「雨、止まないね」
「ああ、止まないな」
「帰れないね」
「車呼べば帰れるだろ」
授業が終わってから、途端に降ってきた雨を見ながらジローはただただ項垂れた。部活はないにしろこうも雨では気もだれる。雨は頭が痛くなるから嫌いだった。
「でも晴れてるからすぐ止むよね。少し待ってようよ」
「何でだよ」
「俺雨は好きじゃないけどさ、雨上がりは結構好きなんだよね」
湿り気を帯びた空気は土の匂いを拾ってきては俺の鼻を擽る。結局足場が悪いのは変わりはしないのに相変わらずジローは可笑しな事を言うなと思った。昇降口に腰を下ろして妙に暗いその空間で二人並んで晴れを待つ。なかなか奇妙な体験である。
「残ってんのって俺らぐらい?」
「さあな、まぁ大概は降り出した頃に急いで帰ってんだろ」
改まってこうジローと会話をすると意外と俺は他愛のない会話が出来る人間だったんだなと関心した。俺は自ら進んで他愛のない会話を始める方ではないし中身のない会話はむしろ好まない。そうするとジローとの会話は俺にとっては意味のあるものだという事なのかも知れなかった。
部活もないし生徒会の仕事もないとあって珍しく余裕のある放課後だったから少し寄り道でもしてやろうと思っていたのに、俺と雨は昔からウマが合わない。
「……お前が言い出したんだから、寝るなよ」
「え、う、と、頑張る」
妙に静かになったジローに釘を刺すと案の定ジローは既にウトウトと船を漕いでいて、変に静かな昇降口と雨の音っていうのはどうやら心地が好いらしい。跡部が横にいるからだよ、とジローは言った。
「跡部はさ、案外何も考えてないよね」
「お前に言われたくはねぇな」
「“考える”の次元が違うんだよ、跡部と俺は」
例えば跡部は、明日の予定とか仕事の内容だとか家に帰ってからの予定だとかを思案する事を考えるって言うでしょ。でも俺は現実的な事から逃避して今日の晩御飯何かなぁとか明日はこんな夢が見たいなぁとか俺に子供が出来たらどんな子なんだろうとかを思案する事を考えるって言うんだよ。まぁつまり跡部ってメルヘン思考がないよねって事。
「そんなもん考えて何か意味あんのか?」
要するにジローが言うのは理想を描くという事だ。妄想とも言うが考えたところでそんなものは身にならない。ならば明日の予定なり仕事の内容なりを考えていた方がよっぽど身になるし何より地に足がついている。
「あるっしょ!だって、明日は晴れかなとか考えて晴れだったらテニスがいっぱい出来るなとか思うとそれだけで楽しくなるじゃん」
「そんなもん天気予報見ればすぐに分かるし天気予報を見て明日は室外練習か否かの組み立てを考えるんだろうが」
ジローと俺の思考や価値観は前々から相それないと分かってはいたが、こうも合わないのにも関わらず良く一緒にいられるものだなぁとそんな事を思った。恐らくお互いにお互いを否定する気がないからだろう。
「跡部って夢がないよねぇ」
「昔からだ、気にするな。つーか、どういう事を夢がないって言うのかが俺には良く分からない」
そう素直に口にするとジローは目をパチクリとさせて瞬きを数回繰り返した。何がそんなに不思議なのかも、俺には全く分からない。
「要するに無駄な事を考えて楽しむって事だよ。理屈っぽくない感じ?」
「非現実って事か?」
「そうとも言えるけど、うーん、違うなぁ」
しばらくそんな問答を繰り返していると不意に暗かった昇降口にふと明かりが射した気がして二人して外を見やれば雨は小雨へとなり変わっている。騒々しい雨の音は柔らかいものに変化し雲が裂け太陽が見え始めた空は雨を完全に降り止ませようと心掛けていた。
ジローがすっくと立ち上がるのを横目で眺めて、話はまだ途中だったが俺もそれに従い立ち上がる。昇降口を出て地面へと踏み入れるとやはりベチャリと土色のしぶきが上がり俺は眉間に皺を寄せた。
「跡部違うよ!雨上がりにはほら、上を見るんだよ」
靴が汚れる、と不快な足場を凝視していると前方からジローのそんな明るい声が耳に入り俺はそちらへと目を向ける。途端、視界いっぱいに虹色が流れ込んできて俺はジローの言う全てをその時やっと理解したのだった。
「虹が見れる雨上がりの空は格別でしょ?」
「ああ、確かにこれは、夢があるな」
(俺はただひたすらに足元ばかりを見ていたのに対しこいつはただひたすらに空を見ていたのだ。そうに思うと途端に自分が小さい人間のように思えて雨を一層嫌いになったが虹に免じて俺は雨を許そうと思う)
終