I like you.
彼は泣いた。幸せ過ぎて泣いた。苦痛を伴った、これ以上ない程の幸せの涙である。
「卒業、ですね」
切なげに眉を寄せ聞こえるか聞こえないかの僅かな音量でそう呟いた長太郎に、荷物のまとめ作業を行なっていた宍戸は一時作業をやめそちらへと振り返る。今にでも泣き出してしまいそうなぐらい眉根をこれでもかと下げた長太郎を確認して宍戸はごく幸せそうに苦笑した。
「そんな一生の別れみたいな顔すんなよ」
「でも、もう」
「同じ氷帝だろ」
「はい」
「たった一年だろ」
「はい」
「休日だって今までと同じで、お前とテニスをしに外に出るし無茶苦茶な特訓にだって俺はお前を付き合わせる」
「……はい」
「そんなに変わるところなんて、むしろねぇよ」
「でも」
例えそうであったとしても、卒業はまごう事なき変化なんです。と長太郎は言った。たった今全てを片付けてすっからかんになったその宍戸さんのロッカーは、俺の心に物悲しさを生ませるんです。あなたは当たり前だと言うでしょう?あなたからしたらもうそのロッカーはあなたのロッカーじゃないからです。でもまだこの部室を一年使う俺からしたら“あなたの使っていたロッカー”という事実はずっと俺を翻弄するんです。
「長太郎」
自分の名を呼び、こちらをジッと見据えてくる宍戸を眺めて長太郎はこう思った。
まるで、依存症のようだと。
まっすぐに見据えてくるその瞳と、力強い言葉と、心強い背中と、まばゆい程の笑顔に。まるで依存しているかのようだ。自分が。
宍戸は長太郎の名を呼ぶと静かに長太郎へと歩み寄った。二人以外誰もいないテニス部の部室は部活のない放課後なだけあって酷く静かで、三年達の荷物が宍戸のもの以外全て片付けられ酷く殺伐としている。
「宍戸さん、俺は」
「長太郎、どうしようもない事だ」
「分かってます。頭では」
「長太郎」
長太郎の前で歩みを止めた宍戸はおもむろに両手を伸ばすと長太郎の少し冷たい頬をやんわりと包み込むように優しく触れた。そのあまりの優しさは愛情に満ち溢れた母の手のようで、めちゃくちゃに泣き喚いてしまいたくなる衝動に駆られる程、優しい温度をしていた。
「長太郎、好きだ」
「宍戸さん」
「好きだよお前が。どうしようもないぐらい、全てが愛しい」
今まで見た事もないとても穏やかな、愛情に満ち溢れた落ち着いた笑顔でそう口にした宍戸に長太郎はとうとう大粒の涙を目からポロリと落としてしまう。頬を伝いながら、あるいは地面にへと落下しながら、涙は次から次へと溢れ長太郎の視界を滲ませていった。
「泣くなよ」
とまた幸せそうに苦笑した宍戸に長太郎はとうとう声を出し嗚咽を洩らして本格的な涙へとその滴を変えていく。
ああ、好きなんです。あなたがとっても好きなんです。この穴埋めの出来ない生誕の時差がとても歯痒く憎らしく、あなたとの距離を感じてしまうのです。
「試合は必ず見に行きます」
「俺もだ」
「高等部でも宍戸さんと組めるよう、レギュラーになれるように今からでも必死になります」
「ああ、俺もだ」
「一日に50件はメールします」
「それは……うざいな」
そう言ってまた苦笑した宍戸は背伸びをすると涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔にお構いなしにキスをした。
I like you. There is no lie.
Itcomes to be painful though it is not a lie and to want to die.
It comes to want to be dear of you and to die.
(あなたが好きだ。嘘はない。
嘘ではないのに、苦しくて死んでしまいたくなる。
あなたが愛しくて、死んでしまいたくなる。)
長太郎は苦しさと心地よさがないまぜになった心でこう思う。
まるでこの世の始まりのようだ、と。
終
題:flickers.