ポリゴン | ナノ



  
リスはウサギより逃げ足が速い



「──『天賦の跳躍力』ねえ」

つまり火神くんは虎でもタイガーでもなく、ウサギさんだったわけだ。そう呟けば、隣の黄瀬くんはたいそうウケてくれた。まさかの接戦と王者敗退に沸き上がる大歓声の中、目に涙を浮かべて喜ぶ誠凛のメンバーを眺める。去年は王者に三連敗でIHが敵わなかったというのだから、当初宣言していた通りのリベンジは叶ったことになる。手を取り合って(先輩が一方的に掴んでいるとも言う)喜ぶ井原先輩と田原に「それじゃ」と言い鞄を持って立ち上がる。

「おー、帰れ帰れ」
「え、なに水無ちゃん、もー帰んの?」
「試合は終わりましたし」
「ええー!祝おーよ!みんなを!祝勝会しよ祝勝会!」
「必要ありません」
「環っち帰るんスか!?」
「帰る。じゃあね」

騒ぎ始める声を総無視して、背中を向け歩き出した。先輩は田原が、黄瀬くんは笠松さんが、まあどうにかしてくれることだろう。まだ何かを叫んでいる先輩の頭をわしづかみし、しっしっ、と手を振る田原に軽く頭を下げ、廊下へ出る。田原はきっと、わたしのこういうところが気に入らないんだろうな。と、感じながら。中々おさまらない歓声が壁一つ分、遠退いたのを感じて息を吐く。少し、安心した。

の、だけれど。

「…………雨じゃん」

天気予報、見るの忘れてた。あー……と自分でも意味のない声が漏れる。傘、ないし。よりによって私服の時に……。ジャージならいいってことでもないけれど、これじゃロードワーク帰りにも見えやしない。けど、まあ、仕方ない。家からはさほど距離はないことだし、このまま人通りの少ない道を選んで走って帰るか。ポケットの中で鳴り続ける携帯を無視して、フードを被る。パーカーを着ていたことが唯一の救いかもしれない、などと適当なことを考え、一歩、雨が跳ねるアスファルトを踏み締めた。敷地から出て、とりあえず裏に回るか。とランニングのテンポで走り、角を曲がった。

「…………」
「…………」

のが、運の尽きだった。

「…………」
「…………」

緑間真太郎がいた。試合が終わってすぐ出たのに何で鉢合わせるんだ、と思ったけれど彼の格好を見る限り荷物も纏めずに直で来たのだろう。無言で、身じろぎせずに雨に打たれ続ける彼の姿を観察し、どうしようと頭を抱えた。ぶっちゃけ、顔を合わせたくない。どうして彼があの時自販機の前でわたしの腕を掴んだのか、どうしてわたしを見て人違いだと思ったのか、わたしを誰だと思ったのか、初対面のはずのわたしを一体どこで知ったのか、それらの疑問が彼に関しては浮上する。そして彼が『キセキ』の一人であるという、事実。それが、わたしに嫌な予感を抱かせる。危険。危険なのだと、脳が叫ぶのだ。

「…………」

幸い、彼は雨に打たれ敗北に打ちひしがれ(ているのかどうかは知らないけれど)るのに夢中でこちらの姿には気付いていないようである。この際もう大通りだろうが小路地だろうがなんだろうが、と思い引き返そうと踵を返す。

と。着信音。
また黄瀬くんからか?と一瞬思ったけれど、音が遠く、振り返ると緑間真太郎が携帯を握っている。感傷に浸(っていたのかどうかは知らないけれど)る暇もないな、と感じた。のも、また一瞬のことであった。

「あ──ミドリンひっさしぶり────!!どーだった試合──!?」

明るく、溌剌とした女の子の声が雨の音に全く掻き消されることなく少し離れた距離にいるわたしの耳に大きく届いたというのだから、それはそれは見事に大声と言えるものだったと思う。「勝った──!?負けた──!?あのね──こっちは」彼は通話をシャットダウンしたらしい。そして再び着信音が鳴るのを聞いて、大変だな、と思った。いや、彼の何を知ってるわけでもないけれど。初対面の人間に同情を覚えたのは恐らく初めてじゃないだろうか。今度こそ帰ろう、と身体を半転──

「…………青峰か」

止まった。

「……そうだ。せいぜい決勝リーグでは気をつけるのだよ」
「相変わらずだな青峰」
「分かっているのか?つまり決勝リーグで黒子と戦うということなのだよ」

…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。

「────っ!」
「ああ……ん?お前は──っ待て!!」
「────っ!────っ!────っ!────っ!────っ!────っ!────っ!────っ!────っ!────っ!────っ!」
「待て──『タマキ』!!」
「────っ!────っ!────っ!────っ!────っ!────っ!────っ!────っ!────っ!────っ!────っ!────っ!────っ!────っ!────っ!────っ!────っ!────っ!────っ!────っ!────っ!────っ!────っ!」

…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。…………。

何も聞こえなくなるまで走った。
何も見えなくなるまで走った。
何も感じなくなるまで走った。
何も思わなくなるまで走った。
何も信じなくなるまで走った。
何もかもがわたしの前から消えるまで、全部、全部、全部、全部、全部、全部、
全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部。

全部なくなっちゃえばいい。

だって。
だって、こわいから。




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