「っ、返して……!」
「え」
――アーッ!
気付いたら警視庁の廊下ではなく外にいた。
見知らぬ景色が私を囲んでます。
現場からは以上です。
「マジかぁ……」
過去に介入する寸前にフンッと取り返した眼鏡をかけながらため息をついた。
さようなら現在。
こんにちは他人の過去。
裸眼で目を合わせるとその人の過去に介入できる能力を持っている私は、目に怪我をしたのではないかと心配してくれた心優しき男性によって彼の過去に飛ばされた。
彼は悪くない。
私の能力を知らないのだから。
悪いのはレンズを拭きながら歩いていた私ですね。サーセン。
それをしていなければぶつかっても眼鏡を落とすことはなかっただろう。反省。
(本当面倒だなこの能力。あんま役に立たないし)
眼鏡の位置を直して歩き出す。
向かうは人気のない場所。
現在に戻る際、瞬間移動のように姿がパッと消えるため目撃者がいると困るのだ。
歩き回って数分。
薄暗い路地が目に入った。
この奥なら大丈夫だろう。
そう思って一歩踏み出した。
――ドンッ。
「いてっ!」
路地奥から走って来た男と思いきり肩がぶつかる。
相手は相当急いでいたのか、こちらを気にすることなくそのまま走り去ってしまった。
「肩ポロッと落ちないといいけど、イテテ。……ん? あ、ちょっと!」
なんと! 足元に財布が落ちているではないか!
ぶつかった相手のだとすぐに気付き振り返って伝えたが。
「お財布! 落としましたよ!」
ダメだ。聞こえていない。
仕方ないと遠ざかっていく背中を追いかけた。
財布がないと困るもんな……。
「すみませ〜ん! お財布! 落としてますよ!」
走りながら声をかけるが全く気付いてくれない。
おいおいこいつマジかよと思いながらも諦めずに声を張り上げる。
「お財布ですよ! あなたの! ゲホッ、お財布です!」
全力で走っているのに全然距離が縮まらない。
逆に広がってもいかないから走る速さが一緒なのか。
すごくない? あんま嬉しくないですけど。
ゼェ、ハァ、と呼吸が荒くなっていく。
何でこんなに財布を届けるのに必死になっているのか、それは私にも分からなかった。
もう諦めて交番に届けるかと足を止めようとしていたら、なんと男が立ち止まったではないか。
これはチャンスと最後の力を振り絞って男の眼前に財布を突きつけた。
「お財布、ゲホッ! 落としましたよ! ――あたァ!?」
瞬間、手首に衝撃が走った。
男が振り下ろした手と財布を突きつけた私の手首が接触したらしい。
物凄く痛ぇ。財布がポロッと手から落ちた。
同時に男が手にしていたものも地面に落ちたようだった。
「孝人、落ちたぞ!!」
「分かってる!!」
近くでしゃがんでいた男子高校生が落ちたものを遠くに蹴り飛ばした。
次いで立ち上がり、振り向き様男の顔を容赦なく殴る。
(ェエエエエエエ!?)
「亮兄も! 早く!」
「お、おう!」
ウワァ、勇敢な高校生だな〜。
男を取り押さえている彼らから視線を外し、蹴り飛ばされたものを見た。
(ギャァアアアア! あの人包丁持ってたの!?)
何が何やら。
とりあえず自分の心の安寧の為に、泣き叫んでいる子供を安心させようと「こ、怖かったね。頑張ったね」とその頭を撫でた。
もうほぼ自分に言ってた。
警察が駆け付け、男が逮捕され、子供が母親と抱き合って。
財布を届けようとしたらいつの間にか事件に巻き込まれていた私は、男を取り押さえた勇気ある男子高校生二人を眺めていた。
片方は知らないが、もう片方――号泣している方は知っている。
今日警視庁の廊下でぶつかった相手、この過去の持ち主だ。
中々スリリングな過去をお持ちですねと彼に同情したよ。
「よ……よ゛かっだぁ〜! 孝人がじな゛な゛くてぇ〜!!」
「わっ、顔から出るもの全部出てる。ははっ、俺ももうダメかと思った」
「笑い事じゃねぇよぉ! 見たんだからな俺! お前に包丁が振り下ろされるところ! だから待てって言ったのに! 無茶すんじゃねぇよ! 誰か庇って死ぬなんてそんなこと……っ、そんなことあったらっ、俺はお前を絶対許さねぇからな……!!」
「ごめん亮兄。なぁ、ごめんって」
(ひえ〜。こんな素晴らしい友情が現実にあるんですか。尊み秀吉。ありがとうございます)
イケメンだし眼福眼福。小さく拝んでそっとその場を後にした。
そしてあの薄暗い路地まで戻ってきてすぐ、現在に戻った。
――自分がどれ程の過去改変をしてしまったのか、私はまだ気付かない。