息を止めて一秒。
瞬きをすると目に入った人物の未来が見える。
と言っても何秒後かの未来だ。
息を止めて一秒。
女子高生がお喋りに夢中で走って来た小学生に気付かずぶつかる。
だがお互いに怪我はない。
息を止めて一秒。
サラリーマンの肩に鳥の糞が落ちてくる。
サラリーマン、間一髪で避ける。
息を止めて一秒。息を止めて一秒。息を止めて一秒……。
「じゃあな、亮兄」
「あぁ、また明日」
息を止めて一秒。
手を振り別れた幼馴染が包丁を持った男に襲われる。
「え……?」
顔から血の気が引き、恐怖で唇が震えた。
「孝人……ッ!!!」
すぐさま振り返って大きく一歩踏み出す。
どうか間に合ってくれと未来を変えるため、幼馴染の元へと走り出した。
不思議そうに幼馴染が振り返る。
同時に曲がり角から男が飛び出してきた。
男とその近くにいた子供の目が合う。
嫌な笑みを浮かべた男が包丁をその子目掛けて振り下ろした。
「――! 危ない!!」
「待て孝人ッ!!」
幼馴染が子供を守るように強く抱き締める。
その背中に何度も何度も振り下ろされる包丁。
赤黒くなっていく幼馴染の姿。
「やめろ……っ、――やめてくれぇええええッ!!!」
伸ばした手は幼馴染に届かなかった。
「――い、おい。テメェ……。目ェ開けて眠っとんのか秋島ァ……ッ!!!」
「ッ!? いってぇ!!」
スパコーンと丸めた資料で頭を思いきり殴られ、ハッとしてそこを押さえながら振り返る。
……見なければ良かった。
背後にいたのは鬼と化した同僚、戌塚壱樹。
俺と同じ警視庁・捜査一課所属の刑事だ。
「い、戌塚……」
「テメェ、やる気ねぇならさっさと帰れや。邪魔だ」
眉間に皺を深く刻み盛大に舌打ちをかました戌塚は、頬を引き攣らせてる俺を見て「毎年毎年ウゼェわ」と吐き捨てた。ひ、酷ぇ。
「ご、ごめん……」
「謝んなグズ! 半休クソ野郎はマジで邪魔だからさっさと帰れ!」
「うわ、グズって久々に聞いた」
額に青筋を浮かべながらドカッと自席に着いた戌塚の分かり難い優しさに小さく笑みを浮かべた。
戌塚は知っているのだ。
俺が毎年この日に半休を取る理由を。どこに行くのかを。
警察官とは思えない暴言を吐く戌塚だが、俺がこの日に半休さえも取れなさそうになるとその仕事を代わりに引き受けて絶対休めるようにしてくれる。
優しい男なのだ。態度と口が悪いせいで物凄く分かり難いが。
「戌塚……ありがとう」
「うっせぇ! さっさと失せろ!!」
「うん。ちょっと早いけどお疲れさまでした。お先に失礼するね」
「チッ」
挨拶したら舌打ちで返ってきた。
戌塚なりの「お疲れさまでした」である。
幼馴染の野中孝人の将来の夢は警察官だった。
困ってる人、助けを求めてる人を救いたい。守りたいのだと言っていた。
あの日あの時、彼はそれを実行した。
自分の背中がメッタ刺しにされても決して子供を離さなかった。
怖かっただろうに。逃げ出したかっただろうに。
あの後警察官が駆け付け犯人はすぐに取り押さえられたが、幼馴染はもう息をしていなかった。
彼が命を懸けて守った子供は傷一つなく無事で、迎えに来た母親と泣きながら抱き合っていたのを覚えている。
俺は自分の真っ赤に染まる手を見下ろして叫びたくなった。
未来が見えたって、見えるだけじゃ何の意味もない。
犯人を止めようとして割って入っても、止められなかったのなら意味がないんだ。
幼馴染が死んで自分が生き残って……。
代わりに警察官になっても、自分が生きてる意味が見出せなかった。
俯き気味に警視庁の廊下を足早に歩く。
だから曲がり角から出て来た人に気付かず、思いきりぶつかってしまった。
「うわっ!」
「おっふ!」
カシャンッと何かが床に落ちる。
見ると眼鏡が俺の足元にあった。
これは目の前の彼女のものだろう。
「す、すみません! 前を見てなかったもので!」
そう謝りながら慌てて拾う。
レンズがひび割れていないか確認して、安堵した。
「良かった。割れてない」
「こ、こちらこそすみません……! あ、あの眼鏡を拭きながら歩いていたので。人がいることに全く気付きませんでした。あ、眼鏡……!」
彼女はサッと不自然に目元を手で隠した。
何だ? 顔出しは事務所NGなのか?
ってそんな訳あるか。
では眼鏡を、と言いながら片手を差し出しているが、本当は怪我をしてそれを隠そうとしているのではないか。
そっちのが可能性ある。
「目に怪我でもされましたか!?」
「え゛っ」
目元を押さえている手を多少強引に外し、顔を覗き込む。
裸眼の彼女と間近で見つめ合った。