ポリゴン | ナノ



  
ゴムゴム少年



「――ぐフッ!?」

黄瀬くんが吹っ飛んだ。
というか――こっちに来た!?

「…………」
「へぶっ」

避けた。

「環っち……ヒドイ……」
「酷くない」

今度は顔面から床へ滑り込むことになった黄瀬くんにキッパリと言い張って、うつぶせのままシクシクと泣き出してしまった黄瀬くんを覗き込む。「大丈夫?」と聞けば、「大丈夫じゃないっ」涙目でキッと睨み上げる――入口を。

「――――コラ、浩太っ!!」

その声につられて、わたしもそちらを向いた。

「リョータ、腹へった」
「浩太、お前なぁ……いきなりタックルする奴があるかっ!」
「タックルじゃねーよ。ゴムゴムのジェットロケットだよ。スリラーバーク編でモリアに使ったんだ。知らねーのかよ」
「知ってるわ!オレが貸したマンガだし!」
「明日ジャンプだからな」
「たまには自分も買えよ」
「モデルでガッポリ稼いでんだろ」
「お前ホントに小学生……!?」

…………。
黄瀬浩太くん。
現在、小学五年生。
らしい。
開けっぱなしのドアの前に仁王立ちで立っている、ヤングチャイルド。大きな目に柔らかそうな頬っぺが特徴的の、可愛らしい顔をムスッとさせて黄瀬くんを見下ろすお子様だ。黄瀬くんが小学生だったらこんな感じになるのかもしれない。黒髪だけど。

「起きたらみんないねーんだもん。腹へった!」
「パンか何かあるだろ……」
「目玉焼きが食べたい」
「知るか」
「あとカリカリのベーコンも!」
「……母さんマジでどこ行ったんだよー」

なんていうか、元気な子だ。
てててっと軽い足取りで掛けてきて、やっと起き上がった黄瀬くんの上に乗っかって「食べたい食べたい食べたいいいいい!」そう繰り返す弟くんに負けたのか「あーハイハイ」と背中に乗っけたまま立ち上がる黄瀬くん。兄弟間特有の『間』なのだろう、ポンポンと繰り出される言葉の応酬についていけず、ただボーッと二人を見ているだけだったわたしに気付いてくれた黄瀬くんが困ったようなカオをしてこっちを見る。「環っちゴメン。ちょっと待っててもらっていい?」頷いたわたしにたった今気付いたらしい弟くんは、黄瀬くんの背中にぶら下がったまま顔だけこちらを向いた。

「あれ?この人だれ?」
「あ、えっと……わたしは」
「前言っただろ。しばらくウチ泊まるって」
「ああ!リョータのオンナか!」

…………。
……………………。

「…………黄瀬くん……?」
「ヒッ!!」
「あっ――コラ浩太!逃げんな!!お前のせいだぞ!」

とにもかくにも。
「水無環だよ。よろしくね」リビングに移ったわたし達三人。黄瀬くんは浩太くんのためにキッチンでブツブツ言いながらフライパンと格闘している。座っているようにと言われたのでテーブルの適当な席へ着くと、浩太くんはその向かいに着席した。わたしが笑顔で挨拶をすると、先の騒ぎでの興奮も落ち着いたのか「よろしく」と返してくれた。まだ若干声が上ずっているけれど。……そんなに怖かった?

「おれは浩太。リョータの弟!」
「仲、良さそうだね」
「まーな。おれが仲良くしてやってるからな!」
「へえ」
「リョータはおれの手下なんだぜ」
「浩太くん。『手下』って言葉は悪者が使う言葉だよ。正しくは、『子分』」
「まじでか!」
「ちょっと環っち!コータに何吹き込んでんスかっ!!」
「リョータ!おまえ今日からおれの子分な!」
「お前頼むからもうちょっとネコ被れ!」
「弟に何てことを要求するの」
「いや、兄の威厳が……」
「五つも下の弟に名前呼びされてる時点で威厳ないのなんて丸分かりだからね」
「ヒドッ!!」
「やばい。おれタマキのこと気に入ったかも」
「え。ありがとう」
「待って、なんで今ので!?」

とかなんとか。
カウンターを挟んでせわしなく動き回る黄瀬くんを混ぜて雑談しているうちに浩太くんご所望の目玉焼きとベーコン、レタスとトマトの簡易なサラダ、バタートーストと牛乳が浩太くんの前に並べられる。おお。意外と黄瀬くん、料理上手。ついでにわたしの前にはオレンジジュースが置かれた。「なんで二人が向かい合ってんの」と不満げな黄瀬くんは浩太くんの隣に座って、「いただきます!」をしてからトーストにかぶりついた浩太くんを呆れたように見下ろして息を吐いた。

「何て言うか……おつかれ」
「なんで朝から浩太の世話……。
「楽しそうだね」
「環っちは今すぐその認識を改めた方がいい!!マジで!!」
「お姉さんもいるんだよね?賑やかそう」
「姉ちゃん加わったらもう……手がつけられない……」
「え、そんなに?なんで?」
「なータマキ。タマキって、一ヶ月おれのねーちゃんになるんだろ?」
「あ、うん。そうだよ」
「じゃータマキは自由研究係な!」
「え?」
「夏休みの宿題だよ……コイツいっつも残り三日切ってからやるから家族みんな手伝わされてさぁ」
「なんだよ、リョータだって。おれ知ってんだからな!去年シンタローに泣きついてたの!」
「あっ、バカ!」
「緑間くん?へぇ。やっぱ頭いいんだ」
「…………」
「いって!なにすんだよ!」
「お前のせいでオレの評価が間違いなく10は下がった!」
「ジゴージトクだろー!?なータマキ!」
「つか何呼び捨てにしてんだよ!」

ぎゃあぎゃあと言い合いながら飲み込まれていく朝食。二人が騒いでいるのを頬杖ついて見守って、やっぱり仲良いよなぁと若干いつもより和やかな気持ちになる。黄瀬くんの口調や態度も普段よりさらに幼くなっていて、というかまずこんなに食ってかかる黄瀬くんをはじめて見たよわたしは。浩太くんとは同じ土俵に立っているのだろうなぁと窺わせる。なるほど、子供の威力はすごい。うちにも弟か妹、一人ぐらい出来ればいいのに……。無茶を言えば兄か姉も欲しい。

「にぎやかだなぁ」
「何で環っちがそんなにほのぼのしてられるのかが分からない……!」
「タマキ!今日からタマキはおれの弟子なんだからなっ」
「そうなの?」
「一緒にリョータをやっつけようぜ!」
「オイ」
「なるほど」
「オイ!?」

すっかり朝食をたいらげて満足したらしい浩太くん。ピョンと椅子から降りたと思えば、わたしのところまで来て「おれが案内してやるよっ」と自信ありげに笑う。

「いや、案内はオレするし」
「…………きゅんとした」
「こいつに!?なんでッ!?」
「なータマキ、はやく行こーぜ。はーやーくうー!」
「よしよし」
「あっ……ちょ、環っちー!!」

十五分後。

「浩太に環っち取られた……せっかくおいしいシチュエーションになったっていうのに……なんでこう……いつもおいしいトコばっか持ってかれて……しかも今回は弟に……ッ!!なんでオレはいつもこうなんだろう……なんで……なんで……」
「なにブツブツ言ってるの?」
「うわっ!環っち!」
「うわって」
「あ、案内は?終わったんスか」
「一通りね。浩太くんは友達とDSバトルがどうとかで、さっき出かけてったよ」

再び黄瀬くんの部屋。
床に体育座りで何やらブツブツ言っていた不気味な黄瀬くん。わたしの後ろを覗くようにしてきたので浩太くんが遊びに行ったことを告げると「ふーん」とそっけない返事が返ってきた。

「淋しいの?」
「淋しくないっ!」
「なんで。可愛い弟じゃない」
「あれのどこをどう見たらそう思うのかがわからないっス」
「えー?」

とかなんとか。
そんな雑談をしながらくつろいでいると、ガチャガチャと下の階からなじみ深い金属音が聞こえてきた。「やっとか」と不満げな声を上げて腰を上げる黄瀬くん。部屋を出ようとするので、これはわたしもついて行った方がいいだろうと、鞄と共に置いてあった紙袋を片手に、後を追ってわたしも階段を下りる。「たっだいまー」と、女性二人のハモりが聞こえて、前を行く黄瀬くんの背中から顔を覗かせる。

言葉を失った。

「お、涼太。いいとこ来たじゃーん」
「荷物が多くて。これ冷蔵庫入れといて」
「買い物行ってたのかよ」
「誰かさんがよく食うからねぇ、食費がかさんでかさんで」
「姉ちゃんと同じくらいしか食べてないし」
「それは私が大食いって言いたいのか?ぁあん?」
「ガラ悪!!ってか環っちいる前で止めてくんない?」
「あら。もう連れて来たの?デートでもしてくればよかったのに」
「ちょっおおおおお!!何言ってんの!?何言ってんの!?環っちとは別にそんな関係じゃ……ッ」
「へー。でも涼太は好きなんでしょ?」
「ちょおおおおおおおおお!!!!」

綺麗に整えられたショートヘアは黒が艶やかで、どこか黄瀬くんと面影を重ねる優しくてとても上品そうなたたずまいの女性。三人きょうだいの母ということで確実に四十は超えているのだろうけれど、年齢を感じさせない美貌をもったその人は、スーパーの袋が著しく似合わない。その隣にいるのは、少しピンクがかったブラウンの髪がふわふわと揺れる、きれいな女性。こちらはモロ黄瀬くんと似ているな……というかきれい。マジきれい。ていうかこの二人に平然と加わっている黄瀬くんがすごい。もう、話してる内容が耳に入ってこない。圧倒されて近付けないよ、わたしは……!

「環っち?おーい環っち?起きてる?どしたの?」
「ふっ。私のあまりの美しさに気圧されたか」
「何言ってんの姉ちゃん」
「あ、はい、気圧されました」
「何言ってんの環っち!?」
「へえ。正直者ね。気に入った」
「姉ちゃん黙っててくれる?」
「……黄瀬くん、わたし、帰る」
「え?なんで?」
「なんか……恐れ多くなってきた」
「環っち!?」

美人はさつきちゃんでだいぶ見慣れているはずなのに、このひとのそれは、なんかもう後光が射しているようにすら感じられる。ま、まぶしい……。

「とにかく落ち着いて話をしよう!ホラ早く入って二人とも!」
「ごめんください。おじゃましました」
「環っちとにかく落ち着いてぇ――ッ!!」





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