ポリゴン | ナノ



  
なけなしの誠意



「……大輝くん?」

夜。家の前に誰か立っているのが見えた。ので、足を止めないまま目をこらすと、どうやら先日電話でわたしが喧嘩腰でまくしあげた揚げ句一方的に切った青峰大輝くんのように窺えた。え、近づきたくない。今は。と思いながらも彼は表札のかかっている門柱のところに寄り掛かっているため、家に入ろうとすれば見つかってしまうのだ。やっぱ教えなきゃよかったな、と後悔していたりしていなかったり。ある程度まで近くなったところで「大輝くん」と呼べば顔を上げた。

「よぉ」
「……こ、こんばんは」
「……プ」
「笑うな!」
「わりーわりー」

わたしの緊張を返せ。
くく、と喉で笑う様子が限りなく腹立たしかった。キッ!と精一杯に大輝くんを睨むと生温い目で軽ーく謝られる。こないだの電話のことなんか無かったかのように普段通りなので、安心半分と悔しさ半分。せっかくここまで来たのだからと「上がる?」そう尋ねれば大輝くんは頷いて、わたしに続いて門を通って家へ入る。上がって待てばよかったのに、と思ったけれど、どうやらお母さんは買い物にでも出ているのだろう、家の中はカラだった。無人のキッチンで明かりをつけないまま冷蔵庫から麦茶を出して二人分のコップに注ぐ。お盆に乗せたところでそれは褐色の腕にさらわれた。ありがと、と言えば、おー、と気のない返事が返ってくる。なんかこそばゆいな。

「どうする?部屋?居間?お母さんいないからソファー使えるよ」
「部屋」
「ソファー……」
「部屋」
「……じゃ、二階ね」

そんなやりとりをして二階へ上がる。スカートのため、大輝くんを先に階段を上がらせれば「チッ」と舌打ちをしながら大輝くんはノロノロと上る。当たり前でしょうが、と内心で突っ込みながら、わたしも続く。部屋に入ると真っ先に前来た時読んでいた漫画の続きを本棚から取り出した大輝くんに「まずお盆を置いて」と厳しく言いつけて、わたしはベッドに座る。しぶしぶテーブルの上に置いて、大輝くんも隣に座った。すぐに漫画を読むのかと(というか漫画を読みに来たのかと)思ったけれど、座ったっきり開く様子もないので隣を見上げると、目が合った。

「……どうしたの」
「……ん。謝りに来た」
「は?」
「こないだ、悪かった」

──こないだ。
──悪かった。
──悪かった?

「…………」
「…………」
「…………」
「何か言えよ」
「ご、ごめ。や。だって」

まさか青峰くんが謝るとは。
驚愕のあまりしどろもどろになりながらそう続けると、「青峰くんって何だよ」と少し照れたように話を逸らした。ついでに顔ごと背けて、漫画を読み始めてしまうので焦って「ごめんね」ともう一回謝る。「せっかく人がマジメによぉ」と、目のあたりから下を漫画で隠して横目でこっちを見てくる大輝くんは本格的に拗ねているらしい。

まさか、謝りに来てくれるとは。
しかも自分に非のないことなのに。

こないだに関して加えて言えば、大輝くんが悪い悪くない以前に、そもそもコーチの件をスムーズに進めるために、勝手に怒った振りをしただけなのだ。

「わたしも、ごめんね」
「…………ん」

わざわざ謝りに来てくれたことが、わたしはどうにも嬉しいらしい。と同時に申し訳なくなる。

「来てくれてありがとう」
「──こんなことで、オマエ手放すわけにはいかねーしな」
「え」
「やっと会えたんだ。よくわかんねーまま、また離れてたまるかよ」

だって、嘘なのだ。

「練習はダリーし今日はサボった」
「…………」
「けど、こないだは行った」
「……うん」
「そんだけかよ」
「当然のことだもん」
「で、昨日までは反省期間ってコトで」
「ふーん」
「誠意は伝わったかよ」
「……うん」

誠意じゃない何かも。
というのは言わずにおく。

「な。ホントに夏休み遊べねーのかよ」
「……ん」
「…………」
「ごめんね」
「つまんねー」
「終わったら、いっぱい遊ぼうよ」
「終わったら?」
「……帰って来たら」
「よし。じゃー約束な」
「うん、約束」

その、何事にも余裕そうな態度がむかつくんだけどな、と絡んだ小指の熱を感じながら思う。

「あー、しあわせ」
「…………」

…………。
……くそう!


金曜の午後。期末試験の返却が完了し、授業が終わり、HRを切り上げ、井原先輩のお誘いを断って足早に学校を出て駅へ向かう。電車を乗り継ぎ、到着駅構内のトイレで身支度を調え、気合いも充分にしたわたしの目の前にそびえ立つのは海常高校。ここ最近は割と足しげく通ってはいるのだけれど、いかんせん。今日のわたしは、一味違うのだ。数十秒前から校門前で立ち止まり、深呼吸をする。荷物をまとめてあるリュックを握り、力を込めた。そうしていると校舎から出て来たとある人影がまっすぐこちらへと歩いて、だんだんとその表情がはっきり見えてくる。すこし、いやかなり驚いたようなカオで、けれど見間違うことなくわたしの目だけを見て歩いてくる。周りにはちらほらと下校する生徒が見え、更に練習着姿で近付いてくる彼の周りには女子生徒の群れが確認できた。わたしは静かに、空気を胸に溜め込む。

──これを言ってしまえば、もう後戻りは出来ない。

少しだけ、息を吐いた。

──んなもん、最初からわかってる。

リュックの肩掛け部分を力強く握っていたうちの片手を外し、それを勢いよく上へまっすぐに伸ばした。

こちらへ歩いてくる彼は言う。

「おーい!タマキーっ!」

そして。
そして、わたしは言う。

「涼太お兄ちゃん!」

そして、笑った。
一斉に向けられる視線を敏感に痛烈に感じ取りながらも、共謀者二人が笑顔を絶やすことはなかった。




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