息が、弾む。 「──おいチビ!今のはダンクだろ!」 「シキはここじゃしない!ホントにテープ観た!?勝手に判断してピョンピョン跳ぶな!カエルかあんたは!」 「んだとゴラ!!テメーこそドリブルあめぇんだよ!まだ5分だぞ!」 「っ、もっかい!」 井原先輩を相手に、練習すること三日目。可哀相なことにお父さんというあだ名を付けられたらしいせねがる人をコピーするべく、黄瀬くんにアドバイスをもらって練習すること同じく三日、なんとか基本的なリズムと思考を自分に被せることが出来た。彼はタッパとリーチに頼ったプレイヤーなので難易度自体はさほど高くはなかったけれど、いかんせんそれまでの自分のスペックと照らし合わせて、『ここでこれを使ってはいけない』など取捨選択しなければならないのがそれなりに苦労所である。けれど、そういった話なんかよりもっと根本的に存在するネックがあるのだ。 「オイ!!なんで今打とうとすんだよ!」 そう。 それはこの、肩車。 「リングガラ空きだったし……」 「ここは右で抜けてからジャンプだろうが!テメーみたいに3Pからパッカスカ入るヤツじゃねえぞ!」 「だからってこっちのモーションと同時にピボットすんのやめてもらえません!?目ェ回るわ!」 「いっこ下なんだから、テメーが合わせに来い!」 「はあ!?」 息が合わない。 とにかく合わない。 これでもかってくらい合わない。 またもや口論を始めるわたし達にこれは長くなると思ったのかDFの構えを問いた井原先輩は「今のままじゃ上半身と下半身が別々の、でもなぜかめちゃくちゃ上手いセネガル人だね」とズバリ的確な描写をした。眉間のシワがもはや取れなくなっているかと思われる田原のそれを指で突くと、何かヒモのようなものの切れる音が聞こえた。おや、これは何の音だろう。 「……っんの、クソガキ──!」 「あ。バッシュのヒモか」 「よけんなー!!」 「え?」 「スゲー水無ちゃん!ゆーちゃんの俺様パンチを避けるなんて!」 「え?ああ、まあ田原のパンチなんて蝦がとまるようなもんです」 「うが────!!!」 ああ。 なぜわたしは、こんなことをしなければならないのでしょうか? 「ハイ10分休憩──!!」 全体の1/4のスペースを借りて練習していたわたし達のところに、相田先輩がやって来た。今の笛で男バスも休憩に入ったらしい。タオルとドリンクをひっ掴むと開け放しの扉まで競争して顔を出し、見るも哀れな体勢のまま動かずに新鮮な空気を肺に取り入れている。背景のそんな屍達のことなど全く気にしていない相田先輩は「調子どお?」ハツラツな笑顔を見せた。 「んー。まだまだかなぁ」 「そ?言い合いながらやたら上手かったけど。まあ確かにお父さんとは違うか」 「コイツが下手なんだよ」 「この人がバカなんです」 「…………」 「…………」 「はーい無言で立ち上がらない」 二人して笑顔でチュッパチャップスを口に突っ込まれた。プリン味はめちゃくちゃ甘い。面白い見世物の観客よろしく、相田先輩は手を叩いて爆笑している。何で仲の良ろしくないこと一目瞭然のわたし達がこんなことをしなければならないのかと反抗すると一言『面白いから!』とグッジョブした人だ、今はさぞ愉快な気持ちになっているに違いないけれど、わたしは今とても不愉快な気分だった。あの後取って付けたような『井原君とじゃ5センチ足りないからねぇ』にも納得がいかない。5センチ足りないからといって何だ。というかそもそも、水戸部先輩だけで事足りることではないかとすら思う。 「GWまでにはバッチリにしといてね!」 つまりこの人は、 面白がっているだけなのだ。 「おいポチ。ポカリ買ってこい」 「ポチじゃないです。てか、自分で買ってこい」 「てかゆーちゃん、思ってたんだけど、なんでポチなの?」 「あぁ?テメーがコイツをリスだとか言うからだな、あだ名を」 「ゆーちゃんの中ではリスの名前がポチなの?」 「センスの問題じゃないですか?」 「オラ、さっさと買って来い」 「リスのつもりでも扱いは犬だよね」 「それも、センスの問題かと」 「そうなの!?」 とかなんとか。今回はお金を(投げ)渡されたので、外の空気を吸うにはちょうどいい機会だと体育館を出る。腕の力を鍛えるのとバランス感覚を培うため、とかいう名目で相田先輩の指示通り逆立ちで。倒立ぐらいはわたしだって出来るけれど、手で歩くのは案外難しい。というか予想以上にしんどい。渡り廊下を越えて一度校舎に入り、中庭にある自販機まで行くと、片道で結構疲れてしまった。地に足を着けて、先輩とわたしの分はポカリにしようと決める。田原ので迷って、迷って、迷った末におしるこにしようと決めた。もちろん、可愛いげあるささやかな茶目っ気、もとい嫌がらせである。ていうかこの自販機、わたしの好きなゴクリ。が置いていないとはどういうことだ。おしるこなんてマイナーなもん置いてるくせに。おしるこなんてマイナーなもん買う人なんて、果たしてこの高校に一体どれだけいるだろうか。絶対にゴクリ。を求める人の方が多いはずである。賭けたっていい。と、そんなことを考えながら、近くのベンチに腰をかける。このままだと帰りは腕が保たないだろうし、ちょっと休んでから行こう、と一息つく。自分の分だけ先にポカリを買って、飲んだ。 「あー……戻ったらまた練習か……」 田原と。 ……サボろっかな。 第一、向いていないのだ。 わたしが誰かと息を合わせるなんて。 …………。 ………………。 『テメーはチームプレイが出来てねえ』 初めての3人揃った同好会のまともな活動で、わたし達は校庭のリングを使いバスケをした。奇数数なので先輩とわたし対田原、わたし対先輩と田原、田原とわたし対先輩といった具合に、順番に何回か繰り返し行った。その時にやはり田原と口論になり、その際に言われた言葉だ。──いや、正確には、それを言われたから口論に発展したというのだけれど。 わたしのバスケは、 元々がチームプレイを想定したそれではない。 バスケを始めたきっかけも、 バスケの練習も勝負も、 対象はずっと一人であって、 誰かと手を取り合ってバスケをするなんて考えはわたしにはなかった。あの人とも、あの子とも、そしてそれ以外とも、いつだって『勝負』といえば1on1だった。だからあの海常戦で、歓喜に湧くベンチにいて奇妙な心地になったのだ。 『チームプレイってもんが全然わかってねぇんだよ』 わたしはそんなもの知らない。 わたしは、ただ憧れでバスケが出来ればそれで良かったのだ。それで徐々に楽しくなっていって、次第に視野が広がっていって。 あの時間さえあればそれで良かった。 あの背中さえ見られていれば。 けど、なくなった。 自分から手放した。 何もしなくなって、 何も出来なくて、 ただボールだけを見ていた。 そうして今のわたしがある。 人に合わせるバスケじゃない。 リズムを掴み、リズムをずらし、リズムを揺さぶり、リズムを崩すわたしのバスケは、人を避けるバスケだ。人から逃げるバスケットだ。 だから、 だからわたしには。 「────」 ポケットから携帯を取り出して、片手で開く。着信履歴を取り出して、一番真新しいそれを押せば、やや機械的なアナウンスが流れる。新しい伝言を一件、お預かりしています。『おはよー環!』無機質な高い音の後に聞こえた声は、ひどく温かかった。携帯を、痛くなるほど強く握った。 『やっほー、元気?こっちはねー、色々うるさいけど楽しくやってるよ!今日はガッコないから会のメンバーで大阪に殴り込み行くんだー。まー暴れて来ますよ。夏にもさあ、大会あんじゃん東京で!あたしそっちにも顔出すから、環も来いよー!それまでに強くなっとけよー!そんでまた勝負しよう!あ、環GWは何すんの?ヒマ?よかったら遊ばない?つってもあたしは旅行なんだけどねー。北海道!あたし初めてなんだよねー。何がおいしいかなー。カニ?やっぱカニ食べるべき?でもあんま金ないからさー。もーバイトしよっかな。高校生んなるとやたら金使わない?おこずかいがさー、少なくってさー。なんかいいバイトあったら教えて!てかウチんとこもーすぐ中間なんだけど!ついでに勉強も教えて!友達にさーめっちゃ頭いい子がいるんだけど、そん子忙しそうでさあ、あっ前言ったマネジの子ね!それでその子とヒヨコが──』 明るい声。 みずみずしくて、 清々しくて、 輝いている。 楽しそうな声。 強くて凛々しくて、格好良かったあの子は埼玉へ行ってしまった。自分の求めるものを求め、自分のするべきことをして、自分のやりたいことをやるあの子はきっと本当に楽しい毎日を送っているのに違いがない。 羨ましい、と思う。 わたしには無理だ。 あんなことがあって、 それでも尚あの子みたいに笑っているなんてことは、わたしには出来ない。 わたしは弱いし、 それにひとりになってしまった。 わたしには出来ない。 羨ましく思う。 けれど、 だからこそ。 そんな彼女の言葉で、 少しだけ救われる自分がいる。 この声を聴くと、 まだほんの少しなら、 頑張れるような気がする。 まだ、 もうちょっとだけ。 『──ねえ。今日は空がキレイだね。こんな日は、バスケがしたくなるね』 ──うん。 そうだね。 「……そうだね」 少しだけ、笑いたくなる。 それと同時に、泣きたくも。 しなかったけれど。 「おーい、環ちゃん。田原がまだかって騒ぎ始めたよー。ポカリでポカッとしてやろーかとか言ってた」 「絶対にウソですよね?」 「あ、ばれた?……バッタのウソが」 「もういいですから」 こうして毎日、 ほんの少しの勇気をもらう。 ← → |