「環ちゃーん。おはよー!」 今日も元気よくインターホンが鳴った。 「……おはよ」扉を開けると、朝っぱらから見るも華々しい笑顔が桃色のオーラを放ってバスケットコートへわたしを召喚しようと腕を伸ばしてくるので、「ちょっと待ってて」と制止させて部屋とリビングの電気と戸締りを確認してから戻って来て、置いておいたリュックを肩にかける。きょとんとしてこちらを見ているさつきちゃんの肩を手で押し、玄関を出てしっかりと施錠。さつきちゃんは花のような笑みを浮かべた。 「うーん。今日もいい天気だね!」 「……そーだね」 いいバスケ日和だ。 「……あのさ。思うんだけど、わたしの家寄ってから大輝くん呼びに行くって、効率悪くない?」 「家近くなんでしょ?」と、昨日の今日であるにもかかわらず当然のように隣を歩き、大輝くんの家へ向かうさつきちゃんを覗いて眉を寄せる。桐皇学園はわたしの自宅からも二人の家からも決して近い場所ではない。電車も利用するから、わざわざわたしの家まで来てさつきちゃんの近所にある大輝くんの家まで戻り三人で登校するというのはどう考えても非効率的だと思うのだけれど。 「だってー。私が呼んでも来てくんないし」 「……いいんだけどさ」 この子にはなんとなく敵わない。 というか、通じない。 「ふっふっふーん♪」と鼻歌も絶好調のさつきちゃんに続き、閉口して大人しく足を進める。 「でも、荷物準備してくれてたなんてね。準備万端って感じ?」 「昨日みたくタンス漁られても困るからね」 「またまたー。結構乗り気なクセに」 「…………」 何となく直視に堪えられなくて目を逸らす。 乗り気……とかでは本当にないのだけれど。 掌を見下ろして、何度か握って開く。 それから少し、思案した。 「おはよーございまーす!」 「……おはよーございます」さつきちゃんに続いてわたしも体育館に上がる。最後まで渋った大輝くんの焼けた腕を引っ張ってコートのそばまで行くと、既に自主練中だった部員の多くがこちらを見てなにか奇妙なものでも見るかのような目でこちらを凝視し、なにか言いたそうな顔をしていたけれど、「あーダリーな、ったくよぉ」未だにぶちぶちと文句を言いながらもバッグを置きにステージへ近付くのにわざとらしくコート内を突っ切っていくのでそれを避けて、大輝くんを目で追うのだった。 「オハヨ。環ちゃん、今日も青峰ホイホイは絶好調やな」 「はよーざいます。……ホイホイって失礼な」 「けどホンマ、よー吊れるのー。青峰」 「ルアーのつもりでもないんですけど」 大輝くんはゴキブリでも魚でもない。 ていうか仮にも自分のチームのエース相手に言葉選びが酷過ぎる。大輝くんに目をやると、不自然にきょどるあのシューターの肩に腕を回してもたれかかりなにかを話していた。絶対にまともな内容ではないだろう大輝くんの表情とは対照に青ざめて肩を震わせる様子はまるで不良とチワワだ。「や、ジブンも結構キツいこと言ってんで」今吉さんの言葉をスルーした。 「マネ業務の内容は全部昨日聞いてんな?あとはウチの連中と1on1とかゲームにも混ざってもらえたら嬉しいんやけど」 「え」 「いいんですか」反射的に食ついてしまいハッとする。いやだって、てっきり完全にマネをさせられるものだとばかり。さつきちゃんも昨日そんな言い方だったし。ワハハッ!と思いきり笑い出した今吉さんに言うと「好きなんやなー、バスケ」率直に指摘され、気恥ずかしくなる。 「き……嫌いだったらやってません」 「まーせやけど。環ちゃんはえらく純粋に見えるわ。えーとなんやアレ、ストバス部やっけ?」 「同好会です」 「好きなように好きなバスケを好きなだけ。ええやないの、楽しそうで」 「…………はぁ」 そりゃまあ。 そのために逃げたりもしたわけだし。 と、そこまで浮かんで直後。 「――いつまで談笑してんだ?」 ガッと首に衝撃が走り、気付くとさっき誰かにそうしていたように褐色の腕が肩に回されて、うしろに大輝くんが立っていた。「大輝くん」首だけ回し、その顔を窺うと若干不機嫌そうにも見える大輝くんが邪悪に笑んでいる。うわ、なにこれ怖い。 「よぉ、随分楽しそーじゃねーの」 「別に楽しくないけど」 「なぁ?キャプテンさんよ」 あれ、わたし無視されてる。 「さっさと始めた方がいいんじゃねーの?」 完全に向かいしか見ていない大輝くんに眉を寄せる。人の首におっもい腕巻きつけておいて……。 「人のモンに手ェ出してんじゃねーよ」 「あ、そう見えた?」 「練習始めンだろうが。サボってないで、そこらのザコ呼び集めるなりなんなりしろよ」 「アハハハハ。せやなー」 「大輝くんが『サボるな』って……」 それもそうやな、ごもっとも。などと笑って受けるせいで思わずツッコミが尻すぼみになってしまった。そんなわたしのことも無視して大輝くんは手をぱたぱたと振り今吉さんを追い払ってしまった。「オーイ。一回整列やー」笑いの含んだ声でさっさと自主練を切り上げる部員の方へ行ってしまう今吉さんの背中を無言でただ見送って。 「なに絡まれてんだ、バカ」 そしてあなたはここに残るわけね。 「別に、話してただけだけど」 「ウソつけ。知能犯とチワワみたいだったぞ」 「知能犯て」 どっから出てきたその単語。 どうやら腹黒そうな今吉さんを描写したかったようだけれどいまいち的を射ない表現である。ていうかわたしチワワですか。なにそれそんなにかよわくないよ。と返したところで不意に肩と背中へ相当な重さがのしかかった。 「ちょ……重い!重い重い!」 「なー。明日っから弁当作ってこいよ」 「なにそれ、大輝くんわたしの料理スキル甘くみて……って重い!やっぱり重いから退いて!!」 「ウインナーはオレタコ派だから」 「知るかーっ!!!」 勝手なことを言いながらぐぐぐ……ともたれかかってくる大輝くんに背中で対抗しようとするのだけれど、いかんせんタッパが違う分体重にも大きく差があるのでなんとか倒れないように堪えるので精いっぱいだ。「おーもーいーっ!」切羽詰まった声で訴えるものの大輝くんはどこ吹く風、むしろ愉しそうな声が聞こえるのでこの理不尽な暴力まがいのいじめをやめるつもりはないのだろう……と思ってる余裕もそろそろなくなってきた。叫んでいたので息も切れ切れだ。 「お。そのカオいいな……」 ――この、ドSめ……!!! 大輝くんから出てきたとんでもない言葉にしかし声に出す気力もなく心中そう罵ったときである。 「こらー青峰君!なにイジメてるのっ!」 わたしにとって限りなく(身体的に)重く苦しかった時間は唐突に終わりを告げた。 「んだよさつき。ジャマすんな」 「んだよじゃないわよ、もう練習始るんだってば!監督来たから整列!」 「めんどくせっ」 「青峰君!!!」 「へいへい」さつきちゃんが甲高い声を上げると、渋々といった感じでわたしの上から退いた。解放されたわたしは力尽きてその場でしゃがみ込む。息を整えながらキッと大輝くんを睨むもすでに背を向け列へ歩き出していた。な、なんだったんだ今の……。疲れさせるだけ疲れさせて放置って。 「環ちゃん、大丈夫?なんかね、ギャングとチワワみたいな構図だったよ!」 「…………」 表現力はわたしが一番まともだと思う。 ← → |