ポリゴン | ナノ



  
決めたこと



翌日、教室で小雀さんが話しかけてきた。内容は昨日のことの謝罪と、あの女の子についての説明だと言うので、ここで話すのはなんだからとわたし達は屋上へ行った。チャイムが鳴り授業が始まって、人がいないのを確認してから、小雀さんはまず謝ってきた。

『昨日、ごめん』
『……ううん』
『驚いたよね。それに怖がらせた』
『…………あの子のこと、聞かない方がいいなら話さなくていいよ』
『ううん。聞いて』
『…………』

拒むことは出来なかった。
正直耳を塞ぎたかったけれど、気になっていたのは事実だったからそれはしなかった。

気になっていた。
──眠れない程に、強く。

『アイツ、うちの女バスの主将やってんだ』
『……同じ学校の子?』
『ん。制服だったでしょ』
『……そうなんだ。何組?』
『C組。──安心して。今日は休んでるみたいだから』
『…………』

欠席。
昨日の喧嘩のせいなのだろうか。あれは完全に校外、課外でのことだったけれど、周りに誰か見てる人がいたのかもしれない。もしかしたらそのせいかも──と思った。けど、それなら小雀さんやわたしも事情を聞かれているだろうし──

『アイツ、転校生でさ。すぐ女バス入ったんだ。上手くて。三年が引退して部長を決める時期だったからあたしとアイツが挙げられて、でも転校したばっかで部を任せるのもって言われてあたしを推したセンパイが多かった。けどあたし、ガラじゃないしさ。断った』
『それで──あの子に』
『うん。でもアイツ、部員にやたら厳しいメニュー充てるようになって。厳しいだけなら良いけど……何ていうか、気魄迫るモンがあってさ』
『…………』
『勝たなきゃ何の意味もない。アイツはよくそう言ってた』
『……勝たなきゃ』
『これからはそれがうちの理念だっつって──練習の質も量も一変した』
『…………』
『練習の成果は出た。少しずつ確実に強くなっていくのが分かって、試合も段々勝てるようになって来た。けど、楽しくなかった』
『楽しくない?』
『アイツは、何かに取り憑かれたようにバスケをした。いつだって眉間にシワ寄せてさ、あたしにはどっか辛そうに、苦しそうに見えた』
『…………』

それは──
あの時の表情と同じものなのだろう。
辛そうで、
苦しそうで、
もがいているような、
喘いでいるような、
縋り付くように、
人を傷付ける。
わたしを見て──
泣きそうになって。
羨むような、
妬むようなそれ。
あの視線を思い出すと──身体が震えた。
怖かった。

『勝つためだけにバスケをしてるみたいな感覚になってさ。楽しくなくって。それが嫌で、あたしは辞めた』
『……そう、なんだ』
『水無ちゃんと学校でなるべく話さないようにしてたのはさ、アイツにあのコートのことがバレたらヤバイような気がしたから。もしかしたら水無ちゃんに何かしてくるかもしれないと思ったんだよ』
『そんな──まさか』
『そういう奴だよ。危ないって言うか何て言うか……危うい』
『…………』
『昨日だって、あのままじゃ水無ちゃんも絶対巻き添え食ってた。──まぁ、あの男の子が避難させてくれたみたいだけど』
『────あ』
『あの子なんでしょ?水無ちゃんの好きな人』

問われるまま頷いてしまって少し慌てたけれど、小雀さんの纏う空気がほんの少し明るくなってホッとする。『あたしの話はこれだけー』と笑う小雀さんがバスケ部を辞めた理由を、知れて良かったと思う反面でわたしは恐怖を感じていた。

『じゃ、次は水無ちゃんの話を聞こーかなー』
『わたしの話?』
『「あおみねくーん」のハナシ』
『なっ!』
『「タマキ!」だってー!連れ出して抱きしめちゃってさー!王子様みたーい!』
『ちょっ、怒るよ!!』

あの表情の理由は、
結局分からなかった。
分かったのはもう少し後、
青峰くんの試合を見た時だ。

「──後から知ったことだけどさ、その子、勝つために本当色々やってたみたいで……」
「色々?」
「……ラフプレー、とか」
「…………」
「もっと酷いことも」

そこまでするか、と思うけれど。わからない。わたしだって結構勝負ごとにはムキになってしまうし勝たないと悔しいし、負けたくないし、でもバスケを楽しくないなんて思ったことはなかった。

「だからこそ、小雀さんの気持ちはよく分かった。好きなものを純粋に楽しめなくなることがただ怖い。わたしだってその子に会って、すごく怖かった。不安になった。だから──」
「だからこそ青峰の様子に気付いて、奴に失望したと言う訳か」

言い淀んだ言葉の続きを、引き継いだのは緑間くんだった。昔のチームメイトがさんざ勝手に振り回されていたというのに、彼はわたしに対して特に怒りは抱いていないようだった。わたしは苦笑して「勝手な理由でしょ」と言ってみたけれど、やはり彼は静かに、まっすぐに見据えてくるだけだ。

「でも失望は違うかな。怖かった──それだけだよ。わたしは怖がった」
「…………」
「わたしは青峰くんにバスケの楽しさを教えてもらって……青峰くんとのバスケが全てだったから、青峰くんでさえ楽しくなくなってたなら、わたしはどうなっちゃうんだろうって」

あの時──初めて『帝光中』『キセキの世代』の青峰大輝のバスケを見て、わたしは足元が崩れ落ちていくような不安定感に襲われた。地盤が崩れたような感覚だった。
あの時――青峰くんを見て、彼女に感じた恐怖が一瞬で戻ってきたように感じた。
青峰くんを見て、
あの子の表情がフラッシュバックする。
あの子は――叫んでいたのだ。
声にならない声で、叫んでいた。
悲鳴を上げていた。
あの時聞こえなかったかの女の声を、唐突にわたしは理解できたのだ。

「――あたしだって」

――あたしだって、あたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだってあたしだって。

――あたしだって、嫌いになりたくなかった。

そんな声が聞こえた。
そしてそれはきっと、間違ってない。

「要するに──全部だよ。わたしは全部怖かった」

怖かった。
わたしもいつか──
ああなってしまうのかと。
たとえどんなに才能があっても──
たとえどんなに才能がなくても──
バスケを楽しめなくなったら同じじゃないか。

「バスケは続ける。でも、もうあのコートには行かなかった」

たったそれだけのことで、わたし達が会うことはなくなった。会ってバスケをすることも笑い合うこともじゃれ合うことも、惹かれ合うことも、なくなった。「それでも高校に入る時、もうやめる──ふっ切れるつもりだったんですけどね」やめらんなかった。と続けて、両腕を手摺りに寝かせたその上に頬を乗せる。──少し長い話になってしまった。インターバルも間もなく終わり、誠凛にとっては苦悶の後半戦が始まるのだろう。

「試合……どうなるのかなぁ」

思ってもみないことを呟いてみた。
それでこの空気を変えられたとは思わないけれど、黄瀬くんは同じように屈み気味になって、同じになった目線で笑いかけてくれた。少しだけ、心が軽くなった。




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