ポリゴン | ナノ



  
可能性が見えた瞬間



「はい、これ」

と、渡された1冊のノートの重みに、今日ほど感謝した日はない。と思う。多分。昨夜ずっと電話をしていたせいで、実力テストのことをすっかり忘れていた。今朝登校してからずっと火神くんが勉強していて、何か悪いものでも食べたんじゃないかと柄にもなくほんの少し心配したところ委員長が「明日実テだからじゃない?」と呟きどこかへ消えて行ったそれで思い出したというのは何だか釈然としない話であるけれど。火神くんのために作ったのだろう、試験範囲の簡単なまとめが5教科分、詰め込まれている。

「昼休みに使うから、それまでに目を通して火神くんに渡しといてくれる?」
「はーい。ていうかコピー取っていいですか?」
「いーケド、あんまり他の人には見せないでね?点数じゃなくて順位で補習決まるから」
「あ、はい。ありがとうございました」
「いいえー。環ちゃんにはテストが終わったら、みーっちり、練習に付き合ってもらうんだからねっ」
「……や、語尾にハートマークをつけられても……」

可愛いんだけどなんか怖い。「いやーこっちこそ助かるわー」と快活に笑い肩をバシバシ叩いてくる相田先輩。いい加減2年生の教室にいるのもなんなので、もう一度軽く頭を下げて教室を後にする。

「お。ポチ」
「…………」
「ムシかよ!」

後にした。

教室に戻ると牧江ちゃんが火神くんの頭を指でつついていた。火神くんは勉強でそれどころではないらしく気付いてすらいないようだけれど。というか血走っている眼が恐すぎる。

「あ。環ちゃんおかえりー」
「ただいま。火神くんは今何してんの」
「現社の用語、ひたすらノートに書きまくってる〜」
「現社って時事問題出るっけ」
「出るけど10点分やって」
「ふーん。じゃあ捨てよ」
「勉強せんでいいん?」
「ん。あとの90点で頑張るよ」
「はー……。あ、火神ー、それ違う違う。漢字。横二本増えてるって」

帰国子女というのは、こうも漢字に弱いものなのか。慌てて消しゴムを使う火神くんを見て感心すらしてしまう。なんせ彼は中間で自分の名前すら書き間違ったという残念な過去を持っているのだ、用語を答えるのが主な理科社会は苦行であろうと思いながら、すでにコピーをとり終えたノートを前かがみ気味の火神くんの頭に乗せ、ななめ後ろの席についた。

「頑張るよね、火神くん」
「……バカじゃ勝てねーかんな」
「はい?あ、聞こえてたの。あとコピー落ちたよ」
「国際連盟、国際連合、ジュネーブ、ニューヨーク、安全保障理事会、総会、常任理事国」
「…………」
「そーいや、決勝リーグの日にち決まった」
「へぇ」
「26日の17時から」
「ふぅん」
「…………」
「あかんなー環ちゃん。これはな、観に来て!てコトやん」
「そうなの?」
「そーやって」
「ふぅん。行かない」
「うぉい!」
「話の流れ、読めてました?」
「あれ黒子くん、いたの?」
「火神くん。手が止まってます」
「クッソ……テメー水無!覚悟しとけよ!テスト終わったらぜってー1on1してやるかんな!」
「無理だよ。火神くんが国語でわたしに勝つぐらい無理な話だよ」
「ぁあ?ちっともムリじゃねーよ!」
「『大我』を『犬我』って書いちゃう火神くんには不可能だと思うな」
「不可能じゃねー!」
「あ!賭ければ?賭ければ?」
「いやいやいや」
「やったろーじゃん!!」

……あれ?
なんか、変な流れに。

首を傾げて、
そして二日後。

「おっしゃーっ!!!」
「…………」
「あーらら」
「驚きですね」

…………。
負けた。
かるーく負けた。

テスト返却の後、顔面に突き付けられた火神くんの国語の解答用紙を見て、わたしは絶句していた。98点。中間で3点を取った火神くんが、98点。これはもう絶句するしかないだろう。こんな漫画みたいな展開が存在していてよろしいのだろうか?──わたしも今回はかなり良かったのだけれど、98点にはさすがに敵わない。や、牧江ちゃんなら敵うんだろうけど。国語はわたしもそんなに得意な分野ではなく、それなりに勉強したのだけれどやはり全体よりは低い。それに比べて火神くんの伸びシロときたら。「オレの勝ちだからな!しろよ勝負!」胸を張り得意げに言い放つ彼に、わたしは頭を抱えた。

「不可能を可能にする男──火神大我」

なるほど、確かに彼ならば、あの無謀な『キセキ』制覇を成し遂げられるかもしれない。感嘆とそう呟くと「そんな簡単でいいんですか」黒子くんが呆れた。


「さーて、テストも無事終わったことだし。偵察行こ偵察!」

例によって二年校舎の多目的教室。もといストバス同好会の私室。掲示板のところに取り付けたオモチャの的に狙いダーツを投げる命中率の勝負をしていたわたしと田原に、遅れて入って来て早々、井原先輩は言った。まさに今狙いを定め放とうとしていた田原は構えを崩す。わたしは先輩が差し出したコンビニの袋を受け取る。今日のおやつは……ふむ、ムーンライトか。

「偵察って何だ、偵察って」
「決勝リーグの対戦校の偵察。決まってんじゃん」
「…………」
「おー。相田か」
「へっへー。ビデオカメラ借りてきちゃったよー」

鞄から取り出したビデオカメラを片手にウキウキとした様子の先輩。……この人、自分がストバスの人間だってこと忘れているんじゃなかろうか。自分のことのようにさも偵察は当然とわたし達の手を引っ張って行こうとする先輩に、田原と顔を見合わせ、ため息を吐いた。奴は脱力し黙って引きずられているけれど、わたしはやんわりとその手を解く。田原一人を引く形になった先輩は、二人から少し距離を置いたわたしに「水無ちゃん?」と首を傾げた。

「どしたの?ああ、手?恥ずい?恥ずいの?シェイクハンドが恥ずかしいお年頃?花も恥じらう女の子になったんだね水無ちゃん!もー好き!」
「違うし違い過ぎるしやめて下さい。二人で行ってもらえます?今日はわたし、帰りますんで」
「えー。女の子いた方が楽しーって。ね?ゆーちゃん」
「オレは別にぃ」
「という訳なので、帰ります」

お菓子の入ったビニール袋を先輩に戻し、椅子の上に置きっぱなしにしていた鞄を肩にかけた。入口付近でポカンとしている先輩に挨拶し、田原を睨んでから、教室を後にする。「もー!最近付き合いわるいぞー!」拗ねたような声を背中に受けながら。




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