朝。 登校して教室へ入ると真っ先に目がいったのは、窓側後ろで既に着席している黒子くんだった。いつもは隣である自分の席に着くまで──というよりは授業中に話しかけられるなど何らかのアクションを仕掛けられるまではその存在に気が付くことはないのだけれど──今日は何故か真っ先に目がいってしまった。首を傾げて、けれど入口の前で突っ立っているわけにもいかないので自分の席へと向かう。クラスメートに挨拶して、机に鞄を置く。隣の黒子くんを見た。 「……おはよう」 「おはようございます」 「早いね」 「朝練が無かったですから」 「そ」 ──元気そうだ。 ──元気そうか? わたしにはいつもと変わらないように見えるのだけれど、よくわからない。あの桐皇戦を経てから、心身共に疲弊してしまった誠凛は残りの決勝リーグも二つ負けてしまい、ついにIHへ進出することは叶わなかったという。その理由の一つに黒子くんの不調があるというのだから、何かしらの変化はあると思ったのだけれど。黒子くんはいつものように会話を終えるとそれまで読んでいた本に視線を落としてしまう。ふぅん、と内心頷いて、わたしは教科書を机の中にしまった。火神くんの席を見る。火神くんは突っ伏して寝ていた。 「黒子くん」 「はい?」 「ヤツの足、大丈夫なの?」 「──ああ。筋を痛めたらしくて、しばらく部活は見学らしいです」 「ふぅん。ねえ、放課後は練習ある?」 「はい。いつも通り」 「5倍くらいになってそうだよね」 「恐ろしいこと言わないで下さい」 ぶる、と身震いする黒子くんに冗談だよと返したものの、相田先輩ならやりかねない、と思ってわたしも少し震えた。ただでさえ殺人的メニューなのに。すると黒子くんは読んでいた本にしおりを挟み、閉じたのを机にしまった。そして「水無さんは」と口を開く。 「水無さんは、桐皇戦を観に来てましたよね」 「え?な、なんで?」 「青峰くんが水無さんを見ていました」 「…………。来てたけど」 そういえばわたし、 黒子くんに嘘吐いてたな。 てっきりそこについて突っ込まれるのかと思ったけれど、しかし黒子くんは少し俯いた。 「どう思いました?」 「…………え」 「青峰くんに圧倒的な力の差を見せつけられて、ボクのバスケも通じなくて、それでも悪あがきしていたボクを見て、どう思いましたか?」 「────」 ──ああ。 これは──かなり深い。 思っていたより、かなり深刻だ。 落ちてないはずが──ない。 影響だって如実に出ていたというのに。 「阿呆と思いましたか」 「──黒子くんはさ」 「…………」 「志を折られちゃったのかな」 「…………」 「もしかしてそこの阿呆に何か言われちゃった?大切なパートナーにまでムリだとかダメだとか言われちゃったわけだ」 「…………」 「身体的にもう成長出来ない自分にはこれが限界だとか、思っちゃったり?」 「…………ボクは」 「バカかな」 「…………」 「黒子くんはただのバカ」 「…………」 「そしてわたしもバカ」 自嘲じみたわたしの呟きに、黒子くんは不思議そうにわたしを見た。それに気付いてごまかすように笑ってみせると、今度は驚いたようにわたしを見る。 「かっこよかったよ」 「……はい?」 「試合。観て、かっこいいなって思った。強いなって」 「…………」 「けど、今の黒子くんは弱っちいね」 何も言い返さない黒子くんに全く手応えを感じず、仕方なく「ま。元から弱っちいわたしが言うのもアレなんだけどね」と会話を切る。タイミングよく朝練上がりの牧江ちゃんが来たので挨拶をして、それから土曜日に観に行った映画とその後のケーキ屋について話を弾ませて、そして先生が来て授業が始まる。火神くんは起きなかった。 「ウィンターカップ!全てをぶつけるのはそこよ!!」 12月、東京で開催される全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会。出場校は各都道府県予選を勝ち抜いた男女各48校で、開催地である東京都は通年2校、ただし今年は特別枠が設けられて3校である。ウィキペディアより抜粋。 「冬は死ぬな、裸。頑張れよ」 「オマエ……他人事だと思って」 「ヒトゴトだ」 「てゆーか好きな子に告白とかやめて!全校女子はオレの彼女なんだから!」 「黙れ。死ね!!」 「あっ。もちろん相田ちゃんと水無ちゃんもオレカノだから」 「死んで」「ください」 「あぁん冷たいっ!!」 「こないだ見舞い行ってきたぞ」 「木吉か。アイツ元気してた?」 「木吉先輩、一体どういう病気でああなっちゃったんですか?」 「病気じゃないわよ!?」 「あー。水無ちゃん木吉と相性悪いみたい」 「別に悪かないですが」 「ですが?」 「あの人と喋ってると、こう……つい怒鳴りたくなるというか」 「あー」 「順ちゃんヒドーい」 「るせーよ」 帰り道。 連れ立ってぞろぞろと部室を後にする男バス部と、わたし達ストバス同好会の一行。火神くんは結局部活には顔を出さなかった。授業中はたまに起きて、窓の外をぼんやり見つめていたけれど、休み時間は全部寝ていた。授業が終わると足早に出ていったので部活は出ると思ったのだけれど、結局今日は挨拶すらしていなかった。色々な雑談をしながら歩く一行の中に、黒子くんの姿はない。先に出て行ってしまったし──と。 「────お」 ぼんやりしながら歩いていると、ポケットの中の携帯が震えているのに気付いた。誰からだろうと見ると『青峰大輝』の文字。しかも電話だ。何だろう、とも思ったけれど、まあ多分、用事なんかないんだろうなと息を吐いた。集団から少し距離を空けてから通話ボタンを押す。 『もしもし』 『今どこ?』 『なに?』 『なんで家にいねーんだよ』 『部活だよバカ』 『部活?いつもこんなにおせーのか』 『まだ七時だよ』 『もう七時だバカ』 『男バスと合同練してたの』 『は?テツと?ずりー』 『ずるいって何』 『よし。迎えに行く』 『来んな!』 思わず突っ込んだ。 この男、 傷口に塩を塗り込む気か。 誠凛だと言っているじゃないか。 声に驚いてこちらを見てくる誠凛メンバーに何でもないですと手を振った。 『んだよー』 『あと十分くらいで着くし』 『お。じゃー待っとくわ』 『え?……大輝くん今どこ?』 『オマエんちで夕飯食ってる』 『死んで』 切った。 …………。 ………………。 「……わたし、これよりダッシュで帰らなければならない用事──もとい雑用が出来ましたので、これにて失礼致します」 「そ、そんな深々と……」 「それじゃ」深々と頭を下げて、挨拶の後全力で駆け出した。目的の人間がいなかったというのに居座って堂々と夕飯を食べている大輝くんもだけれど──何家に上げてんだ。そして何夕食を提供してるんだ。マイマザー。途中、いきなり切ったからだろう何度もかかってくる電話を総無視して、わたしは、今自分が出来うる限りの全力を出し自宅へと駆け込み、まずはうまうまとハンバーグを平らげる大輝くんをシバき、そしてニヤニヤの絶えないお母さんに向かって「お母さんのバカ!」と一吠えたのだった。 ← → |