接点を持ったわたし達は── それまでが嘘だったように親しくなった。 コートに行けば小雀さんもやって来て、お互いに練習と、1on1をやったりして帰る。青峰くんがいない時にだけ決まってやって来るので、多分、どこかで見て、引き返しているのだろうと思う。その心遣いは嬉しくて、それに青峰くんとの時間も大事にしたかったから、そんなことしなくていいよ、とは言い出せなかった。 だから、コートで会うのは二人きり。しばらくすると『これ親友ねー』と言って女の子を一人連れて来て、その子を入れて三人で遊ぶようになったけれど、それ以上に人を増やすことはなく、互いにこのことを誰かに言うでもなく、そういった時間を過ごした。 学校では毎日顔を合わせたけれど、わたし達の関係はただのクラスメートだった。時折目が合ってお互いに微笑み合うことはあっても、休み時間、教室でバスケについて語り合う、というようなことはなかった。 多分それは、 ちょっとした秘密を共有しているという、充足感。 「──少なくとも、わたしの方はそうだった」 「その子は違った?」 「かもしれない」 小雀さんや、その親友の青乃さんも勿論多少はそうだったのかもしれない。けれど、もしかすると小雀さんが退部したことと何か関係があって、それでわたしとバスケをしているということを知られたくないのかもしれないと思った。──青乃さんは多分、小雀さんが退部した理由を知っているのだろうから。 「わたしも──もしかしたら、聞けば教えてくれたのかもしれない。あの頃、多分わたしは小雀さんの友達よりは小雀さんの近くにいたから。教えてくれたかもしれない」 「けど──環っちは」 「うん。聞けなかった」 「…………」 「小雀さんを慮ったからじゃないと思う。でも彼女に対して無関心だったわけじゃない」 「じゃあ、なんで」 「わたしは多分──満足してた」 「…………満足」 満足。 充実。 満ち足りていた。 聞いていれば、 教えてもらえていたら、 わたしと小雀さんの仲はもっと近付いていたのだろうと思う。 自惚れではなく、けれど的を外しているとも思えない。 もし、そうだったなら、それをしていれば、わたしは青乃さんと同じ──までは行かなくてもその次くらいの存在にはなれていただろう。 でも、そうしなかった。 憧れていた女の子。 好きな筈なのに。 「……この関係が」 「崩れるのが怖かった?」 「…………?うん」 何故か黄瀬くんが続けたことに疑問を抱いたけれど、わたしは頷いた。 きっとそうだ。 と、今になって思う。 だって、青峰くんのこともそうだったから。 「わたしは、二人の核心──大事な、壊れやすい部分に触れるのが怖かった。もし触れてしまえば、知ってしまえば、知らなかった頃の心地よさは戻って来ない気がした。でも大切な人だから、壊して逃げることも出来ない。だからわたしはそんな──そんな部分は無いって、言い聞かせた。知らんぷりしてたの」 酷いでしょ、と苦笑する。 黄瀬くんは笑ってくれなかった。 笑ってくれてもいいのに。 むしろ笑う所なのに。 普段の自分を省みず、そう思う。 黄瀬くんもいつも、こんな気持ちだったのだろうか? 何にせよ、これじゃいつもと逆だ、と、わたしはやっぱり笑ってしまう。 「……そんなの、環っちだけじゃないスよ。オレだって──青峰っちが変わってくの、なんとなく気付いてたけど……何もしなかった」 「それはきっと──」 「それに、環っちのことも」 「…………」 「壊れるのが嫌で、怖くて、今のままが良かったから、知らんぷりしてた」 「……黄瀬くん?」 「みんな、同じだよ」 環っちが酷いなら、 オレだって酷い。 黄瀬くんは言って、やっと笑う。 泣きそうな笑顔だった。 「…………そんな毎日を送っていたある日、女の子がコートに来たの」 その日は青峰くんがいなかったから──小雀さんと遊んでいた。どっちがドリブルだけで相手を振り切れるかを勝負していて、レッグスルーやクロスオーバーはもちろんシャムゴッド系列、ハリケーン、トルネード、ジャックナイフ、スリッピンスライドなど色々出して駆け引きと反射で遊んでいた。小雀さんに三回抜かれて、わたしは二回抜いた。三十分やってそれだけだったので、一回のプレイで相当な時間をかけていたのだろう。そしてわたしが三度目を抜いて小雀さんに並び、拳を握った直後──彼女は来たのだった。 彼女を見た瞬間、気圧された。 表情が、足取りが、普通じゃない。 え、なに。と思い、 次に思ったのは『どうしよう』。 まっすぐこちらに歩いてくる彼女にどうしようと思わず小雀さんを見ると、小雀 さんは目を見開いて彼女を見つめている。 突然のことにコートで固まっていたわたしと小雀さんのすぐ前に、女の子が立つ。 その子は、小雀さんを殴った。 殴って、早口で何かを言う。 怒鳴っていた。 次に、わたしを見る。 睨んでいた。 小雀さんは、一度倒れたけれど起き上がって、その子を殴った。その子に何かを言っていた。その子はまた小雀さんを殴る。小雀さんはやり返す。 それの繰り返しで、 つまり殴り合いになった。 よくわからなかった。 けれど、一つだけ分かった。 《理由》はこの人だ。 ──そう、直感した。 掴み合いになって、絡み合いになって、二人は地面に膝をつき、取っ組み合った。あっという間のことで、驚愕と──恐怖に包まれたわたしは茫然とその場に立ちすくむ。ただ、見下ろす。小雀さんと、彼女を見つめる。 否、観つめていた。 「その子はうちの中学で女バスの主将をやってた子だったって後から聞いた」 「……その主将が、何で」 「元帝光中の女バスに入ってて、そこではレギュラーを取れずに転校した子だったみたい」 「──帝光の」 「帝光の理念に取り憑かれた子だって、彼女は言ってた」 「…………」 「…………」 …………。 ………………。 『──環っ!!』 一分だったか二分経ったか、暴れ続ける彼女達を見つめていると、ぼうっとした思考を一気に覚醒させる声が届いた。 『──青峰くん』 フェンスの向こう側で目を見開いている青峰くんがいた。名前を呟くと、青峰くんは慌てたように走ってコートへ入り、すぐにわたしの腕を掴むと出口のところまで引っ張った。完全に力の抜けきっていたわたしは引っ張られるままで、足が止まると、肩を支えられた。 『青峰くん……?』 『ケガねーかっ!?』 『──あ、うん』 『どこも殴られたりしてねーよな?』 『…………平気』 心配──してくれているらしい。 出口へ連れ出したのも、単純に喧嘩してる二人の巻き添えを食わないよう引き離そうということだったようで。わたしの顔やら手足やらをあちこち確認する姿に、わたしは『大丈夫だよ』とどこかボーッとした頭で、その言葉を紡いだ。 『オイテメーら!!誰だか知らねーけどなぁ、ケンカならヨソでやれよ!』 初めて聞いた、青峰くんの怒声。 それが届いたのか、殴り合っていた二人は手を止める。小雀さんは我に返ったようにわたしを見て、少々バツが悪そうにした。もう一人の子は驚いたようにこちらを凝視してきた。こちら、というよりもそれは声の主である青峰くんを、というように、驚愕に見開いた目で見た。わたしは首を傾げ、そして、その子は次にわたしを睨む。 わたしは、息を飲んだ。 『────っ』 思わず身が震えたのに気付いたのか、青峰くんはわたしの正面に回り込んで、抱きしめてきた。その子をわたしの視界に入れないためなのだろう、『何睨んでんだよ』と、初めて聞く低い声が唸る。目の正面は青峰くんの胸であちらの様子が丸っきり見えていないわたしをよそに、一つの足音が近付いてきたかと思うと違う方向へ遠ざかって行った。すぐにまた足音が近付いてきて、近くで止まったかと思うと『ごめん』と小雀さんの声がして、また違う方向へ遠のいていった。 『──環、大丈夫か?』 『──うん』 平気、そう続けたけれど青峰くんは離してくれなかった。わたしがまだ、震えていたからだと思う。うん、ともう一度頷くと『大丈夫だからな』と髪の毛に指を通して、梳くのを繰り返す。それがすごく心地よくて、少し眠くなった。 『お前にケガがなくて良かった』 と青峰くんが笑う。 わたしも笑った。 けど、変な顔になったのか青峰くんは神妙なカオになって『今日はもー帰ろうぜ』と肩を抱き帰路へ促してきた。その日はなんとなく、バスケをする気にはなれなかったから助かった。 『送ってく』 ぶっきらぼうな気遣いがすごく嬉しくて、だけど頭では別のことを考えていたことを覚えている。 それは、疑問。 どうして、 なんで、 そういった部類の引っ掛かり。 どうしてあの子は── あんなカオをしたんだろう。 そう考えずにはいられなかった。 最初から最後まで、 怒鳴った時も、 言い争う時も 殴り合っている時も、 こちらを向いた時も、 わたしを睨んだ瞬間まで。 なんであんなに、 ────辛そうで。 ← → |