「……じゃ、わたしは別のトコで観てるんで」 玄関でサンダルを履きながら、見送りのこーちゃんとお母様に言う。眼鏡をかけ髪型を変え服装にこだわった完全なる『黄瀬妹』装備で変装もバッチリ。本日・七月三十日は、ついにインターハイ準々決勝の対桐皇戦だ。「じゃーなタマキ!また後でな!」偉そうにふんぞり返るこのお子様は一緒に観るわけではないというわたしの話をよく理解していないようで。まあ可愛いからいいのだけれど。いってきます、と扉を開けて、途端にむわっと感じる夏の空気を思い切り吸い込んで、一歩外へ出た。 『環っち。今日までホントにありがと!』 ついにこれまでの特訓の成果を……というか、まあ肝心要の大輝くんコピーは結局完成には至らなかった。というのもいくら別人と練習したところで、現在の最強スコアラー青峰大輝のコピーが成功するわけもないのだから、わたしがしていたのは結局今日の試合の中で黄瀬くんが勝機を見出せるだけのタネを仕込んでいただけのことであって。それでも変装や演技、泊まり込みなどといった大掛かりな計画になってしまったということは必然、それだけ相手が手ごわいということで。 『ここまで付き合ってくれて、ホントに嬉しかった。今日は絶対、勝つっスから。観ててね!ついでに惚れてね!』 最後のはスルーするとして。 やれるだけのことはやった。 手応えだってある。 …………けれど。 炎天下、バス停まで歩く途中も、バスに乗ってからも、会場に到着してからも。胸のざわめきが解けなかった。 不安、と言うのだろうか。 形はなく、けれど確かに存在する、 しこりのようなもの。 憧れていた。 あんな風になりたいと思った。 自分も同じ景色を見たいと思ってきた。 強くて楽しくてかっこよかった。 あの背中に憧れてバスケを始めた。 だから、 『オレに勝てるのは、オレだけだ』 『絶対、勝つから』 だから、胸が痛い。 ――それでも、 黄瀬くんを信じたいと思ったんだ。 バスケットボールという言わば体育館球技の花形スポーツ。加えてインターハイ準々決勝ともなれば、ギャラリーのいい席は試合開始直前だと軒並み抑えられていると考えてもいい。――とは井原先輩から事前に教えて頂いていたため、第一試合の直後で観客の出入りが始まったころを狙って会場入りし、早速桐皇ベンチ側ギリギリの二階・最前列を陣取った。これならよっぽど意識して見上げなければ二階なんて目に入らないはずだし、滅多なことでは気付かれまい。。――前回はコート横の位置で目が合ってバッチリばれちゃったわけだし、その反省は今回に存分に活かしてやろうじゃないかと。変装もしているし、多分ちらっと顔見られたとしても大丈夫。……まあ、さすがに階段席や一階席に座る度胸はなかったのだけれど。ある程度俯瞰で観戦できれば良しとしたものである。 「えーと……二時まで……」 は、あと十分程度か。 両チームとも控え室でアップも終えた頃だろう。さつきちゃんからの日頃の愚痴によると大輝くん、試合にはよく遅れて来るそうだけれど……(誠凛との時もかなりの大遅刻をかましていたし)、今日はどうだろうか。 今までの戦歴がどうであろうと、憧れだろうと、結局は『キセキの世代』同士のガチンコ勝負。 ――さすがにそれはないか。 持参したうちわではたはたと熱気冷めやらぬ空気の風を浴びつつ、徐々に埋まっていく対面側の席の様子をぼうっと眺めていた。 「…………ん?」 …………。 目元に手をやり、まるで度の入っていない伊達眼鏡を少しずらして目を細める。 気のせいだろうか。 向こうの出入り口に、見慣れた集団がいるような……。 「わー!スゲッ!でっけぇ――!!」 「ハシャぎすぎんなよ」 「オイ、全員座れっか?」 「ちょい待ち……あ、あそこ」 「んー。二人あぶれちゃうなぁ」 「仕方ないよ、相田ちゃん。オレ達はあそこの席で我慢しよう」 「いや、普通オマエと田原だろーが」 …………。 気のせいでなくてもいいから、 せめて目の錯覚であってほしい。 ていうか、なんでいる。 「ちぇー。いーもんいーもん。そんな邪険にするってんなら、オレとゆーちゃんで女の子ナンパしてハーレム席で観戦してやるぅ!」 「俺を巻き込むんじゃねーよ」 「そんなこと言わずにさ。ホラホラ周りをよっく見渡してごらん?可愛い子がよりどりみどり!」 「あー?興味ねーし……って、あ」 あ。 目が合った。 「…………」 「どしたのゆーちゃん」 「……ま。ハーレムはとにかく、たまにはオンナ引っかけてみるのも悪かねーな」 にたぁ。 と、こっちを見たまま意地の悪い気持ち悪い笑みを浮かべる田原。あ、これ完全にバレたな。 「ん?……あーっ!!」 「な」 「そっかそっか」 「どした?」 「いやいや。じゃーオレらは軽ーくナンパしに行ってきます!」 「え、マジで行くのか」 「終わったら出口で落ち合やぁいーだろ」 「じゃーねん♪」 「ああ。死ね、このイケメン共!!」 「思いっきりヒガミ入ってるわね」 ……うわぁ。 なんかこっち来てる。 「みっずなっしちゃーん!」 「…………やっぱですか」 「ハッ。諦めろや」 当然のように隣二席を埋められて意気消沈のわたし。「んー!久しぶりの感触ぅ♪」何でこの人達来てるんだ……。「合宿、この近くだったんだよ」ていうか、こうなったらいっそ変装なんかしない方が良くないか?井原先輩と田原と女子一人の組み合わせを見れば、さつきちゃんや大輝くんは必然わたしを思い浮かべるんだろうし。加えて誠凛メンバーも勢揃いしてるし。もう全部取っちゃえ。「えー。妹やめちゃうの?」あからさまに残念そうな先輩を無視して眼鏡を外し髪をほどく。前髪処理も済ませばすっかり通常運転だ。 「えっへっへー。久々のストバス部集結!」 「同好会ですが」 「仲良し三人組!」 「仲……良いのか?」 「いいのっ!」 赫々云々。 というわけでお決まりのメンバーが並んで、下のコートを眺める。先のぐだぐだなやりとりで時間は十二分に潰れていたようで、落ち着くとすぐに試合開始のアナウンスが場内に流れた。 『それでは準々決勝第二試合――海常高校対桐皇学園高校の試合を始めます』 大輝くんはしっかりとスターティングメンバーに入っていた――のは、やはり黄瀬くんが相手だからなのだろう。向かい合う二人はわたしから見ても纏う空気が色濃い。 「…………」 拳を、握った。 ← → |