八尺様1


 父の実家に遊びに行ったときの話だ。
 当時小さかった藤重祥太には全くその時の記憶はないのだが、たまに酒に酔った父が思い出したかのように語る時があった。
 澄んだ青空。暖かな陽射しに包まれた縁側でウトウトしていた祥太が何かを見て、居間で休んでいた父に駆け寄った。聞くと、「へん」と一言。
 何がと詳しく聞くと変な音、とこれまた単語で返ってきた。祥太は口数の少ない子供だった。
 変わった鳥の囀りか、それとも家鳴りか。幼い祥太には全てが新鮮で変な音だろうと笑みを浮かべた父親が小首を傾げて聞くと「ぽぽぽ、っていってた」という。
 父は祥太の脈絡のない話に困ったように眉を下げると、「そうかぁ〜」と祥太の頭を撫でた。
 しかし突然「祥太ッ!!」と向かいで茶を啜っていた祖父が荒々しく祥太を呼んだ。持っていた湯呑をテーブルに叩き付けて。
 普段は穏やかな祖父の鬼の形相に、同い年の子に比べ落ち着いているさすがの祥太も、これには肩を跳ね上げた。
 不安そうに父の服の裾を掴む祥太を庇い、「どうしたんだよ親父」と祥太の父が問いかける。

「祥太、お前今なんて言った……」

 見ると祖父の顔は真っ青だった。祥太は怖いながらも真っ直ぐ自分を見つめる祖父に、小さいながらも精一杯声を出し「おんなのひと……。ぽぽぽぽって、いってた……」と真っ直ぐ見つめ返した。
 それを聞いてより一層祖父は青褪めた。
 祥太は聡い子で、聞かずとも自分が見た先程の光景を拙いながらも説明してくれた。
 生垣の上に帽子が見えたと。それは生垣の上に乗ってたんじゃない。スゥーと横に移動して生垣が切れたところに女の人がそれを被って立っていたと。
 女の人は白いワンピースを着ていたそうだ。
 そこで祥太は小首を傾げた。違和感を覚えたのだ。
 生垣の高さは約二メートル。その生垣から帽子が出るくらい背の高い女性なんているのだろうかと。
 目をパチクリさせていると女の人はまたスゥーと移動してどこかに消えた。ぽぽぽという音もいつの間にか聞こえなくなっていた。
 祥太が話し終えると祖父がいきなり立ち上がりどこかに電話を掛け始めた。八尺様が、と聞こえる。
 祖父のその焦りように父も何かおかしいと、裾を握る祥太を安心させるべく抱きしめた。

 父曰くそこからが大変だったらしい。
 幼い祥太を一人一晩、二階にある一室に閉じ込めるという。そこは至る所にお札が貼られ、窓は新聞紙で目張りされていた。四隅には盛り塩がされ、小さな仏像が木箱の上に乗っている。
 言葉には出さないが不安そうな表情を浮かべる祥太を見て、父親はあまりにも酷だと祖父に訴えた。
 だがこれも祥太を守るためだと必死な形相で言われ、仕方なく従ったという。
 祖父は祥太に「何が起きても、何を言われても、明日の朝七時まではここを出てはならん。七時になったらお前から出るんだ。いいか、家族みんなお前に話しかけない。だからお前も話しかけるんじゃないぞ」と言った。
 祖父の鬼気迫る表情に祥太は何度も何度も頷いた。
 本当は「みんな僕が嫌いなんじゃないの? だからこういうことするんでしょ」と言いたかった。
 しかし泣いている母を見て、苦悶の表情を浮かべる父を見て、そんなことは思ってても言えなかった。
 
 一晩経ち、祖父の言い付け通り朝の七時に部屋から出て来た祥太を見て両親、祖父母共に泣いて喜んだ。
 それを見た祥太は晩のうちに味わった恐怖から逃れたことよりも、大好きな家族に嫌われてないことに心から安堵した。
 そして安心からか、母の胸に抱かれた祥太は倒れるように眠りに落ちた。
 後日あの晩に何かあったのかと聞いても、それについて祥太が口を開くことはなかった。どうやら寝ているうちに記憶から消してしまったらしい。だがそれならそれでいいと父親は頷いた。

 何年も経ったある日のこと、祖父から自宅に電話がかかってきた。
 なんでも八尺様を封じている地蔵が壊れてしまったそうだ。
 それを聞いた母は泣き崩れ、父は悔しさからか拳を握りしめた。
 祖父はもう実家には来るなと優しい拒絶をした。それは祥太を想っての言葉だった。
 ――八尺様に魅入られた人間は取り殺される……。
 話を終え受話器を置いた父は咽び泣く母の肩を抱き、祥太を黙って見つめた。
 目を伏せた祥太は数秒の沈黙後、徐に立ち上がり部屋を出て行った。

 その日以来、祥太の素顔を見た者は誰もいない。酷い火傷跡だから見せたくないと嘘をついて彼は常に口元をマスクで隠すようになったからだ。
 祥太は八尺様を顔を隠してどうにかなるとは思ってない。しかしこのくだらない対策で両親が――母が安心するならばそれでいいとマスクの下で口元を緩めた。



 近くに八尺様の気配を感じながら――。