「どわっしゃあい!」
ガラガラガッシャーンというけたたましい音と妙に男らしい叫び声が家庭科室に木霊した。初等部の時の卒業文集で料理が出来なさそうランキング一位を見事に獲得した宍戸がえらい勢いでボウルをひっくり返したのだ。今回の調理実習の要とも言えるボウルの中のドロドロとした生地のなり損ないは綺麗に床と仲良しこよししていて宍戸の豪快な失敗振りに皆言葉を失いただただ呆然と立ち尽くす。
しばらくしてようやく第一声を発したのは宍戸と同じ班として皿を用意していた岳人だった。
「宍戸お前こらぁ!」
ちなみに岳人は同ランキングの二位にランクインしている。
「わ、悪い」
「悪いで済んだら警察要らねぇんだよ!クソクソ、俺がどんだけ今日という日を心待ちにしていた事か!」
「だから悪かったって……」
さすがに大切な要となる材料を台無しにしてしまったとあって宍戸はいつになく申し訳なさそうにしていて、ここは俺の出番だな!と俺は眠け眼を必死に擦りながらすっくと立ち上がった。俺は将来良い専業主夫になりそうな男ランキング一位である。(器用さが買われたらしい)
「まあまあ、溢しちゃったものは仕方ないじゃん」
「ジロー……」
「材料残ってるからまた一から作り直せば問題ないし」
「一から作り直すって言ったってもう時間ないだろ。そろそろ次の行程いかないと間に合わねぇよ」
「少しぐらい完成が遅くなったって平気っしょ。昼休みがあるんだし。俺も手伝うからさ」
「お前別の班だろ?良いのかよそっちは」
「やる事なくて寝てたぐらいだから余裕!」
「威張んな!」
「あはは、サンキュー、ジロー」
何とかこの場を和やかに出来た俺は心の中で密やかにガッツポーズをして宍戸と共に落としたボウルと生地の後始末をし始めた。岳人も少しばかりぶう垂れてはいるものの新しいボウルを用意して生地を作り直し始める。
岳人は料理は出来ないながらも調理実習を毎度の事楽しみにしていて、それを分かっている宍戸だからこそ、眉根をこれでもかと下げて小さく小さく息を吐いた。その様子に俺はチラリと岳人を盗み見てから小声で宍戸に話し掛ける。
「大丈夫だって。岳人はすぐに許してくれるよ」
「……いや、まあ。それは長く付き合って来たからあまり心配はしてねぇよ」
「じゃあ、何」
「とりあえず台無しにしちまった申し訳なさと失敗しちまった自分への情けなさで、自己嫌悪と反省」
「あらまぁ」
自分に厳しい宍戸らしいっちゃ宍戸らしい発言だった。砂糖以上に自分に甘々な俺とはえらい違い。俺が最後に反省したのっていつだっけかな。
「……なんかさぁ、世の中どうかしてるよね」
「は?」
「宍戸とか跡部みたいにちゃんと反省してちゃんと考えて一生懸命努力して生きてる人って多分悩みが絶えないじゃん?苦労いっぱいしてるのになかなか悩みの消えない人生を生きていて苦悩してんのにさ、俺みたいな何も考えてないアンポンタンの方が楽で楽しい人生を生きている訳だよ。無駄に恵まれてるから。
それって変じゃない?努力している人がそうあるべきだと思うんだよね。
そう思ったら何か俺自分がすげぇ嫌な奴に思えちゃった」
「…………」
「……でもさ、そう思うんだけどさ、宍戸みたいに生きている人達は皆が皆それを否定するんだ。そういう意味でも世の中どうかしてるよ」
「どうした、急に」
「んー、なんだろ。ただ……」
達成感というのは楽を捨ててまで手に入れたいと懇願する程に美味なものなのかと少し疑問に思っただけ。
「あー、腹減ったなぁ」
「……何なんだよ。じゃあ急ピッチでこれ片すぞ」
「人生に空腹だよ俺」
「ジロー、頭打ったか?」
いつか俺もそんなご馳走を食べられる日が来ますように。努力が出来る大人になれますように。そんな事まで神頼みしちゃうようなものぐさな俺じゃ到底無理な話なのかなぁ。と、そんな事を一人せっせと考えながら俺は床に散らばる生地のなり損ないをただただ黙って凝視していた。
終