「かゆいところはぁーございませんかぁー」
するすると指の間をすり抜けていく琥珀色の髪。
絡まないように優しく擦って、泡を馴染ませる。
人の髪を洗うのなんていつぶりだろうか。
従兄弟が小さかった頃に洗ってあげた記憶が一番新しいかもしれない。
美容師さんの真似事をしながら、丁寧に汚れを落としていく。
「それにしても災難でしたね、指」
「まぁしょうがないよ、レディを守って出来た傷はむしろ讃えるべき勲章、だろ?」
「はいはいそうでしたねー」
「…なまえ、それはもしかしてやきも
「違います」
「…手厳しいなぁ、」
髪と同じ色をした睫毛が伏せられると、頬に長い影が落ちる。
くつくつと笑う度、仰け反った喉元が震えた。
もともとはっきりした顔立ちをしているのは知っていたけれど、これだけ近距離で見詰めるとそれが更に際立って見える。
柄にもなくどきどきして、逸らす様に視線を彷徨わせた。
一人で使うには些か広すぎる寮の浴室。
冷えてしまうといけないので彼には湯船に浸かってもらっている。
仰向けになって頭だけ浴槽の外に出してもらって、そこにわたしがスタンバイ。
もちろんしっかりと服は着込んでいる。と言っても着ているのは寝巻きにしているジャージなのだけれど。
今日、彼はドラマの撮影中に、転びそうになったヒロイン役の女の子を助けようとして指を怪我してしまった。
幸いたいした怪我ではないらしいが、指はがっちりと包帯で固定されて自由がきかない状態。
たまたま見学に招かれていたわたしは、その一連の流れを端の方から見ていた。
まぁ、なにもそんな大げさな、と思うところはあったけれども、節々で指を庇うような動きをする彼を見ていたら、なんだか可哀想に思えてきて。
なにか出来る事はないか、と尋ねた結果がこれ。
怪我をしたのが利き腕だったらもっと難題な仕事が待っていたんだろうけど…
少しぬるめに調節したシャワーで泡を洗い流して、コンディショナーを多めに手に取る。
並んでいたシャンプーに目を遣れば、わたしじゃ到底手が出そうにない値段の銘柄だった。
「(最近人気らしいけど…いい香りだなぁ…)」
コンディショナーをたっぷりと塗りつけた髪をひと束手にとって、その香りを堪能する。
わたしが使っているのよりもずっと濃くて、甘い匂いがした。
風になびいた彼の髪からふわりと香るそれと、同じ匂い。
なんだかくらくら眩暈がしそうになって、慌てて思考を引き戻す。
気を取り直してコンディショナーを洗い流し、お仕事完了。
「はい、終わりまし 」
たよ の言葉は、上から降って来たお湯によって掻き消された。
驚いたのもつかの間、声を上げる暇もなくひょいと体を持ち上げられて、次の瞬間には温かな浴槽の中。
びしょびしょになった髪から滴る雫が、色の濃くなったジャージに落ちる。
「なっ えっ なに、
っていうか、手…!!」
「痛くないよ、もうとっくに。」
向き合うように足の間に座らせられて思わず飛び退こうとした、けれども、がっちりと腰に腕を回されてしまっては逃げることも叶わない。
わたしと同じように大粒の雫を滴らせる彼の髪からは、甘い、シャンプーの匂い。
押し返すために胸元に突いた手から腕、肩、鎖骨を撫でられて、ぞわりとした。
悪戯に細められる瞳にちらちらと照明の光が反射すれば、まるで何かの宝石の様で。
その輝きと甘い匂いに、まるで魔法にかけられてしまったように思考が鈍って、くらくらして、身動きが取れない。
「君があんまりにも悩ましげな表情をするからいけないんだよ、
思わず手を出してしまいたくなる程に、ね」
濡れて肌に張り付いたシャツの隙間からするりと入り込んできた手のひらが、柔らかく腹部を撫でる。
いつの間に解いたのか、包帯はきちんと丸められて浴槽の端に追いやられていた。
何か言い返してやろうとぐるぐるといろんな言葉を考えてみるけれど、切なげに揺れる瞳に捕われたら、いよいよ何も考えられなくなる。
熱を帯びた頬に伸びる、しなやかな彼の指先に誘われるまま、ゆっくりと目を閉じた。