「えーっ!?環っちマネやってくんないんスかぁっ!?」 黄瀬くんが泣いた。いや、鳴いた。それは4月も終わりに近付いた日曜日のこと。わたしが通う誠凛高校の男バスと黄瀬くんが所属する海常高校が練習試合をすることとなったため、誠凛メンバーと黄瀬くん双方ととても親しい仲にある我がストバス同好会創始者井原広輔先輩に半ば引きずられるようにして引きずられ、こうして海常までやって来たのであるが、途中誠凛とはち合わせし、ちょうどいいからと相田先輩はわたしにマネージャーを頼む。当然日曜日まで面倒なことはしたくないわたしは断るのだけれど、井原先輩はなんと快諾してしまった。じゃーわたしは観てるのでいってらっしゃーい、という思いを無表情から読み取ったらしい先輩が「それはいーけど水無ちゃん、すぐギャラリーでは観たくなくなると思うよ?」と言う。何でも日頃の練習中も海常の女子生徒がギャラリーにおさまりきらないぐらい集まってしきりに『黄瀬くんスゴイ』『カッコイイ』と鳴いているのだそうだ。それを聞いてドン引きしたわたしの手を相田先輩がそっと握りしめる。「環ちゃん……ダメ、かなっ……?」目をうるうるさせて、上目遣い。ああこの先輩はどうしてそんな武器を女のわたしにしか使わないのだろうもったいないなと思いながら、わたしは「頑張ります」と握り返したのであった。──そして今現在、それを快く思っていないらしい人が一人、いるらしい。ああまた泣いてら、と彼を見上げる。それは相田先輩のように一撃破壊を企てたものでは決してない。 「なんで黄瀬くんはわたしがそっちのマネをすると思うのかがわからないよ」 「だって!!だって試合誘ったのオレじゃんスか!!」 「その理屈は意味がわからないから」 「それじゃ、それじゃあオレは、どーやってモチベーション上げたらいぃんスかっ!?」 「黄瀬くん。死んで?」 「ヒドッ!!」 「つーかテメ!さっきマジで潰すっつったろーが!」 「いやー、やっぱ女の子からの声援がないと燃えるに燃えらんないっつーか──」 恐らくも何も絶対に火神くんで遊んでいるだろう黄瀬くんは飄々とふざけたことをぬかしていたけれど、言葉の続きの代わりに「いてっ!」と小さく叫び肩に手をあてたので、何事だろうと黄瀬くんの後ろを見れば仁王立ちする海常側の男バス部員の人がいた。「黄瀬テメー!ふざけたこと吐かしてっとシバくぞ!!」という当然の言葉に「もうシバいてます……」と弱々しく返す黄瀬くん。涙目でこっちを見つめてくるので舌を出してやった。彼は泣いた。 「そういうわけでわたしと先輩はベンチから観てるから。じゃあね」 「うぅ〜っ……環っち今日もクールっスね……」 「なんで泣くかな。そんなに声援がほしいの?」 「だってオレら、仲いーじゃんスかっ」 「いいの?」 「聞く!?いーのっ!!」 「ふぅん」 「井原っちぃ……」 「頑張れ涼太!オレはどっちも応援してっから!」 二人を無視してベンチへ戻り、相田先輩の隣に座る。ネコみたいな顔をした先輩(小金井先輩?とかいう……)が「やっぱ黄瀬と仲いーね」と言ってくるので、わたしはそれからたっぷり十秒間、真剣に黄瀬くんとの関係について考えた。黄瀬くんはさっきシバかれた人に「ベンチすっこんでろ!!」と放り投げられていた。先輩がやっと帰ってきて「涼いじけちゃったよ?」と苦笑した。そんなもん知るか。と返した。 「──それではこれから、誠凛高校対海常高校の練習試合を始めます」 選手の皆さんはコートに集まって下さい、と審判が言う。「行ってくるわ」と日向先輩が言い、「勝って来い!」と相田先輩が言う。おお。なんかいいコンビっぽい、と思いながらコートでのなりゆきを見て、黒子くんはつくづくかわいそうだと思った。ミスディレクションもオンオフで切り替えられたら便利なのに。ピピーッ、と笛が鳴り、ジャンプボールでまずは海常側からのスタートになったようだ。笠松さん(相田先輩が教えてくれた)がボールをつきながらチームメイトに声をかけて──いる間に、黒子くんが静かに正面からボールを奪った。 「わお」 「おおー!スゲ!あれが黒子ちゃんのミスディレ?」 「そうよ。影の薄さを利用して、パスの中継役をするの」 「あーっ!リング壊した!!水無ちゃん水無ちゃん、あれ誰!?」 「火神くん」 「アメリカ帰りのルーキーよ」 「かぁっくいー!!リング壊すとかすげーイカス!!」 「マネしちゃダメですよ」 「えー」 一同騒然となりながらも、結局は普段通りに練習を行っていた半面を空け、全面コートで試合を行うこととなったらしい。練習していた部員はギャラリーと化し、全面側のリングが下げらられる。「涼すげー楽しそうなカオしてるわー」からからと笑う先輩も、とても楽しそうである。向こうのカントクに呼ばれた黄瀬くんは、たぶんこっから出てくるのだろう。モップがけが終わり、とりあえず2-0から試合再開となる。黄瀬くんがコートに入ると、ギャラリーや出入り口付近にわんさかといる女子生徒達が黄色い声をあげる。笑顔で手を振る黄瀬くんだけれど。 「……顔。マジだねー涼ちゃん」 「……蹴られる姿はアホの子そのものですが」 「昨日も涼と遊んだんだけどね、オレもーボロ負けちゃったしなー。相田ちゃん、どーよ涼の測定は」 「……バケモノね」 「こりゃ骨折れるぞー火神ちゃん」 「別に、折れてもいいじゃないですか」 「え?」 「折れても、それで勝てるなら」 それで勝てるなら骨ぐらい。黄瀬くんの『お返し』は確かにすごいけれど。それでも、心さえ折れなければ。「上等だ!!」しぶとく。しつこく。食らいつける。折られさえ、しなければ。 「うおっ……しゃあぁあ──!!」 雄叫び。 鼓膜をビリビリと揺らすそれに軽く耳を抑えつつ、わたしはタオルを備え、先輩は用意していたドリンクを並べた。黒子くんの寝ていたところを片し、救急箱もしまう。コートの中に喜びと悔しさが混ざり合い、勝利に湧くベンチの中に自分がいることが、なんとも不思議な気持ちになったのは初めてのことだった。 「負け……たんスか?」 信じられないとでも言うように呟いて、それでもじわじわと込み上げてきた初めての『負け』に、涙する。「あれ?──あれ?」黄瀬くんはよく泣くけれど、あんなのとは比べものにならない。先輩が心配そうな表情で今にも立ち上がりそうになりながら黄瀬くんを見ている。わたしも見ていた。泣いている黄瀬くん。蹴られる黄瀬くん。叱咤される黄瀬くん。 「ありがとうございました!!!」 奮起する黄瀬くん。 なるほど。今日は確かに、わたしは黄瀬くんを観に来たようだった。 「お疲れさまです」 「お。サンキュ」 「どーもー」 「順ちゃん順ちゃん!ドリンクはオレが作ったの!どお?おいし?」 「ああ。死ね!!」 「あぁん冷たいっ」 「気色わりーよ」 「黒子くん、立ちくらみしてない?」 「はい。大丈夫です」 「火神くんもお疲れ」 「おー。どーだ、オレと勝負する気になったか?」 「試合中とってもうるさかったからわたしは絶対にしたくないなって思ったよ」 「テメー!!!」 クールダウンも終わり、着替えに向かう途中、相田先輩や部員の人に続いて行こうと立ち上がると、後ろから腕を掴まれた。掴んだ本人は「オレと水無ちゃんはコッチで待っとくねん」と朗らかに笑顔である。行ってしまった面々を見送る背中を睨んでいると、振り返った先輩は笑顔で頭を撫でてきた。 「水無ちゃん」 「はい?」 「涼に会ってこっか」 「…………」 「今日は涼の誘いで来たワケだしさ。挨拶ぐらいしてこーよ」 これから電車に乗って東京へ帰る誠凛とは違い、海常バスケ部はまだ練習が続くという。ユニフォームの上だけをシャツに替えるだけなので試合に出ていたレギュラー陣はその場でさっさと着替えを済ませていた。黄瀬くんもその中に居たのだけれど、目が合う前に黄瀬くんは部員の人に何か言って、静かに外へ出て行ってしまう。 「あっ!涼ちん!」 「……先輩、やめときましょう」 「なんで?」 「一人になりたい時くらい、誰だってありますよ」 「そっかな。オレはどんだけ負けても、一人になりたくないけど」 「そりゃあ、先輩はバカだから。でも、先輩と黄瀬くんは立場が違うんです。黄瀬くんはアホの子なんですよ?」 「それなんかヒドくね!?」 「あのー」 「ん?」 「はい?……あ」 「ドモ」 海常の主将さん。この人もすごく上手かった。黄瀬くんしか想定に置かないゾーンプレスなんてものともせずに3Pを決め、点取り合戦では黄瀬くんの次に決めている。笠松さんは頭をかいて「黄瀬、もーちょい待ってもらっていいですか?」と外を親指で差した。顔洗ってるんで。と静かに言う。何か言おうとする先輩の口をふさいで快諾しておいた。 「あと、えっと、水無サン?」 「……はい?」 「黄瀬がすみません。試合始まる前」 「ああ、いえ。……敬語、なくていいですよ?わたしと先輩、年下ですし」 「あ、ドモ──じゃなくてサンキュ」 「こちらこそ、いい試合見してもらっちゃいましたー。笠松さん、オレと1on1しません?」 「は?」 「すみません。軽く聞き流して下さい。いつものことなので」 「あー、いや、じゃーまた今度な。今日はさすがにムリだわ」 「えっマジすか!じゃーメアド聞いといていっすか!?」 「え、あ、おお……」 「先輩何しに来たんですか」 結局、誠凛が帰る時になっても黄瀬くんは戻って来なくて、笠松さん率いる海常メンバーと監督が見送りをした。わたしも一緒に帰ってよかったのだけれど、先輩は「涼と遊んで帰るー」と言い「水無ちゃんいないと帰り道わかんないー」といつかの黄瀬くんみたいに駄々をこねるので残ることにした。明日は月曜だから学校があるのだけれど、と呟くわたしに「ゆーちゃんを見習え!!」と言う始末なので、黄瀬くんに会うまではもう誰の言うことも聞くまい。海常の人達と共に体育館まで戻ると、入り口のところで笠松さんが言った。 「どーする?ウチぁこれからミーティングだけど」 「あ。涼も出るんすよね?」 「ああ、今探しに行かせてる。悔しがるだけじゃあ次に活かせねーからな」 「じゃあ、オレ達運動場のリングで待ってるんで。一応敵高だし、ミーティングの内容なんて聞かれたくないっしょ」 「わりーな」 「全然!そん代わり、今度遊びましょーね!じゃー今夜メールすんね!ばいばーい!」 「すみません本当に。失礼します」 「お、おお……」 敬語まじりのタメまじり。笠松さんに大きく手を振る先輩に呆れながら頭を下げて先輩の腕を掴んで引きずる。「いやー楽しみだなー」とルンルンな先輩にしてみれば、今日は1on1の新しい相手が出来たことで大収穫だったに違いない。よくもまあ、出会う端々からそんなに仲良くなれることだ。 「井原っち、環っち」 黄瀬くんと会えたのはやはりそれから30分は経ったころで。制服姿の黄瀬くんはわたし達を見て「またやってんスか」と苦笑する。疲労はやはり表情に表れていた。わたしは黄瀬くんが声をかけたことによりシュートのモーションを制止させていたけれど、先輩もディフェンスを停止していたので、ラストの合図代わりにボールを放った。パス、とネットをくぐる音が心地よい。あっずりい、と零した先輩に勝負にずりいもないでしょうと返し、リングの支柱にかけてあったカーディガンを取る。先輩の上着も持って、近付いてきた先輩に投げた。 「どっちが勝ったんスか?」 「わたしだね」 「ぶー。水無ちゃん手加減してくんないんだもーん」 「手加減する余裕はないです」 「えっマジマジ?」 「『まじまじ』」 「いやんそんなに見つめないで!」 「はは……。お疲れっス」 「…………」 「…………」 やっぱり元気がない。わたしの一世一代のボケをよくもスルーしてくれたな、と黄瀬くんに殴りかかる振りをすれば先輩は全力で止めた。だって先輩。せっかくのアイコンタクトでのアドリブ連携プレーをこいつ……。けれど殴っても詮ないことなので、代わりに「そっちこそ」と言う。 「そっちこそ。お疲れさま」 「……負けちゃったスよー。環っち、慰めて?」 「あい、へいと、ゆー」 「…………ちぇ」 「…………。それだけ悪ノリできるなら大丈夫だね」 「……心配してくれたんスか?」 「先輩がね」 「オレ!?いやしてたけど!」 「…………ははっ」 あ、笑った。 二度目の笑いも渇いてはいたけれど、少しだけマシに、黄瀬くんは笑った。先輩が黄瀬くんに抱き着いた。 「涼ちょーかっこよかったー」 「惚れたっスか?」 「惚れた惚れた、ちょー惚れた!涼くん好き!大好っき!!」 「男に惚れられても〜」 「水無ちゃん!ほら言え!言うのだ!」 「環っち!ときめいた?オレにときめいたんスか?」 「二人とも死んでください」 二人は泣いた。 うん。 このリズム。 これでいい。 これでいいのだ。 ← → |