ポリゴン | ナノ



  
不登校になりたくて



「別にいいよ。休みたければ休めば?でも家にいる以上は家事を手伝ってもらうし色々小間使わせてもらうから。それと明後日の実力テスト、中間よりも成績が下がってるなんてことがあれば、こっちで色々と考えさせてもらうことになるけど。そうだね、例を挙げて言うなら、お小遣いとか門限とか」

学校へ行った。
いや、家事やパシリが面倒だとか成績が下がった時の制裁が怖かったからとか、そういうことではなく。一高校生として学生の本分である勉強に努めなければならないという、いたって誠実な心からくるものだ。日本人固有の勤勉さをここらで一発見せつけてやらねばならないという義憤があったりなかったり、いやあるのだ。というわけで、わたしは予選トーナメントAブロックの出場校を決める準決・決勝戦を観戦した翌日である今日、こうして制服を身にまとい自分の教室で頬杖ついて、休み時間のクラス内の喧騒の様子を眺めているというわけだ。

「水無さーん。あのさー、さっき授業でやった問題なんだけどー」
「…………」
「最後の2問、解き方がよくわかんなくて。あの先生途中式書くの速くない?消すのも早いしさあ」
「…………」
「てか計算してる間、あの人話かけても返事してくんないよね。生徒おいてけぼりなんすけど!みたいな」
「…………」
「で、この問題なんだけど」
「…………」
「み、水無さん?」
「…………」
「水無さーん……?おーい……」

昨日、確かに聞いたあの単語。緑間真太郎。キセキの世代。チームメート。電話をかけ合うほどお互い仲が良かったのだろうか。──そんなタイプには見えなかったけれど。常人より数段階人懐っこい黄瀬くんは例外としても──いや、その黄瀬くんだって、わたしとは初対面でまるで面識がなかったじゃないか。なのになんで、あの人がわたしを知っている。

「水無さん!今日こそはウチの部に入ってもらうわよ!」
「…………」
「長距離のハイになった瞬間のあの爽快感!短距離の風を切る感覚!ハードルの俊敏な動き!高跳びの宙を舞う浮遊感!どれをとっても快楽と言って差し支えないわ!さあキミは何を選ぶ!?」
「…………」
「ちょっと!ちょっとだけでいいから!見学に来るだけでいいから!そしてあわよくばちょっと走ってくれるだけでも!ああでも跳んでも欲しいわね」
「…………」
「今日こそは、さあ!さあさあさあ!この入部届けに名前を書いて!そうすればあら素敵、今からあなたも我が陸上部の仲間入りっ!」
「…………」
「さあ書け!書くのよ水無!……何よ今いいとこなんだから邪魔しないで!あ、先生!授業が始まる?いやちょっと待って下さい、今はこっちの方が先ですから──ちょ、ちょっと!何するの!待って!待ってよ!私の用はまだ──」

タマキ、と言った。
確かにわたしの名前を呼んだ。
『あの名前』を聞いてもはや方向転換するという考えも消えただ一刻も早く、速くこの場からいなくなりたいという思いは脳より先に神経へ伝わったようで、突如として自分の前を全速力で横切る女に驚いたのかうろたえたのか、ひどく焦った声だった。そして慌てて呼び止めようと彼の口から咄嗟に出た言葉が『タマキ』だった。それが意味することは、一体なんだったのだろう。

「ああ水無。お前今日日直だったよな?悪いんだが、宿題のプリントを回収して職員室まで持って来てくれないか?」
「…………」
「水無?」
「…………」
「水無?聞いてるのか?」
「…………」

意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。意味。

「もしかして、仕事が嫌なのか?駄目だぞ、みんな日直の日にはちゃんとするんだからな」
「…………」
「お、おい。へ、返事ぐらい、したらどうなんだ……」
「…………」
「…………」
「…………」
「……か、火神!お前さっきの授業寝てたろう!お前が集めて持ってこい!!」
「はあぁあああ!?」
「…………」
「煩い!文句を言うな!」
「…………」

名前の他に何か重要なことを言っていたような気もしたけれど、それと同じだけそうでなかったような気もする。とりあえず意味の方が先か、と思い、ポケットに手を突っ込む。昨夜散々鳴り続けた携帯電話を取り出した。


『オレは嬉しーっスよ。まさかまさか、環っちからオレに電話をかけてくる日が来るなんて!自分の可能性、信じて良かった!』
『嘘っぽいしイライラする』
『嘘じゃないっスよぉ。やっぱりちょっと含みを持たせた言い方がきいたんスか?ミステリアスな影のある男が環っちのタイプ?女の子って謎めいた男に興味持つんスよね〜』
『さようなら』
『せめてバイバイと──……』
『…………なに』
『切らないんスね。──そんなに気になるんスか?昨日のこと。環っちがここまで耐えるのって貴重。ちょっとはぐらかしすぎたっスかねえ──』
『そんなのはいい。質問に答えてよ』
『どーして嘘に加担したかって?そんなの、理由は一つに決まってんじゃないスか』
『……なに』
『環っちが好きだから』
『だから、そういうのはいいんだって』
『本当なのになぁ。そーいえば環っち。昨日電話出てくんなかったっスね』
『……寝てたから』
『店でお好み焼き食ってたら、黒子っち達が入って来たんスわ』
『黒子くん?』
『誠凛。で、相席して祝勝会みたいな感じになったんスけど後から緑間っちが偶然来てさぁ』
『…………』
『一緒にメシ食ったの久々だなー。中学以来か。4人席だったんで火神っちもいたけど。なんっか気まずかったっスよ、さっきの今!だったっスからね』
『…………』
『環っち、あの時オレの質問、答えてくんなかったっスよね』
『質問?』
『緑間っちと知り合いなのかってアレ』
『……ああ』
『オレ、てっきりそうだと思ってたから。でも環っち、黒子っちとかに知られたくないような感じだったからその場じゃ何も言わなかったんスけど』
『…………』
『その後、ちょっと二人で話したんスよ。結局店じゃあバスケの話しかしてなかったスからね、たまにはお年頃の男同士、異性の話でもしよーかって』
『…………で?』
『結果、緑間っちは背の小さい女の子がタイプってことが明らかに』

切った。
着信音。
通話。

『環っちー!ヒデーっスよ!』
『流石にふざけすぎ』
『ううう……油断してたっス』
『で』
『なるほどなーって。環っちがストバスやってんのとか、ミョーに上手いのとか、オレや黒子っちに冷たいのとか。思ったスよ』
『冷たいのは性格だよ』
『……色々あんのは青峰っちとかぁ』

また、その名前。
今はあまり、聞きたくない。せっかく作り上げた『自分』が少しずつ壊れていくのがわかるから。名前を聞く度に、少しずつ乱されていく。少しずつ崩れていく。崩れていく。崩れていく。

『今はない。昔、あっただけ』
『何が、あったんスか?』
『……わからない』
『え』
『わからない。でも多分、わたしが弱かったせいだ』
『────』
『わたしが一人で勝手に怖くなって、わたしが一方的に逃げ出したの』

崩壊音。
崩壊音。
崩壊音。

『憧れてたの。あの人に』




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