ポリゴン | ナノ



  
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「環ー。起きなさーい」

朝。せっかくの土曜だというのに、一体どうしてわたしは7時に起こされなくてはいけないのだろうか。重い瞼をこじ開けて、ベッドから降りる。部屋を出て、朝っぱらから休みなどない永久の職業である主婦をこなすお母さんにおはようと、土曜は学校がないことを一応告げる。わたしの朝ごはんらしいフライパンの中の目玉焼きの様子を伺いながらお母さんは「それくらい知ってるって」と言う。はあ?と声を上げるわたしにようやく焦点を当てたお母さんは、笑った。

「今日、バスケ部のお友達の試合を観に行くって言ってたから。確か8時から誠凛で」
「友達じゃないし行かないし言ってないし8時じゃないし誠凛じゃないから」
「ああそうだ、さっき電話で言ってたんだ。環の後輩の井田くんって子が」
「後輩じゃないし井田って混ざってるし子なんて人じゃないし。お母さん今日も抜群に適当だね」
「けど電話があったのはホントウ。何時だったかな、迎えに来るって言ってたよ」
「はあ?行かないし」
「私に言われてもねぇ。まあホラ、ごはん食べちゃってよ」
「…………」

相変わらず、今日も適当なお母さんだった。食器棚からお茶碗を出してごはんをよそう。お父さんは?と聞くともう出たのだという。お母さんにならって適当な会話を交わしながらごはんとおかずとみそ汁、あと箸と牛乳をテーブルに揃えて着席すると、ようやく朝食にありつけた。

「ていうかお母さん。井田って多分、井原と田原が混ざってんだと思うんだけど、どっちだった?」
「さぁ?よく覚えてないけど、そういえば環のことを『タロウ』だの『シロ』だの呼んでいたような気がする」
「それは多分『ポチ』って言ってたんだと思うよ」
「あらそう。環、まるで犬扱いじゃない。なに、ペットなの?」
「リスなんだとさ」

首を傾げるお母さんは置いといて。先輩と田原には昨日、ちゃんと『行かない』という意思を表明したはずなのだけれど。どうやら彼らは迎えに来るというし、わたしの意思は関係ないらしい。「せっかく頑張ったんだからさー、特訓の成果を見に行こうよぉ」と先輩は言っていたけれど、わたしは結局、バスケ部が勝とうが負けようがどっちだっていいのだ。黒子くんも火神くんも、つまりはただのクラスメートだし、バスケ部との付き合いはそりゃあ多少はあるけれど、それだって先輩達同士の付き合いの延長のためであって、わたし個人で繋がりを持っているわけではない。みそ汁をすすりながら、思う。

「何だっていいよ。もう」
「──歪んでるねぇ」
「お母さん、みそ汁濃い」
「気合いで飲んでよ」


9時。
ジャストに鳴った呼び鈴で玄関に出ると、外には先輩と田原が仲良く並んで立っていた。やっぱりめんどくさくなってきて扉を閉めようとする。足を挟まれた。「ちょっ水無ちゃんオレ!オレオレ!」と痛そうに顔を歪める先輩に構わずドアを引いていると、見兼ねたらしいごつい手がヌッと鉄板を掴み、自慢のバカ力でついに開け放してしまった。ああ面倒くさい。

「さっ水無ちゃん!大人しく神妙に、大好きな先輩と応援に行きましょー」
「ポチ。リード持って来てやったぞ」
「リスにリードを付けるのかおのれは。マジで頭悪いんじゃないの」
「おはよーございます水無ちゃんのお母様!いつも仲良くしてもらってる、先輩の井原広輔です!こーちゃんって呼んで下さいねっ!それでは水無ちゃん、早く支度をしておいで!」
「…………」
「環。お友達を待たせちゃダメよ」
「友達じゃないし。ていうかお母さん、楽しんでるよね」
「ふふ」
「いや、ふふ。じゃなくて」

もうやだ。
なに、こいつら。

場所は変わって南目黒高校の体育館。2階のギャラリーには人がいるものの、まだ予選の一回戦だということで恐らくは選手の身内やバスケ関係者ばかりなのだろう。大きく空いているスペースのど真ん中にドッカリと腰を下ろした田原に続いて座る。見てみると、ちょうど誠凛の男バスメンバーが入ってくる。その後に、件のせねがる人が頭を打ち付けて入った。体格がいい、というよりはやはり身長と手足の長さが目立つ。しばらく何となしに眺めていると、褐色肌のそいつは黒子くんを幼児にするように抱っこした。その時の彼の表情と言ったら、もう、なんか、何とも言えない。気の毒すぎて。「ぶはっ!見たか今の!やっべマジウケる」田原はモラルというものを学べと思った。身長は努力どうこうでなんとかできるものじゃあない。

「お。始まるってよ」
「がーんばれーえ」

ホイッスルが鳴り、ジャンプボール。バスケ部では最もタッパのある火神くんだけれど、さすがに外国人には負けるか。すんなりと向こうに渡ったボールは、フリースローのエリアまでドリブルされたかと思うとブロックも意味なしにリングへ吸い込まれた。

「ちゃあ。先制取られちったねー」
「リバウンドは順平か」
「……おおー。守備範囲も、やっぱ広いですね。今完全にフリーだったのに」
「しかし動きおっせーな向こうは。今のは8番が入れただろーがよ」
「チーム自体は伸びがないよね」
「当たり前です。得点源は大半が5番。ビデオで観たのだって、5番を生かしたプレーばかりでしたから」
「ま、1年だからな。ヤツが封じられた時、4番が何も出来ねーってこたぁねーんだろうが……」
「動く気はないようですね」
「今の内、だけどな」

練習の通り、ジワジワと精度が落ち始めるシュート。焦る表情。──やりたいことをさせない、行きたいところへ行かせない。そうやって相手の苦手な態勢に追い込んで、プレッシャーをかけて楽にシュートをさせない。よりによって火神くんにこれをやらせるとはとんだミスキャストだと思ったけれど、練習や今、試合を観ている限りでは調子よく発動出来ているようだ。「確実にイライラしてるけどね」と先輩は苦笑する。

「カゲっ子は第2・第3Qと引っ込むんだっけか?」
「カゲっ子て」
「あ?涼がマネっ子なら黒子はカゲっ子だろーが」
「何気にあだ名好きなの?ネーミングセンスに自信ある系なの?人に、てかリスにポチとかつけておいて?」
「よーし、シメる」
「飲み物買ってきまーす」
「水無ちゃんオレ午後ティーミルク!」
「オレおしるこな」

席を立つ。黒子くんを引っ込めた今、誠凛はこの15点差を守ろうとするだろう。向こうは何としてでも縮めようとするだろうけれど、果たして『高さ』の優位という甘い蜜を知ってから、すぐにそれを捨てることが出来るかどうかは預かり知らぬことだ。定かではないし、どちらでもいいこと。──ガラガラのギャラリーを出て廊下を歩く。この自販機にもあったかいおしるこが置いてあることに内心仰天しつつ(今年はおしるこブームか何かなのだろうか。前に嫌がらせで買ったおしるこに田原はすっかりご執心だ。)、自分用にはポカリ。缶とペットボトルを抱え、お釣りを取り、戻ろうと勢いよく踵を返したところで、前を確認していなかったわたしは後ろに並んでいたらしい人物の胴体にぶつかった。

「わ、すみません」
「いや、構わない。……ん?」

随分高いところから聞こえた声に、首をもたげる。火神くんと同じくらい、いやそれ以上じゃないかと思うぐらい高い身長の男の人がこちらを見下ろしている。この学ランはどこ校だろう。いや、どうでもいいか。とりあえず一言謝罪して、自販機の前から脇へ逸れる。逸れ、ようとした。ところ、後ろ手で手首を掴まれた。らしい。振り返る。眼鏡をかけた、男子学生。なぜ掴む。わたしを捉えたまま、なぜか訝しげな表情でじぃっと見てくる。何だろう。ぶつかったこと、あるいはいまの謝罪に対して不満があるのだろうか。誠意が足りない、とかだろうか。『構わない』って言ったじゃないか。とか思いつつ。

「……あの。本当にすみませんでした。完全にわたしの後方不注意でした。次から気をつけます」
「ああ、いや、気にしていないのだよ」
「──はあ」
「……どこかで会ったか?」
「はあ?」

知り合い、だろうか。
確かに記憶力はそんなによくないけれど。こんな特徴的な話し方の男子学生と出会ったら、そうは忘れないだろう。目の前の人の言葉を受けて、わたしはそれでも逡巡した。

「…………。いえ。会ってません。と、思います、けど。多分」
「……違う、か」
「はい」
「…………」
「えっと……」
「……すまない。人違いだったようだ」
「あ、いえ」

わたしから視線を外し、ふいっと自販機に向き直る。財布から取り出した小銭を入れるその人を見ていたのは、話しかけられて何となくリズムがズレたのと、多分、緑色の髪が珍しかったからだろう。日本語には『緑の黒髪』なんて言葉もあるけれど、あれとは違って正真正銘、色鉛筆にある緑色みたいな緑である。こんな色の髪ははじめて見るな、と思い、眺める。そんなわたしの視線など気にもとめずにディスプレイされている飲み物を一通り確認していたその人は、人差し指でボタンを押したけれど、しかし飲み物の落ちる音は聞こえてこない。

「…………む」

後ろから覗き込むと、どうやら買おうとしていたのはおしるこらしく、そのボタンには『売切れ』のランプが灯っている。わたしが買ったので最後だったようだ。……あちゃあ。もし後から来たのがわたしだったなら、どうせ田原のだし、ないなら諦めて水でも買って帰ったというのに。何にせよ、ご愁傷様。と心中手を合わせて、変な人から離れたのだった。




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