ポリゴン | ナノ



  
はじめの六歩



「はーい、じゃーそろそろ本練習はじめまーす!」
「今日監督は?」
「次の練習試合の調整に行ってます」
「わかった。オイ、いつまでやってんねん!自主練切り上げんで!!」
「ウス!!!」
「ボール一回戻すぞ!」
「あ、青峰サンッ、次アップ……」
「あー?だりーからいらねーよ」
「もー!青峰君ってば!ちゃんと輪に入ってよー!」
「帰ンぞ」
「ダメだってば!!もうっ、環ちゃんも何か言ってやって!?」

…………。

「…………」
「ねー環ちゃんっ!!」

思考中断。
……とりあえず。

「……大輝くん……ちゃんとやれば」

隣で座り込んでボールをいじっている大輝くんへため息と言葉を投げつけた。

「オマエがサポートしてくれるんならやってやってもいーけど?」
「なんでそんなにドヤ顔なの」
「やってあげたらー?環ちゃん」
「なにニヤニヤしてんの!」

――引き続き、
桐皇学園高校、
男子バスケットボール部第一体育館。
『じゃー青峰は頼むわ。環ちゃん』と、今吉さんは例のいまいち信用できない笑みを携えてさっさとキャプテンに戻っていってしまい、立ち尽くすわたしの背中を押しながら大輝くんをコートへひっぱるさつきちゃんの『あぐれっしびりてぃ』にされるがまま、我に返ったときにはベンチに座らされメガホンを握らされていた。わざわざご丁寧にさつきちゃんのトレードマーク(だと勝手に認識している)のパーカーまで着用し(予備があったと喜々として着せられた)、なにこれすっかり観戦ムード?そしてコートへ放り投げられたはずの大輝くんは開始三秒で気付けばすぐそばにあぐらで座り込んでいて、さっきっからわたしの思考を中断する発言ばかりかましている。

「あー。あっちー。環、飲みモンくれ」
「まだ何一つ動いてないじゃん」
「夏はほっといてもあちーんだよ」
「……確かにすごいけど。熱気」
「そのシャツ脱げば?」
「シャツ!?パーカーじゃなくて!?」
「うし。プール行くか」
「大輝くんの思考回路がわかんない」
「水着姿が見たい」
「その煩悩、発散するためにバスケしてきたら?」

『環ちゃんは青峰君を叱咤激励する係ね?』と、さつきちゃんは早々にわたし達から一歩離れてすっかりマネージャーの仕事を始めているし。時たまこちらを振り返ってはなにやら意味ありげな顔で笑いかけてくるし。可愛い子はどんな顔をしていても可愛いし。ああなんだこれ。

「…………バスケ。しよっか」
「おーっし!」

……何やってんだろ、わたし。


外はガンガン日差しが照りつけてきて、立っているだけで汗が滴り落ちるような暑さだけれど、体育館よりは大分空気も澄んでいて風もあるので辟易するほどではない。『外で?バスケ?ええよ。帰られるよりはだいぶマシや』とにこやかに笑って送り出されて校庭のバスケットゴール前で二人、向かい合う。大輝くんとバスケするの、あの時ほどじゃないけど久しぶりだ。

「お前からでいーぜ」

「…………」頷いて、渡されたボールの感触を掌で確かめる。少しの間両手で回しておいて、そのボールを地面に跳ねさせる。

ボールをつく。
ボールをついた。
静かに息を吐く。
ボールをつく。
ボールをついた。
大輝くんが腰を落とし、目を細めた。
ボールをつく。
――少し、鼓動がはやい。
ボールをついた。
思い出すのは、あの準々決勝。
泣いた涼太くん。
ボールをつく。
悔しくて悔しくて、どうしようもなかった。
ボールをついた。

負けてほしい。
負かしてあげてほしい。
――などとは、もう考えない。

わたしが勝つんだ。

一歩目。
右へ抜けようと踏み出した足にぴったりと反応する黒い脚。左へ切り替えることもできる。
二歩目。
そのまま右を軸足に半転し、そこまでついてきているソレを振り切るようにレッグスルー。限りなくはやい掌がボールを奪おうと伸ばされるのを察知して、反射的に思いっきり掌をボールに叩きつけた。
――必然、リズムが変わる。
それに反応してしまう一瞬の隙を肌で感じ、そのままダックイン。三歩、四歩、五歩。
抜き――去った?
と、考える間もなく後ろからバックチップ。
がくるのがわかって、手を持ち替えた。
そのままドリブルをしてゴール下へ走る。
六歩目。
一瞬。
左から黒い影が現れてドリブルを背後に換える。斧を振るったように鋭く空を切る腕が戻る前に、右へ切り替えて片腕でボールを放つ。離陸してなお、追いつこうとする腕が端に映り、指先に力を込めて角度を変えた。
その軌道は、高い。
高い高いループを描き、遮ろうと伸ばされた黒腕よりもさらに高く、長い長い軌道を描いて、そして落ちていく。

その軌道を見守る。
大輝くんも振り返って目で追った。
ボールは――
ボールは、リングに吸いこまれるようにまっすぐと降りていき――
そして、リングに拒まれた。
ガンッ、と鈍い音と弾むリング。
ボールは一度跳ねて、ゴールの少し前へ落ち、あとはてんてんと跳ねながら転がってしばらくすると静かになった。そこまで目で確認し、上げたままだった腕を下ろす。

あ、外れた。

息をつく。
大輝くんも、息をついた。

わたしへ向き直った大輝くんは、息を弾ませながらも、少し目を見開き、きょとん、と、あどけない子供のようなカオをしていた。わたしも息を弾ませていて、たぶん似たようなカオをしているのだと思う。顔のどこにも力の入っていないのが感覚でわかったからである。

「…………六歩」

本日の第一戦。
歩数にして、計六歩。
時間は計ってない。
長かったような気もするし――
けれど時間が経った感じもしない。

たったの六歩。
――けれど、なんか。
……今までで一番、

「……やり合えてた……?」

思わず声に出してしまうと、
大輝くんは少し、眉を寄せた。
「入ってたらな」と言い。
どこか不機嫌そうに。

「…………」
胸に手をあてる。
弾む心臓。
弾む息。

これが――
これが、わたしの音なのか?
今のが――
今のが、わたしの――

「…………」
「…………環」
「――ん、え。なに?」
「戻ろーぜ」
「え?」
「あちぃ」

「…………」暑いのに。手を引かれて、引かれるまま歩き出す。離れた位置ですっかり静止していたボールは立ち止まることもないまま片腕ですくい上げられ、、抱きこまれてからは後ろから見えなくなった。

「水浴びしてーな。やっぱプール行くか」

空が青い。
しきりに鳴いている蝉の声よりも鮮明に、その呟きが静かに響いて聞こえた理由を、今のわたしは知らない。





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