「いべりこぶたかつさんどぱんさんだいちんみのせにせんはっぴゃくえん?」 おうむ返ししたはずの発音は我ながらとても幼稚に聞こえた。電話の向こうの井原先輩は「可愛いね」と言ってくれたけれど、先程言われた『いべりこぶたかつさんどぱんさんだいちんみのせにせんはっぴゃくえん』は未だに脳内で変換出来ず、頭の中でぐーるぐーると回っている。ひらがなの使いすぎは逆に読みにくくてうっとおしいことこの上ない。中庭に向かって廊下をぐるぐるしながら歩くわたしの様子を知りはしないだろうに先輩は「ああ、パンの名前ねソレ」と教えてくれる。丁寧に区切ってもう一度唱えてくれたそれによると、なるほど、イベリコ豚、カツサンド、三大珍味、2800円、か。とわかった。わかったけれど、三大珍味乗せとは、なんて品のないパンなんだろう。 「毎月27日はねー、そのパンが数量限定で販売されんだよ。ゆーちゃんが言ってたのは多分それだと思うよ」 「はあ。メールには『パン買ってこい』としかありませんでしたが」 「ジンクスがあってねぇ、それ食べれば部活も恋愛も勉強も、何事もうまくいくっていうの」 「へえ……」 「お。ちょい興味出た?そだよねー、水無ちゃんも乙女だもんねー」 「乙女違います」 「そのパンさ、だから人気あって、なっかなか手に入んないんだよねぇ。オレは9戦9敗」 「……ちなみに田原は?」 「ゆーちゃんはそんなメンドいことしないんだねぇ」 「先輩パシられたんですか?」 つまり、授業中にもかかわらず送られてきた田原からのメールにあった『パン買ってこい』は真実パシリであるということだ。大体どうして、こいつはこんな時ばかりわたしにメールしてくるんだ。普段はわたしの存在なんかめったなことじゃスルーの姿勢を崩さないくせに。ムカムカし始めるわたしに先輩は渇いた笑いを返した。さて外に繋がる扉を開けると、売店の前にそびえる生徒の山が目に入る。押し合い抑え合い、非常に混み合っているその山。聞くからに品がなさそうな割に人気らしいイベリコ豚カツサンドパン三大珍味乗せ2800円を手に入れようとするものの、最前列の人も最後まで名前を言えないぐらいギュウギュウ詰めにされている。…………うわあ。入りたくないな。売り切れたってことにして、帰っちゃおうかな、と瞬時に考えたその時、ぼうっと眺めていたその混雑に自ら入っていこうと奮闘するバスケ部一年の姿が目に入り、その度に跳ね退けられている火神くんも目に映り、更に言うとその傍らで空気のように存在している封筒を持った黒子くんの姿が視界に入ってきた。いや、いつのまにか入っていた。 「黒子くん」 「あ、水無さん」 「黒子くんも、パン買うの?」 「はい。先輩に頼まれまして」 「わたしも。パシリだよ」 「身も蓋も無いですね……」 ていうか黒子くんがお金を持っているのに、どうして火神くん達が頑張っているんだろう。と正直な疑問を口に出すと「そういえば、そうですね」とあっさり頷かれる。けれどまあ、貧弱そうな黒子くんにこの鉄壁のガードは火神くん達以上に優しくないだろうし。けれど、黒子くんの今持っているお金は先輩から渡されたものだという。わたしは田原からメールを受けただけなので当然このお金は自腹である(あとで絶対に請求するけれど)。ああそうだこれだよ、一般良識のある先輩と田原との違いは。などと思考を巡らせる。がしかし、こうして人混みから外れて黒子くんとおしゃべりしているあたり、現時点でわたしにパシリを完遂させる気はない。けれど男バスは随分頑張っている。話によると買えなかった場合は筋トレとフットワークが3倍になるらしい。残念ながら実ってはいないけれど、その努力は実に涙ぐましいものである。 「……じゃあ、ボクも行ってきますね」 「え?」 「お金持ってるのボクですし。火神君達にばかりやらせておけません」 「……待って!」 「大丈夫ですよ」 「違う。そうじゃなくて、はい」 「はい?」 「お金。わたしの分も、買ってきて」 「…………」 「黒子くんならきっとやれる。大丈夫だよ。わたしはそう信じている」 「…………。行ってきます」 「ばいばい」 口先だけの言葉の数々に至極不満そうなカオをしたものの、黒子くんは大人しくお金を受け取って人混みへと歩き出してくれた。黒子くんが買えるとは別に思っていないけれど、まだチャレンジしていない分、現在進行形で挑んでは敗れを繰り返している他の人に頼むよりは期待できる。もちろん、のほほんと見ているだけでいるよりはよっぽど可能性があるはずだ。まあ黒子くんがムリなら諦めればいいか、と軽く考えていたのだけれど、なんと黒子くんは人の隙間をついてするりと群れに混じり、もみくちゃにされながらもじりじりと前へ進んでいるではないか。そしてしばらく待っていると、混み合いから押し出される。けれどその手にはしっかりとパンが、2つ、握られていた。わたしはパンに駆け寄った。 「黒子くん。でかした。ナイスだね」 「疲れました……」 「うん、ありがとうね。この恩はたぶん一時間は覚えてると思うよ」 「短いですが」 「それじゃあわたしはパンを渡しに行ってくるね。黒子くんもバテた阿呆達の処理、頑張ってね」 「…………。はい」 「ばいばい」 黒子くんに背を向けて、再び校舎に入る。いや、さすが幻のシックスマン。幻のごとく誰にも認識されず、幻のパンを買ってくるとは。いやすごいすごいと心中黒子くんを称賛しながら、2年校舎へと向かう足取りは軽かった。 「こんにちは」 「あ、水無ちゃん!大丈夫だった?どこもケガとかしてない?」 「っせーよ。昼休み終わっちまうだろーがオラ。寄越せ」 「井原先輩。これ」 「おー!!!!スゲ!!買えたの!?」 「よかったら半分こしません?」 「えっいいの?いいの?」 「待て待て待て!そりゃオレが頼んだパンだろーが!!」 「あなたに『頼まれ』てはいませんしあなたの分は買えませんでした。何分金欠でして。これはわたしと先輩で食べる用のパンです」 「テメ、ざっけんな、よっこっせ!」 「はい先輩、どうぞ」 「水無ちゃんってゆーちゃんがいるとオレにデレてくれるよねぇ。あんがと」 「わたし達仲良いですもんね?」 「ねー」 ← → |