「うぉーい!水無ちゃーん!」 遠くから、両手をブンブン振りまくり駆け寄ってくる先輩に挨拶をして、5分後あくびをしながらゆっくりやって来た田原の腹に一発かまし、わたし達三人は目的地へ向かって歩き出した。道中先輩は今日のわたしの服装(普段着)がいかに魅力的かを熱く語り、道中田原は今日のわたしの身長(いつも通り)がいかに迷子になりやすいかを適当な口調で語り、道中わたしは相槌とツッコミに終始していた。これから観る試合について、誰も、何も言わなかった。試合会場に着いてからやっと、誠凛と正邦のやるAコート側のギャラリーで席をとる。井原先輩は座ってからしきりにキョロキョロとしていたので尋ねると、「涼がまだ来てないんだよー」とのこと。 「例のごとく迷子じゃないですか?女の子に見つかったとか」 「んー。ユキちゃんと一緒に来るって言ってたし、それはないかに」 「ユキちゃん?」 「笠まっちゃんのコト〜」 「ああ……あのまともそうな人」 「何だその感想」 「わたしの周りのバスケバカは揃ってみんな変人ですからね。珍しいですよ」 「水無ちゃんも充分変わってると思うけどなー」 「どゆ意味ですか」 予選であろうが東京は強豪校のひしめく激戦区。準決勝ともなればそれなりに人は入ってくるらしく、前に観に行った一回戦とは比べようもなく、試合10分前になると空席は少ない。涼達の分、と言って二人分のスペースを死守する先輩を視界に入れながら、アップするコート上の選手を見つめた。先輩達から、去年の大会結果を聞いていたせいか、誠凛──特に二年生の選手達は緊張しているのだと思う。けれど、いい緊張なのだと思う。わたしにはそう見えた。じいっと下を観るわたしをよそに「『キセキ』はどいつだろー」と先輩はどうやら秀徳をウォッチングしているらしい。田原との会話が耳を抜ける。 「一年はー、去年いなかったあの二人かにゃー」 「普通に考えて、あっちだろ」 「あー。あのメガネの?」 「背ェ高ぇな」 「髪の毛面白いね。緑色だー」 「……え?」と、声が漏れた。小さな呟きだったので二人は気が付かなかっただろうけれど、わたしは誠凛から秀徳へと視線を動かした。背の高い、眼鏡をかけてて、緑色の髪の人を無意識に探している自分がいて、それを見つけた時、胸の鼓動が大きく鳴る。 「あれが『キセキの世代』No.1シューター、緑間真太郎か」 「貫禄あんなぁ」 ──秀徳高校一年。 ──緑間真太郎! ──『キセキの世代』の一人! 「……おしるこの」 ──だとしたら、あの邂逅は。 ──あの表情は、 ──あの言動の意味は。 「…………」 先輩が楽しそうにはしゃぐ声が聞こえる。痺れを切らし電話をかけた田原が何かを言う声が聞こえる。観客席が期待と興奮の渦を作り出す音が聞こえる。選手達のバッシュの音が一斉に聞こえ、止んだ。アナウンスが鳴る。これよりAブロック準決勝第一試合、誠凛高校対正邦高校の試合を始めます。 機械音が鳴り響き、 そして試合が始まった。 「環っちー!おはよーっス!」 「…………」 「環っち?」 「おはようございます、笠松さん」 「あ、おう。はよ」 「ムシ!?抱き着いてももはやムシ!?」 「おはよーユキちゃん!」 「おら、席とっといたぞ」 なんやかんやで。 黄瀬くんと笠松さんが来たのは開始から10分が経過した頃だった。飛び付いてきた黄瀬くんを全面的にスルーして、わたしは多分難しいカオでコートを観ていたのだと思う。「どーしたんスかね、誠凛」と、隣に座った黄瀬くんが言った。ちなみに黄瀬くんと笠松さんの二人分を死守するため、田原、先輩と二人分空けてわたしが座っており、先輩の隣には笠松さんが座っている。 「12対0ってどゆコトっスか?」 「どーもこーもねぇよ。火神が津川に止められて、他三人もマンツーDFから抜け出せねぇ。一点も入らねんだよ」 火神くんがボールを持つも、10番のDFの迫力に圧倒され気味で、中々思うように進めない。というより、各々が止められているせいか──ルートがまるで見えない。ボールを持ったまま当惑する火神くんに伊月先輩がなんとかボールを受け取る。伊月先輩のマークについていた向こうの5番が前を塞ごうとするも、それが分かっていたかのように逆展開し、シュートにまで持ち込む。──けれど。レイアップは4番にブロックされてしまう。 「何やってんスか、も〜」 「んー。この前やって思ったけど、誠凛は基本スロースターターっぽいな」 「……すろーすたーたー」 「持ち上がりが遅いっつうことだよ、ポチ」 「ポチじゃないです」 「……えーと」 「ああ、いーのいーの。この二人はこれで」 「良くないっス!全然!」 「ジェラシーな涼はおいといて」 「ああ。──けど、そこでいつも初っぱなアクセル踏み込むのが火神なんだが……」 「止められてる、と」 「そいつがまだこねぇから、なおさら波に乗れてねー」 そういうものか、と感心する。これまでチームプレイにはことごとく縁のないバスケしかしてこなかったせいか、これがわたしの性格なのかは知らないけれど『そういう』分析や発想をわたしは持っていない。確かに誠凛は本来のプレイを出す前に封じ込められている感はあるけれど──などと思っている間にも、火神くんは2個目のファウルをとられた。 「マンツー基本なら黒子くんはパス出せないし……一人で点入れられないならやっぱり駄目だね」 「連携も使えないしねー」 「っつーのはまあ、予想してたけどな」 「そうなんスか?」 「正邦のDFは全員マンツーマン。……が、並のマンツーじゃねー。常に勝負所みてーに超密着でプレッシャーかけてくる。ちょっとやそっとのカットじゃ振り切れねー」 「いくらパスがすごくても、フリーがほとんど出来ないんじゃ威力半減──や、7割減てところかな。それは黒子くんの弱点でしょ」 「ま、あいつらのレベルがたけーから、今までんな事にはならなかったんだろうがよ」 最初から最後まで絶え間無く圧力かけてくる。そんなDFを保つことが出来るのも、専ら正邦の古武術バスケのおかげである。相田先輩がタイムアウトを進言し、選手を集めた。恐らくは一年陣に古武術云々を軽く説明し、新たに作戦を立てているのだろう。その間に隣のコートに目をやると、高い高いループの後、スパッと綺麗に入るシュートが観えた。緑間真太郎。 「…………」 打った瞬間に『入る』とわかるような、綺麗なループ。着弾までの時間が長い。入る前に振り返りDFに戻るため、これではカウンターも難しいだろう。相手だって、間借りなりにも準決まで進んだ相手だというのに波乱の気配が全く感じられないというのは──どうにもなぁ。と、彼が三本目のシュートを決めたところでベンチに戻るのを見て黄瀬くんもヨユーみたいだと呟いた。 「…………」 けれど──そうじゃない。 わたしにとって重要なのは、そういう所ではないのだ。 ぼうっと緑間真太郎を観ていると、笛の音で意識がAコートに戻された。「ファウル!白10番!」という判定で、火神くんのファウルが3こ目になったことを知る。ああ、ムキになっちゃってもう。 「えっと……。ファウルって5こで退場なんだっけ?」 「うろ覚えかよ」 「先輩、環っちはストバス部っスもん」 「アンタも結構やんだってな。いっつもコイツがうるせーの何の」 「……黄。瀬。く。ん?」 「コワッ!!新しい凄み方コワッ!!」 「にしてもさー。火神ちゃんの得点で誠凛もエンジンかかったと思ったんだけどにゃー」 「あと一歩、うまくいかないっスねー」 「いくらなんでもDFだけじゃ王者名乗れねーよ。OFだって並じゃねー」 さすが主将、しっかりと黄瀬くんの面倒を見てくれる。笠松さんは息を吐きながらもところどころで解説を交えて説明して、普段あまり考えてバスケをしない黄瀬くんを導いている。天才のいるチームじゃねー、達人のいるチームなんだよ。と言う。けれど頬杖つきながら黒子くんを見下ろす黄瀬くんは、やっぱり相当黒子くんが好きなんだと思う。「達人ならいるっスよ、誠凛にも」と、薄く笑った。 「……ノド渇いたな。ちょっとお茶買って来る」 「ええ?これからがいートコなのに。あ、水ならあるっスよ!」 「え、くれるの?」 「今ならオレの飲みかけっス!」 「ごめん。何でそんなに自慢げなのかがわかんない」 「あと5分でインターバルだぞ」 「あ、そですか。じゃあ待と」 「先輩のバカ!」 「ハァ!?シバくぞ!!!」 「あいてっス!!いたっ!」 第1クォーターも残り5分を切り、誠凛ボールから再び試合が再開する。黒子くんのマークは変わらず7番。だけれど──黒子くんなら、逃れられる。伊月先輩が開いたスペースにパスを出すと、黒子くんがすかさず入ってコースを変え、水戸部先輩へボールが渡り、シュートが入った。持ち直そうと、向こうの5番がシュートを放とうとするも──火神くんに落とされる。マンツーDFは振り切れないものの、黒子くんのパスでDFの内側から攻略し、点を取っていく。結局第1クォーターは日向先輩のスリーで同点に追い付き終了した。さて、と腰を上げ、席を立ち、わたしは自販機のある廊下まで行こうと歩き出した。 「環っちー♪」 「……水あるんでしょ?」 何故ついてくる。 当然のように隣に並んで歩く黄瀬くんを睨み、面倒臭いなあと思いながら相手をする。黄瀬くんは「人多いから、迷子になんないよーにスよ」にひひ、と笑う黄瀬くんは実に楽しそうである。ああそうですか、などと相槌を打ちながら廊下へ出て、目的の自販機を見つけると財布を取り出して小銭を入れた。 「何飲むんスか?」 「……何でここにもゴクリ。がないんだろう」 「ゴクリ。ファン?」 「おしるこはあるのに……」 「あ。緑間っちはおしるこが好きなんスよ〜」 「知ってる」 「あり?知ってる?なんで?」 「前に自販機で鉢合わせた」 「へー……」 仕方なくお茶を買い、拾い上げて立ち上がると、妙な表情をした黄瀬くんがわたしを見下ろしていた。 「黄瀬くん?」 「──環っちさあ」 「なに?」 「もしかして環っちの知り合いの『キセキの世代』って、緑間っちっスか?」 「…………は?」 思わず聞き返してしまった。何言ってんの、と返そうとして、黄瀬くんがどこか浮かない表情で、けれど答えを知りたがっているような目をしていることに気付いた。笑ってごまかそうとして、自分が笑えないことに気付いた。というか根本的な疑問がそれらをするより先に浮上する。 「……その、『知り合い』云々は誰がソース?」 「ソース?」 「何で黄瀬くんが『その話題』を知ってるの?」 「──ああ。黒子っちっスよ。誠凛と練習試合した後話した時に。環っちの知り合いってオレだったんスね、って言われたから」 「…………」 「オレは『そうっスよ』って言った」 「…………え」 それはつまり、 ──嘘を。 「始まっちゃうから、戻ろ」 一瞬のうちに真面目なカオを引っ込め、笑顔をさらけ出す黄瀬くんに手を引かれるまま歩き出した。 「──ね、ねえ」 「あ。田原っちにおしるこ買って来いって言われてたんだった」 「黄瀬くん──」 「ま、いっか。そーいえばおしるこは売り切れてたよーな気ぃする。うん」 「…………」 そうっスよ、と言った。 ということは、黄瀬くんは黒子くんに嘘を吐いたことになる。そういえば黒子くんは、黄瀬くんに言ったらしいことをわたしにも言ってきていた。順番は逆だけれど。それは言わば確認行為。わたしはあの時、黒子くんがうまいこと勘違いしてくれたのだと思った。だからわたしはそれに乗っかったのだ。『あの人』のことを、話したくはなかったから。話す必要もないと思ったから、その勘違いに便乗したのだ。けれど、黄瀬くんはどうだ?黄瀬くんはどうして、そんな嘘を吐いたのだろう。黄瀬くんにはそんな嘘を吐く理由なんてないはずだ。黄瀬くんがそんな嘘を吐くことにメリットはない。 「一緒に怒られよっか、環っち」 それなのに、なぜ。 なんで。 どうして。 ← → |