「よろしくな、環ちゃん」 ようやっと、木吉鉄平がわたしの名前を呼んで握手を求めてきたのは怒涛のボケツッコミの五分間をお送りした後のことだった。わたしはなんだかもう、ぐったりで先輩が用意してくれた来客用の椅子に座ったまま手を出した。ニコニコしたままブンブンと振り回す木吉先輩は、何というか、元気だ。ていうか手ェ大きいな。 「やー、羨ましいな広輔!こんな可愛い後輩が出来て!」 「だろだろ?それに水無ちゃんバスケ上手いし。強いし」 「そうか。じゃあ環ちゃん、コート行こうか!」 「なんで!つかケガ人でしょあんた!」 「いや、実はもう二週間で復帰なんだ」 膝のケガで去年入院し、リハビリを受けていたらしい木吉先輩はもう退院間近らしい。そういえばそんな話を聞いたような聞かなかったような。へらーっと笑って「早くバスケがしたいよ」大きな身体をうずうずさせるのが何か子供っぽい。 「おいこら。そっちにも出来たぞ、カワイー後輩」 「ホントか?嬉しいなぁ」 「……言っときますが、男ですよ」 「マジか!」 「…………」 「み、水無ちゃん!林檎!林檎剥こーか林檎!てっぺー、食べてい?」 「ああ、どーぞ」 わたしの無言で何かを感じとったらしい井原先輩はバスケットから林檎と、机の引き出しにしまってあった果物ナイフを見せる。「見て見て〜」ビュオン、と。まるで時代劇の侍がするかのような抜刀まで見せてきた先輩からナイフを引ったくった。 「あれ」 「わたしが剥きます」 「せっかく井原流最終奥義『木っ端微塵』を披露しようと」 「危なすぎるわ」 「えー」 「皿どこですか」 「開きの中」 「ウサギが食いたい」 「作れません」 「田原、病院の中でそれはちょっとグロいぞ」 「林檎の形のことですからね!一応言っとくけど!」 とかまあ、 そんな感じで。 「環ーっち!!」 リハビリの時間だと看護士さんが呼びに来るまで木吉先輩の病室で色々話をして、病院を出てから先輩達と別れ、それからその辺を散歩していたわたしにやって来た次のイベントは黄瀬くんだった。並木道で突然背後から捕縛された瞬間は身構えたけれど、すぐに黄瀬くんだと発覚して力を抜く。「何でコートにいないんスかー」と泣きつく彼の息は多少弾んでいるところからして、まあ、探したんだろう。色んなとこを。 「いつもんとこいないしっ、みんな携帯繋がらないしっ、オ、オレついに仲間ハズレにされたのかとっ」 「あ。電源切ってた」 「三人共っスか?」 「三人共だよ。──ほら、泣かないの」 「むうっ」 ハンカチで涙を拭ってやると、止まるどころか更に溢れてくる。マジ泣きかよ、と呆れつつ「この後部活あるんじゃないの?」と聞くと頷く黄瀬くん。それならさっさと帰ればいいのに、と思いながら、わたしは散歩コースを駅までの道に決定して後ろから回された腕を解いて歩き出した。ほら行くよ、と言えばちょっと目の赤い黄瀬くんは隣へ並んだ。 「そんな泣かなくたってさぁ」 「いつも言ってんじゃんスか、オレ仲間外れヤなんスってば!」 「しないってば。いつも言ってるよ」 「……環っち!」 「抱き着くな。多分二人も電源入れるの忘れてると思うから気付くまで待ってあげてね」 歩きがてら話して、話しながら携帯の電源を入れて着信をチェックするとメールと電話の履歴がすごいことになっていた。今はもうすっかりいつもの調子の黄瀬くん。どんだけ淋しがり屋なんだよ、と笑ってしまう。 「……環っちー」 「なに?」 「オレ、いつもの環っちが好き」 いきなり何。 と横を向くと、にこーっと花を飛ばす笑顔で見られている。女のわたしよりも可愛らしくて若干凹んだりするわけなのだけれど。 「でも、笑うようになった環っちはもーっと好きです」 「……アリさんマーク?」 「あのCM懐かしいスよね〜。あの女の子の声超可愛くて……って違う違う」 「ノっておいて今更」 「んー。いや、言ってみたくなっただけだからいいんだけど……でもやっぱもうちょっとこう……」 「うん?あ、そうそう。東京都の代表決まったから、インハイのトーナメントも決まるんだよね?」 「うん。週始めには届くみたいっス」 「先輩がコピーちょうだいって」 「ハハ。観に来てくれるんスか」 「みたいだよ。まあ電車とバス乗り継げば行けない距離でもないしね」 「そっか。じゃー良いトコ見せなきゃだ」と黄瀬くんは言って、「環っちは?」と聞いときた。わたしは少し考えて、「行くよ」と返した。黄瀬くんも驚いたけれど、一番驚いていたのは実はわたしだったりする。 「来るの?」 「ちょっと興味あるかも」 かもしれない。 と言いながらも、結構あったりするのだから驚嘆ものだ。そんなわたしに気付いたらしい黄瀬くんはそっか、と笑った。「じゃ、もっと頑張らなきゃだ」と嬉しそうにするので少し照れた。 「今ノってるっスよオレ」 「へえ」 「ノリノリっスよ」 「ふうん」 「この勢いで優勝するっスよ」 「えー」 「本気っスよ」 「はあん」 「環っちには悪いケド、青峰っちだって倒しちゃうんスからね」 「…………」 黄瀬くんって、大輝くんにこだわるよなあ。まあ、わたしも黄瀬くんもバスケを始めるきっかけになった憧れの人が同じだというので、彼の話題が多いのは仕方のないことだけれど。むしろ出なかった今までの方がおかしくて、これまで隠していたわたしの方がおかしかったのだ。というかわたしだって振り返ると大分彼に拘泥しているのだけれど。けれど、ふふん、と笑う黄瀬くんにわたしは息を吐いてしまう。 「黄瀬くんは何か勘違いしてる」 「え?」 「わたしは別に、大輝くんが負けたって悲しんだりしない。むしろ喜ぶよ。もっとやれって感じで」 「……ええ?だって環っちは」 「出来るならわたしが負かしてやりたいと思うんだけどね。けど多分、わたしには一生越えられない」 「…………」 「大輝くんは、もうわたしにバスケを求めてないから」 あの日、大輝くんは言った。 お前はいてくれるだけで良かったと。 上手くなったな、と彼は笑った。 でも――つまり、そういうことだ。 大輝くんから逃げ、 再び戻ってきた今。 大輝くんはわたしを── 女の子としか見てくれない。 わたしと大輝くんの繋がりはバスケだけだった。バスケであるべきだと思っていた。でも大輝くんは違う。 大輝くんにすれば、 それがバスケでなくたっていいのだ。 「わたしはそれが──とても悔しい」 わたしとバスケをしたい。 そうは思ってくれてない。 そんな気がした。 悔しい── こんなに好きにさせておいて。 ずるい。 「悔しいけど──だから、いいよ。全力で戦って、全力を出し切って、そんで大輝くんに勝ってよ」 「環っちは、それでいいの?」 「……うん」 「…………そっか」 悔しいけど、 寂しいけれど、 そういうものなのかもしれない。 そうやって少しずつ、 変わっていくものなのだ。 人も、人との関係も。 それが── 大人になるということ。 「……けど、やっぱり淋しいっスよ」 「──だから黄瀬くん、要は頑張ってねってことだよ」 それから何となく黙ってしまい、しばらくは黙々と進む。目的地が見えてきて、前を指さして「駅着いたよ」と隣に言った。けれど黄瀬くんはわたしの腕を掴み、ひどく真剣なカオをして言うのだ。 「…………付き合って」 ← → |