか消えてしまえば良いんです」
「やめろ!」
「小春先輩なんか死んでしまえば良いんです」
「やめろやめろやめろ!」
俺は強く抵抗するユウジ先輩の耳元にご丁寧に己の唇を運んでは言った。
「小春先輩は」
静かに、かつはっきりと言ってやるのだ。
「どうせユウジ先輩なんか好きとちゃいますよ」
そうしたらユウジ先輩はとうとう嗚咽を漏らして、もともと涙目だった切れ長の目からぼろぼろと涙を垂れ流し始めた。悔しそうな悲しそうな涙だった。
ユウジ先輩は小春先輩との絆を徹底的に引き裂かれそうになると途端に脆くなるのだがそれは多分ユウジ先輩自身が常に不安を感じているからなんだろう。この涙の原因は悔しさだけでなく怒りが許容範囲を超えたからかも知れないが結局睫毛を濡らし続ける事に変わりはなかった。
ユウジ先輩は言う。自身の嗚咽に溺死しそうになりながら、完全に負の表情で。
「っ、財前な、か嫌いや…お前こそ死んでまえ…!」
「無関心よりよっぽどマシっすわ、ユウジ先輩が死ぬまで俺は絶対に死にませんからもう諦めたったらどうですか」
「それはこっちの台詞や!」
「言っときますけど、アンタを落とすのに遠慮なんてしませんよ、俺は」
「…っ」
「やから、早く諦めてください」
「いや、やぁ!」
「ダメです。ええですか?もっかい言いますよ。ユウジ先輩。俺の好意を無下に出来ない事を、早く認めて諦めてください」
(そう。出来るだけ早く)
そう言った時の俺のほっぺたが痛みと熱さでジンジンしていてなんだか酷く疎ましく思えた。
終
華奢な腕が手折れる前に