ポリゴン | ナノ



  
黄瀬妹の夏休み



大輝くんとバスケをしていたあの頃。
大輝くんから逃げていたあの時。
そして、
大輝くんに勝とうとしている今、
この瞬間まで。

忘れることもできず、
過ぎることすら叶わず、
遮ることさえ許されずに。

結局頭の中には、大輝くんがいつだってわたしの心を奮わせている。


「ラスト一本――!」
「速攻!B陣形!!」
「オウ!!」

断続的かつ不規則に重なり合うスキッシュ音は傍で聴いていると悲鳴のようである。この暑さと相まった騒音は、結構煩わしいものである。七月も下旬に差し掛かり夏の盛りに向けて刻々と強くなっていく日差しはコンクリート校舎に囲まれた体育館内にじりじりと熱気と熱風を造り出していく。扉という扉は全開だし、扇風機も一応は回っているものの、休憩(という名のマネ業務)中であるわたしでさえ汗が止まらないのだから、コート内で激しい運動をしてい選手陣はといえば磨き上げられた床に水溜りを作らんとばかりの勢いで滴り落ちるそれに時折足をとられてしまっている。――そろそろモップをかけた方がいいだろうか。と監督を見るとちょうど目が合い、頷かれたので立ち上がってわたしは隅に立てかけてあるモップを手にコートへ向かう。その間に監督が笛を鳴らし休憩を伝えるという、最近は結構な連携プレイなるものができてきていると思う。監督とのコミュニケーションは、大切だ。

「環っ。ありがと!」
「おつかれー」
「環ちゃん、そろそろオレとも愛のコンビネーションに挑戦してみない?」
「何でそんな元気なんです、森山先輩は」
「ふっ。それは環ちゃん、君というオアシスがここにいるからさ」
「おつかれさまでしたー」
「帰れって!?もう帰れって!?」

ベンチに戻っていく面々と入れ替わりにわたしが入り、端からモップを前につけ駆けていく。この半月あまりで結構走らせてもらっているので、脚力も上がっていたらいいのだけれど。女子にとってはこういう使いっ走りでも結構なトレーニングになるのだから侮れない。

「おー走れ走れ」
「なんか犬みたいだな黄瀬妹」
「おお、犬耳もいいな!」
「オレはダンゼン猫耳派っスね!」
「黄瀬妹―。どっちがいいー?」

スポドリを飲みながらヤジを飛ばしてくる外野に眉を寄せ舌を出すとなぜか喜ばれた。男子とは摩訶不思議な生き物である。

「よし、黄瀬と妹は外行って来い」モップ掛けと選手の休憩がちょうど終わったのを見計らって監督がボールをこちらへ放る。

「うス!」「はい!」
「お、ハモった」
「息ピッタリだなーオイ」
「さすが兄妹ぃ」
「ていうかもう相方?」
「コンビ?」
「相棒?」
「右京さん?」
「いや亀山だろ」
「どっちがどっち?」
「え、じゃあどっちか海外行っちゃうわけ?」
「遠距離恋愛?」
「近親相姦?」
「黄瀬がシスコンなだけだろ」
「いやいや妹も妹で結構ツンデレが……」

伝言ゲームかよ。
ていうか先輩たちドラマとか観るんですね。

「え、そっスか?そう見えるっスか?いやでもコンビなんてそんなオレら出会ってまだ三ヶ月しか、ねぇ環っち?」
「臨界点ぶち抜くまで殺ってきまーす」

「――どっスかね……?」
「……んー。60点」

うわ、微妙。黄瀬くんは苦い表情で地面に倒れ込んだ。汗だくの身体で土の地面に寝転べば起き上がった時にものすごく悲惨なことになってしまうというのにお構いなく、男子ってもういっそその潔さがいいよね、とわたしは倒れるに倒れられずぜんそくじみた呼吸音のままふらふらとゴールポストまで歩み、置いてあったドリンクを掴み、うち一本をダウンしている黄瀬くん向かって放る。――ここで決して落とさないあたりがさすが黄瀬くんだと思う。自分の分のドリンクをごきゅごきゅと喉を鳴らして体内へ流し、上昇するところまで上昇しきった体温を冷却しようと試みる。同じようにごきゅごきゅと、向こうで鳴る音を聞きながら今度はタオルで顔を拭った。

「あー……あっづー…………」
「しばらく休憩しよっか。水でもかぶってくれば?」

本日は晴天なり。
ここまで眩しいとちっともありがたくない太陽に舌打ちしつつ、黄瀬くんに今度はタオルを投げた。かぶるというかむしろ水浴びでもしたい天気である。汗と砂ぼこりが混ざって人工的な泥状態のものが手足に付着している感じがとても気持ち悪い。バスケをしている間は気にならない。というか気付かないのだけれど。黄瀬くんはまだまだ完成度の微妙な練習成果が不服らしく「えー……もうちょっとやれるスよ」とごねたけれど、まあ、これ以上やって前みたく倒れられても困りますし?そんな嫌味を吐くことができる程度には息が調った。

「あっ。またソレ言う!あの時はさぁ」
「嫌味でも何でもいいけど。試合前にエースが潰れたら、洒落にすらなんないんだからね」
「…………ハイ」
「――ていうか、わたしが汗気持ち悪いし。一回着替えたいんだよね」
「……そういうトコ、環っちって変わんないよねェ……」

力のない苦笑を見せ、ヨロヨロと立ち上がりフラフラとした足取りで水飲み場の方へと消えていく黄瀬くん。その背中を見送りながら、どことなく焦りのようなものが彼の中にあるのではないかと思った。

――試合まで残り間わずかだというのに、未だ黄瀬くんのコピーは成功しない。
――模倣のクオリティも黄瀬くん自身のレベルも何もかも、悪くはない。どころか卓越している。現に1on1の結果だって(悔しい事に)わたしの負け越し。一度負けた火神くんにだって今戦えばきっと勝てるだろう。
――けれど、なんだろう。

「――大輝くんと戦ってる、とは感じないんだよなぁ……」

オーラ、というか。
迫力――なんだろうか。
何かが違う。
大輝くん特有のフォームレスシュートがどうしても入らない理由が、そこにはあるのかもしれない。
体格や潜在能力ではなんら遜色ないのだから、(というか黄瀬くんの『模倣』スキルは完璧なのだし)実現は決して不可能ではないはずなのだけれど――


「ただい」
「まー」

夜。
ヘロヘロになったわたしと黄瀬くんが帰宅し、玄関の扉を開けると、「おかえりー」リビングの扉から顔だけ出したお姉様が「今日も汗くっさ!!」と顔をしかめる。

「姉ちゃん」
「今日の」
「晩メシ」
「何です」
「か」
「……いちいち分断しないでくれる?聞きとり辛いわ」
「いや」
「もう」
「なんか」
「しゃべるの」
「めんど」
「くさ」
「く」
「あーもうわかったさっさと風呂行けフロ!!」

「上がるまでコッチ入ってくんなよー」
三言も言葉を交わさないうちに引っ込んでしまった目の保養に残念がるわたしと、既に眠いのか目を閉じたままの黄瀬くん。靴を脱ぐと向き合って、

「じゃんけん」
「ぽい」

わたし→チョキ
黄瀬くん→パー

「ぃやったぁぁ!!」
「うーわー……」

というわけで、爛々と風呂場へ直行するわたし。黄瀬くんは愕然としてそのまま廊下に倒れ込んだ。最近、彼は倒れてばかりだ。多分、夕飯のしたくができてお母様が起こしにくるまでそのまま泥のように眠っているだろう。わたしはその間に泥を落とす。脱衣所で鞄からさんざん濡れたジャージや替えの衣服をカゴに突っ込み、披露した身体に鞭打って着替えた制服をポイポイ脱いで、ようやく浴室に入った。恐れ多くもお姉様と同じ部屋で寝泊りをさせて頂いているわたしは、毎日汗と泥にまみれて(制服に着替える時一応落とすけれど)帰宅する。そのため、部屋はおろかリビングにも風呂から上がるまでは入ってくんなと命じられているわたしの着替えは主にお母様が、そして気が向いた時にお姉様が出して置いてくれる。黄瀬くんの場合は完全にお母様の仕事になっている。「環ちゃーん。置いとくわねー」今日もお母様のようだ。ありがとうございます、とシャワーの音に紛れないように声を張った。

「黄瀬くーん。お風呂いただきましたー……っと」
「あ、タマキ。しー」
「……あらあら」

廊下で待っていたのは、仰向けですっかり眠ってしまっている黄瀬くんと、その腹の上に乗馬ポーズでのしかかっている浩太くんだった。口に指をあて『しー』をする浩太くんは大変可愛らしいのだけれど、反対に下敷きにされている黄瀬くんは大変苦しそうだ。悪夢でも見ているのかうなされているようで「うーん、うーん……」眉を寄せて唸っている。ちょっと可哀想だ、と思ったけれど、恐らく浩太くんはその苦しみを十分想像した上で『しー』をしているようだ。楽しそうに真下で兄がうなされているのを観察して微笑んでいた。

…………。
……………………。

「環ちゃん、何してんのー?メシ食べながら『はねトび』観よー」
「……あ、はーい」

観なかったことにした。
うん。
兄弟って、たぶんそんなもん。
だろう。
たぶん。





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