全国高等学校総合体育大会。 加えて、 バスケットボール競技大会。 ……と言えば何だか牧歌的な語感になる(多分『体育大会』のせいだ)けれど。 インターハイ。 ――と言ってしまえば途端に緊張度の増すものに変わってくる。ような気がする。 とにかく。 「黄瀬!決めろッッ!!」 「――っス!!」 七月二十七日。 ついに始まった、 インターハイ第一回戦。 対、山之江高校(大分県)。 相手チームのディフェンスを物ともせずにダンクを炸裂させる黄瀬くんをギャラリーから見下ろす。着地するのと同時に第1Q終了を告げるブザーが鳴ったため、ここで2分間のインターバルに入ることとなった。コートの熱気と迫力に沸き上がる観客も選手たちがベンチへ引っ込むと、ほう、と息をついて感想やこれからの展開のヨミを始めていた。やっぱり全国大会ともなると、観客の質も全然違ってくるものなんだ、と感心しながら、お母様が行きがけに持たせてくれたペットボトルを取り出して中身を呷る。カッチカチに丸ごと凍らせていた麦茶も会場内の熱にやられて、家を出てまだ2時間も経っていないというのに半分近く溶けている。巻きつけているタオルも水滴を存分に吸い、湿っていた。喉を潤した後、汗が肌を伝う感覚に舌打ちをして、半ば身を乗り出すようにして海常のベンチの様子を窺った。 「――――」 「――――――」 ……やっぱ何話してるかは聞こえないや。 周りも騒がしいし。 黄瀬くんが締まりのないカオで何か言って、それを笠松先輩がシバいて、早川先輩がまたあのよく聞きとれない話し方で何かアツいことを言って笠松先輩がそれにツッこんで、森山先輩がまた何か色ボケた発言をしたのか笠松先輩に怒られていて、小堀先輩に宥められている。とにかく笠松先輩の心が安まる暇がない様子が声が聞こえなくともありありと伝わってきて、何というか、お疲れ様です……。 心の中で笠松先輩に合唱していると、ふと顔を上げた黄瀬くんと目が合う。わたしに気付いた黄瀬くんが、満面の笑みを浮かべてこちらを見てくるので、わたしは眉間にシワを寄せ、隣のコートを他の人に見えないよう小さく指差した。指した方へ黄瀬くんが顔を向け、あっ!という表情になり、すぐ顔を背ける。監督の話に大人しく耳を傾け、そして再び立ち上がり、コートへ帰っていく。第2Q開始のブザーが響き渡り、選手も観客も再びバスケットの世界へ入っていくのだった。 「…………」 再開した試合を眺めつつ、ふと隣のコートを見遣る。Bコートとは途中ボール・アウトやファウルなどで微妙にタイミングがズレていたらしく、今インターバルに突入したようだった。それまでコート上でプレイしていた2チームが各々ベンチへ戻っていく。その選手たちの背中を、思わず目で追ってしまう。 ――とりあえず、手とか振られなくてよかった。 視界から消えていく大輝くんの背中を見送りながら、そんなことを思うのだった。 『快勝――!!っス!!』 『あー、ハイハイ。おつかれさまー』 『ちぇっ。もっと喜んでくれたっていいじゃないスかー』と耳元で少し拗ねたような声が響く。その声に『まだ初戦でしょーが』と返し、会場から出ようと足を進めていく。くそ、さすが全国。人が多い。……と言ってもまだ初戦なのでメディア関係もそう多くはないし、観客も多くは出場校関係者なのだろうけれど。それでも今までの地区予選とは混雑具合が違う。人の波をくぐり抜けながら、耳に添えた携帯電話からは『えー』とか『でもー』とか不満げな声が聞こえてくる。 『つーか、環っち待っててくれればいいのに。一緒に帰ろうよ』 『お兄ちゃんはバカですか?』 『バカって』 『誰がそんな自殺行為。ただでさえ奴さんと試合被ってんのに。誰かに見られたらどうすんのバカ』 『えー?けど、観に来たじゃんスか。昨日誘った時は家で寝てるとか言ってたクセに』 『…………う』 『はてさて、果たしてそーまでして環っちは一体だーれを観たかったんっスかねぇえ?』 『…………』 『…………』 『……いじわる』 数秒後、『グハッ』と変な声が聞こえてきた。 それはこっちのセリフだ。グハッ。 「うー……、もーダメー……。しぬー……」 帰宅すると、今朝からずっとテレビゲームをしていたらしい小学五年生に宿題のさんすうドリルを突き付けて (宿題をさせるようお母様に頼まれていたので)うんうん唸りながら嫌々手と頭を動かすのを見張っていたのだけれど。「暑くてしぬー……」進捗具合はあまりよろしくないようで。 「だーから涼しい午前中にやっちゃいなって、わたしちゃんと言ったよね?」 「タマキ、クーラーつけてー……」 「ダメです。お母様から、言われてるんだから。今日のノルマ終わらせなきゃ、クーラーはつけません」 「いーじゃんちょっとぐらい!タマキだってすっげー汗かいてたじゃん!」 「もうシャワー浴びてスッキリしました〜」 「おれも浴びる!」 「ゲームしてただけでしょうが」 「プール行きたいプールーッ」 「それ終わったらね」 「…………」 机に撃沈した。 せっかくの夏休み、もっと遊びたいという子供の気持ちはわかるのだけれど、留守を預からせて頂いている身としては、お母様から言付かったことをないがしろにしてはいけないという姿勢により、可愛らしいおねだりも生意気な命令もきいてやることはできないのだ。ごめんね。でも結局は今までの小学校生活五年間、宿題を溜めに溜めまくってきたキミにも原因の一端はあるのだよ、と心をオニにする。 「うー……わっかんないよぉ……」 まあ彼にしては頑張っている方じゃないか。ということで息抜きに差し入れでもしてやるかという気分にはなったので、唸っている子供を置いて冷蔵庫へ歩く。冷凍室を開けると、中には帰りしなに買って補充しておいたチューペットの箱。 「こーちゃん、何味?」 「ぶどう!」 「めちゃくちゃ元気だな」 「……で。リョータは勝ったの?」と、凍ったブドウ味をガリガリやっているこーちゃんはテンションもそこそこに復活したようだ。ガリガリしながらも右手は鉛筆を握り、さんすうドリルを埋めていくこーちゃん。チューペット一本で気分がガラッと変わってしまうような単純さはとても子供らしく、素直に可愛いと思う。安い奴だ、とも思うけれど、わたしだって多分昔は似たようなものだったのだろう。だってわたしもこの年になってまだ大好きだもんチューペット。「んー。まあ、圧勝?」オレンジ味のをガリガリしながら答えると、「ふーん。つまんねーの」と冷えた声が返ってきた。 「何、負けてほしいわけ?」 「ワケじゃねーけど。でもリョータっていっつも何でもできちゃうからさ。勉強以外」 「その『勉強』以外っていうのがミソだよね。……でも今は一生懸命頑張ってるよ、お兄ちゃん」 「知ってるよ。――遊ぶ時間減ったもん」 「……淋しいの?」 「リョータで」 「その『リョータで』っていうのがミソだよね!」 兄の威厳よ来い。 「ただいまー!」 「お兄ちゃんおかえりー」 「あー、試合後のミーティングって何であんな疲れるんスかねぇ」 「あ、リョータ!おせーよ!プール行くぞ、チャリ乗っけろ!」 「はー!?」 …………無理か。 ていうかドリル終わってからだっつの。 「環っちっ♪」 夕方。 部屋でお姉様の漫画(意外なことに、結構ほんわか系が好きらしい)を読んでいるとノックの後扉から黄瀬くんが顔を出した。いつになく声が弾んでいる。「……なに?」少しだけ身構えてから漫画を置いて返事をした。 「ちょーっと、外出ないスか」 黄瀬くんの後ろについて歩いた先には、フリーのバスケットコートがあった。なんだ練習か。と一瞬思ったけれど、ボールなんて持って来ていないし二人とも素足にサンダルだ。いくら真夏でストリートだからとはいえ、さすがにこの恰好でバスケはしない。というかわたしなんてスカートだし。 はて、じゃあどうしてここへ来たのだろう。 「黄瀬くん?」 「ココ、5月ごろ見つけた場所なんスよね」 「はあ……?」 「黒子っちと試合して、負けたあと」 「探したら、意外に近所にあってね。ビックリしたっスよ」普段通りの笑顔のまま、何を伝えようとしているのかがわからなくて、首を傾げてしまう。とりあえず「そうなんだ」と相槌を打ってみたけれど。黄瀬くんはあまり気にしていないように、回顧でもしているのか遠い目で聳え立つリンクを見つめている。 「越して来たの、卒業式のすぐ後で。親が入学先に合わせてあの家を決めてくれたのは推薦が海常に決まって一ヶ月くらいだから……十一……十二……とにかく年内には決まってたんスよ」 「……それはすごい話だね。羨ましい」 「家も近所も家族全員で下見して、年明けてからは家具の配置考えたりで、ちょくちょく行ってた」 「うん」 「――けど、こないだ探して初めて、ココがあるのに気付いた」 「…………」 「負けて、初めて。探したんス」 誠凛に負けて。――というか、黒子くんと火神くんに負けて。だろうけれど。あの時は互いにまだまだチームとして勝負しきれてはいなかった。あの試合を観返して、そう感じていた。「それまでは、ホント気にしたこともなかったんスよ。」――何だろう、意味は理解できるのだろうけれど、意図がまだ理解できない。目で先を促して、黄瀬くんがポツポツと、静かに、けれど穏やかな声で話すの言葉を聴いている。 「海常に入って、あの試合があって……だんだん上手くなってんのが自分でもわかるんスよね。まだ、オレは上手くなれんのかって」 「…………」 「オレは、まだまだなんだって」 「…………そりゃ、そうだよ。わたし達、まだ高校生だよ?まだ一年生なんだから、まだまだこれからじゃない」 「まぁ、フツーにそうなんだけど……でも、オレはフツーじゃないって思ってたから」 「…………」 「嬉しかった。悔しかったけど、嬉しかった。そんで、恵まれてるなって思った。これから、もっと上手くなりてえ!って思った時、環っち達が傍にいてくれて」 「――わたし達?」 「だって。ホンットに、好きそーなんだもん。バスケ」 「…………」 「オレ、皆のことがホントに好きなんスよ。火神っちみたくライバルじゃないし、先輩達みたくチームメイトでもない。けど、だから、オレは環っち達のことが大好き。だから暇があれば一緒にいたいし、青峰っちに取られたくない」 「――あのねぇ。取るとか取られるとか、まーだそんなこと言って」 「けど、環っちは二人とは違うんス」 「…………わたし?」と呟いたわたしに、黄瀬くんはもう一度同じ言葉を繰り返した。 「いつも一緒にいたいのも、青峰っちに取られたくないのも。環っちは特別なんスよ。違うんだ、二人とは。一緒にいて楽しいのも、嬉しいのも、もっともっと知りたいって思うのも、全部、全然、意味が違う。抱きつきたいのも、好きって言いたいのも、規模が違う。環っちが、好きだ」 ――――。 ――――――。 ――――。 ――――――。 え。 …………。 ………………。 …………。 ………………。 え、え、え、え。え? 「好きだから、青峰っちには絶対、何が何でも、渡したくない」 ――ちょ、 ――ちょっと待って。 「環っちの隣は、オレがいい」 ――待って。 ――待ってってば。 「だから、もし青峰っちに勝ったら、オレと付き合って」 ← → |