ポリゴン | ナノ



  
単純なままの人



「────環」

相当に、間抜けなカオをしていたに違いない。いやいや、いやいやいやいやいや。何で。あれ?なんで?なんでここに?青峰くんが?さっきまで悪い笑みでコートの中を駆け回っていた人が?あれ、さっきだっけ?さっきっていつ?グルグルグル、とやたら回転するくせにちっとも何かを思考しない脳みそで目までやられてしまったのか。ギャラリーの出入口に立つ青峰くんが、わたしを見る。わたしも青峰くんを見た。目が合って、青峰くんが階段を降りて、近付いてくる。わたしは──

「どわっ──ちょ、環っち!?」

黄瀬くんの後ろに隠れた。

「待って!待って待って待って!」
「何で隠れるっスか!」
「いやいやいやいきなり過ぎるでしょう!これは!こ、心の準備がっ──」
「諦め悪すぎっスよ!」
「ふぬぅ……!」

黄瀬くんの腕にしがみつき、前へ押し出そうとするのを全力で阻止する。「環っちそんなキャラだっけ……っ!?」馬鹿やろう、キャラとか気にしてる場合か。「青峰っちめちゃくちゃこっち見てんスけど!」……知るか!青峰くんは何も言わないし、わたしを無理矢理引っ張り出すこともせず、恐らく黄瀬くんの言う通りただこちらを見ているだけなのだろう。

──だから、ずるい。
と、わたしは思うのだ。

「いい加減諦めて!」
「諦めるのだけは、絶対に嫌だ!」
「何かそれさっき聞いたーっ!!」

ぐぐぐ、と膠着状態がたっぷり数十秒。黄瀬くんは力いっぱい引っ張るし、わたしはテコでも動くまいとする。

「環」

──でも、ずるいのだ。
それでも青峰くんがわたしを呼ぶと、身体は勝手に青峰くんの前に出てしまうのだから。手に負えない。これはわたしの身体じゃなかったのか。そうなのか。とか何とか。まだぐるぐるする頭でぐるぐるしながら、青峰くんと向かい合う。──何を言われるか分からなくて、怖くて、ここまできて怖くて、だからまだ時間が欲しかったのに。目を見れなくて、俯くともう一度名前を呼ばれる。何かを、言おうとカラカラに渇いた喉から振り絞ろうとする。さっき水、飲んだのに。

「環」
「──青、峰くん……」
「──大輝だっつってんだろ」
「わ」

掠れて、震えて、名前を呼ぶと、真正面から抱きしめられた。鼻に胸がぶつかって、思わず声が漏れたけれど──青峰くんの腕の中にいると気付いたら、もう声なんか出なかった。声にならない悲鳴で、余計にぐるぐるするし、久しぶり過ぎる再会で、相当勝手なことしてて、なのに会いに来てくれて、ていうか何でわたしがいるって、あの声聞こえてたのかとか、なんで抱きしめるのかとか、怒ってないのかとか、呆れてないのかとか、嫌いになってないのかとか、色々、ぐるぐると、延々と、考えてしまって、なのに、なのに青峰くんは何で、

「──やっと、会えた」

何でそんな、
嬉しそうに。
哀しそうに。
幸福そうに。
愛おしげに。
安堵したような、
充足したような、声。

何で見つけてくれるの。

「あ、おみね、くん」

止まった涙が、また迫り上がってくる。けどそれは頬を伝う前に青峰くんのジャージに染み込まれていく。グシャグシャになった声で、青峰くんを繰り返す。過去に大きいねと合わせて笑った手がしっかりと腰に回される。たくましい両腕に閉じ込められて、身動きが出来なかった。

「会いたかった」

──ずるい。
離してくれない上に、
離れさせてもくれない。

「…………汗くさいよ」

わたしになんとか言うことが出来たのは、そんな憎まれ口だけだった。ああ、可愛くない。自分でもハッキリそう思ったのだけれど、この場面で『汗くさい』と何だかピンク色のムードをぶち壊しにされた青峰くんは喉で笑うだけだった。くく、と笑う音がこちらにも響いてくる。バクバクする心臓と猛スピードで回り続けるだけの脳みそを伴ったわたしには、笑う余裕なんて無いのだけれど。うわ、やばい。やばいやばいやばい。絶対これ顔やばい。

笑う青峰くんと、今までとは全然違う意味で笑えないわたし。

「…………」
「…………」

沈黙。
と言っても青峰くんは笑っているのだけれど。──そうだ、だからおかしいんだ。
こんな熱烈なハグをされるようなことはしていない──というか、嫌われていてもおかしくないのに、笑って、抱きしめてくるから──

「あのー……オレ外で待ってるっスね」

奇妙な沈黙の終止符を打ったのは、気まずそうなのが明瞭な黄瀬くんだった。いたのか。いや、いたのだ。ていうか、いたじゃないか。
忘れるなよ。
ていうか見られてた?
現在進行形で見られてる?
うわあ。
──恥ずかしっ!

「あ?つーか帰ればいーだろ」
「や、環っち帰り道危ないじゃんスか」
「オレが送る」
「…………」
「帰れ」
「…………」
「…………」
「…………」

何、この空気。
未だに顔を押し付けられたままなため、二人の表情は窺えない。妙な沈黙に堪えられなくなったわたしは青峰くんの胸を手の平で軽く押した。腰をがっちりとホールドされているので、彼が離してくれないことには出られないのである。お?とわたしに気付いたらしく、押されるまま少し距離を空けてくれた。顔を上げると、青峰くんとバッチリ目が合って、また俯く。俯いちゃダメなんだけど。──まず、謝らなくちゃだろ。どう考えても。何で汗くさいとか言ったんだわたし。とりあえず謝らなくちゃと思って、切り出そうとしたのだけれど「あ、あの」何か見知らぬ人に話しかける時みたいな言い方になってしまった。

「青峰くん……」
「おー」
「……その」
「…………」
「ごめんなさい」
「……おー」
「……聞いてる?」
「きーてるよ。つか謝るようなコトじゃねーだろ、別に。絶対来なきゃなんねーってモンでもなかったしよ」
「…………」
「……まあ、その、なんだ」
「…………」
「オレは、待ってたけどな」
「…………」

きっと今なら顔から火が出せる。
死ぬほど恥ずかしくなり、
とても申し訳なくなって、
すごく嬉しかった。
久しぶりに直視した青峰くんの笑顔は男の人のもので、やっぱり前とは違ったけれど穏やかだ。笑って、頭を撫でる掌が懐かしい。前みたくちょっと乱暴じゃないのは、やっぱり大人になったということなのだろうか。──こんな風にゴチャゴチャ考えるようになったわたしも。

「なんつーか、さ」

されるがまま大人しくされていたわたしを見下ろして、青峰くんは零す。

「ここ来るまでは色々考えてたんだけどよ」
「──うん」
「もーいい」

余計なものを全部取っ払って、放り投げてしまったかのように、青峰くんはスッキリしたような表情をしている。

「なんか、お前に会えたらどーでもよくなったわ」

ホント、単純なんだから。


──その晩。
どれくらいぶりだろうか、
二人であのコートへ行った。
暗かったけど、
お互いに疲れていたけど、
わたし達はバスケをした。
やっぱり負けた。

二人でいることが何よりも大事だったあの時とは違って、負けたことがどうしようもなく悔しかった。悔しがってむくれたわたしに、けれど青峰くんはよくここまで伸びたなと少しビックリしたように呟いた。少しは、食らいついていけてるということだろうか。そう思うと嬉しさが込み上げてにやけそうになる。

青峰くん、バスケ、嫌い?

不意に、わたしはそう言った。
間違いなく、彼はわたしが逃げた理由を察しただろう。今のバスケに対する姿勢だということにはもう気付いているはずだ。もっと言うなら、こうなることすら予感していたはずなのだ。だって、今から思えば青峰くん、わたしにはあんな風にバスケをする姿を見せまいとしていたのだろうから。青峰くんの試合を観たのはあの時が初めてで、観に行ったのは青峰くんに誘われたからではない。どころか、わたしは試合に誘われたことすらないのだ。少なくとも──中二の夏以降は。

つまり、そういうことだった。

嫌いじゃねーよ。

夜空に響く。
ずっと思い焦がれた声が、小さく、だけど確かにそう紡いだのをわたしは聞き逃さない。

けど楽しくはねーな。

辺りは暗くて、表情はよく見えない。
でも淋しそうな声だった。

オレに勝てるのはオレだけだから。

周りを遠ざけて。
嘲笑して見下して。
好き好きに振る舞う。
そんな性格じゃないくせに。

……でも、久々にお前とやれてスゲー嬉しかった。

もっと素直に、
もっと単純に、
もっと純粋に、
もっと自由にしていいのに。

お前といれば、いつも楽しかったよ。オレは。

少なくとも演技などでは無かったのだと信じてもいいのだろうか。青峰くんは、あの強い青峰くんが、今までずっと、確かにわたしを必要としてくれていたのだと自惚れてもいいのだろうか。お前はいるだけでよかった。そう言って、青峰くんはまたわたしを抱きしめる。

ドキドキする。
クラクラした。

ずっと、ずっと会いたかった。
わたしも会いたかった。




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