全く酷いものだ。忙しいのは重々分かっているしそのおかげで大変疲れているのも重々理解している。しかしだからと言って祝いの言葉も述べずに寝てしまうだなんて全く酷いなあと俺は笑みを浮かべながら机に突っ伏してしまっている跡部の長い睫毛にふぅっと息を吹き掛けた。
年に一度の記念日をさしおいて夢の中だなんて俺じゃあるまいし、珍しいと言えば珍しいのだけれど時刻は既に0時を回ってしまっている。先程まで寝ていた俺も跡部に文句は言えないけれどちょっと残念な思いだった。
昨日は俺の誕生日で、けれど外せない用があった跡部は午前中不在。岳人達と騒いでいた最中やっと連絡が来た時既に時刻は午後の三時を過ぎていた。
そういえば、欲しい物を聞かれていたんだった。パッと思い付かなくて悩んでいたらついウトウトと。と、俺は自分が寝てしまった前の行動をぼんやりと思い出して、とりあえずおめでとうという言葉が今は欲しいなと目の前の跡部を見下ろす。跡部から連絡を貰った後長い時間付き合ってくれた岳人達にお礼を述べて跡部の部屋で二人で過ごした。何だかんだとのんびり過ごしているうちに時間が過ぎて今の状況。おめでとうとは言われていない。言われないまま日を跨いでしまった。
全くもって残念で仕方がない。
けれど疲れている跡部を今無理に起こす程我が侭ではないつもりなので起こしてしまう訳にもいかずとりあえず俺はサイドテーブルにある小さなランプに手を伸ばしあかりを付けた。暗かった部屋に落ち着いた色の光が灯って目を細める。寝起きの重い腰を上げてでかい窓のカーテンも閉めた。あ、なんか俺偉いと思いブランケットを寝ている跡部の体にそっと掛けてあげる。そこで何かが跡部の頭の下敷きになっている事に気が付いた。
どうにか覗き込めばそれは何やら大切っぽい資料の束で、近くにはペンが放りながっている。まだ何やら溜め込んでいたんだな、と瞬時に察して相変わらずの責任感と仕事好きに思わず感銘のため息を溢し、それなのにも関わらず自分との時間を作ってくれた事に愛しさが沸々と湧いて出た。どうやら自分が寝てしまった間に片付けようと思っていたようだ。
ますます咎める事が出来なくなった相手の顔にそっと顔を寄せる。疲れていても寝顔は綺麗なままだ。
さて、どうしようか。と愛しさと共に湧いて出たテンションに今後の事を考える。起こすのはやはり心許ないのでしないにするにしろ、自分はどうしよう。帰るという手もあるにはあるが如何せん今は真夜中だし家の鍵が開いている可能性は限りなく低い。やはりこの高まった気分を持て余しながらもまたここで眠りにつかせてもらうのが一番妥当なのだろうか。
俺はうーんと小さく唸りながら何となしに跡部の転がっていたペンを手に取った。そのペンは常日頃学校でも良く使われているもので、ご丁寧に学年、組、跡部景吾というフルネームが綺麗な字で書き込まれていてその余りの律義さについ笑い声が漏れる。
そこでピンと、閃いた。
欲しい物を聞かれた際に跡部は「何でもくれてやる」、そう言った。ならばと俺は不適にニッと笑って立ち上がり跡部の勉強机にあるペン立てからマジックペンを一つひったくる。
蓋を抜くとキュポンッという軽快な音がなった。
何でもくれてやると言ったのは跡部なのだから文句は言わせない。その日のうちにおめでとうを言ってもらえなかった跡部へのちょっとの鬱憤もこれに乗せてしまおう。自分の物には名前を書くという律義な跡部を見習って、無防備にさらけ出された毛穴一つ見えない綺麗な跡部の右腕に俺はマジックペンを走らせた。
歪なそれは俺から跡部への愛しさとちょっとの不満の具現化で、油性じゃないのが俺のちょっとの優しさだ。
「3−C あくた川じろう」
明日の朝目覚めた跡部はまず何をするだろう。寝てしまっていた事に驚くのだろうか。自分の右腕を見て跡部はまずどう反応するのだろう。俺は目を丸くするであろう跡部の表情を想像し一人笑い声を押し殺しながら跡部を起こさないように自分で掛けたブランケットに潜り込む。綺麗な寝顔を間近で見ながら極力音を立てぬよう心がけ、俺も静かに眠りに付いた。
朝目が覚めたらおはようよりも跡部からのおめでとうよりも先にこう言おう。
「今日から君は僕のです」
と。
終
090505