耳を澄ませば聞こえてくる。地面を叩くバウンズ音、砂を蹴る靴、きぬ擦れ、そして弾む息。ドクンドクンと波打つ脈や、鼓動。──は、まあ、予測するしかないのだけれど。相手のリズム。相手のコンディション。相手のモチベーション。相手のステータス。全てをトータルした結果にたたき出される今のリズムを、わたしは片っ端から崩しにかかる。うち破る。ぶち壊す。だからそれは、いわば破壊のバスケ。壊されるのが嫌で、崩されるのが怖いから、先に壊してしまう。臆病で、怖がり者の理論。 わたしは臆病だ。 いつだって、臆病だった。 「っあー!また抜かれたーっ!」 土曜日。 とある近くのコートにて。 「先輩、いちいち叫ばないで下さい」 「だってもう20回目!!悔しーもんよぅ。さすが水無ちゃんのリズムバスケ」 「……別に、常に読んでるわけじゃないですよ。読む必要のない時は読みません。先輩は読む気がなくてもわかっちゃうんですよね」 「うん?」 「だって先輩、かっこいい技しかしませんし。先輩の好みがわかってたらバッチリ予測出来ちゃうじゃないですか」 「えー!そんなん読んでたの!?」 「読む以前の話です。先輩ダンクしかしないし、……普通にシュート混ぜたらどうです?」 「やーだよ。ダンクが一番かっこいい」 「…………。まあ、何も言いませんが」 わたしと井原先輩は、先輩がゲームの空気をぶち壊しにしたためその場に座り込んで、おしゃべりをしていた。先輩が大好きな田原はいないため、わたしは大変気分よく一日を過ごすことが出来ている。学校に来たり来なかったりと出席日数大丈夫なのか、と思い、そしてもしかすると同好会にわたしがいるから来ない日があるのかもしれない、と考えて先輩に言うと、田原は去年もギリギリの出席で進級出来たのだということ。そうだ、そういえば、わたしのことを気遣うような田原ではなかったな、と妙に納得したものだった。とまあ、そんなわけで、土曜の朝から先輩と待ち合わせをして、無人のコートを陣取って遊んでいる二人なのだった。 「だってさー。ゆーちゃんみたいにスッゴい状況からシュート打てるワケじゃないし、入る率もそんな高くないし。だったらダンクは確実じゃん」 「まあ、跳ぶ前に止められてれば訳ありませんが」 「打って外すよりはカッケーの!それにオレ諦めてねーし。こーしてる今だって考えてんの」 「ほう。何を考えてるんですか?」 「水無ちゃんを、いかに、かっこよく!抜けるか。いかに、かっこよく!ダンクを決められるか」 「かっこよく!ですか……」 やはり先輩の頭にはそれしか存在しないらしい。あぐらをかいて快活に笑う先輩は、どこからどう見てもなるほど今時のオシャレなおにーさんで、今でも充分かっこいいと思う。まあ──わたしの好みではないけれど。「そろそろお昼にしよっか」と先輩はコートの近くに立っている時計を見上げる。わたしも見ると、もう2時になっていた。うわ、もう昼間じゃん。と思った途端に空腹を感じる。ゲンキンなお腹だな……と自分でも思った。頷いて、どうしましょっかと立ち上がる。 「んー、どうしよっか。何か食べたいモンある?」 「や、特には……」 「おごるよん。先輩だし」 「マジバのてりやきセットがいいです」 「早っ!!」 「さ、行きましょう先輩」 「おーい水無ちゃん。逆、逆」 そんなやりとりをしつつ、マジバーガーに到着。店員さんにてりやきセットとチーズバーガーセットを注文し、それから「スマイルひとつ」を注文し、100万ドルの笑顔を頂いて、それからイートインのスペースに移る。お会計の時にちょっと遠慮してみせたけれど、先輩は本当におごってくれた。未だ中学生並のおこずかいしか貰えないわたしにはありがたいことである。……バイトでもしよっかな。さて適当な席について一緒に手を合わせていただきますをし、少し遅めの昼食にありつく。先輩はポテトを一気に5本も取って食べ始めた。男子ってみんな、こんなんかな。 「水無ちゃんはブーメランできる?」 「あ、はい。トリックプレイは大半出来ます」 「いいなー。オレは今トルネード特訓中。あれかっこよくね?服の中でギュオンギュオン回すの」 「ビックリしますよね。でもかっこよさで言うなればフリントストーン・シャッフルとかヒポノタイザーとか、あとツイスターもわたしは好きですよ」 「水無ちゃんって1on1強いよね。オレいっつも止めらんないし」 「先輩は止めやすいですしね。フェイク入れないから」 「だってオレのフェイクってバレバレだっつーし。うぅ……。オレも勝ちたい」 「──でもそのスタイル、極めたらかなりかっこいいことになりますよ?絶対ストレート勝負なのに、誰も止められない。バカカッコイイじゃないですか」 「か、かっこいい?」 「かっこいいかっこいい」 「よしゃ!練習いこ!」 「まだ食べてます」 ていうか食べ始めたばかりじゃないか。奮起する先輩はさっきよりも大口でマジバーガーを頬張るし、コーラもよく飲む。わたしもオレンジジュースで喉を潤し、「今日中にせめて一回転を──」と意気込んでいる先輩をぼんやり見つめた。 「ん?どしたの水無ちゃん。ぼーっとして。オレに惚れた?」 「惚れませんが。……いえ、何だかとても、懐かしくなって」 「うん?」 「こうして誰かと、コートに立つなんて、もうないと思っていたから」 ポテトを食べる。 簡潔に理由を述べて話を切ったつもりだったけれど、先輩はじぃっとこちらを見てくる。まだ話せということだろうか。カツアゲする不良が『もうないだと?ちょっとここでピョンピョンしてみろや』と言うようなものだと思った。思ってから、どんな比喩だと自分でツッコんでみた。けれど、まあ、わたしの場合は、ピョンピョンしたらチャリンチャリンどころではないのかもしれない。 「……バスケ、やめるつもりだったんですよ」 「…………」 「やめるなって。やめちゃダメだって、言われたけど、やっぱりやめるつもりでした。高校生になったら、今までのことも、バスケのことも全部リセットして。──でも、今こうしてバスケしてる。それは多分先輩のおかげです」 「……オレ?」 「先輩にはもう既に、ファンが一人、いるって話ですよ」 何も考えたくなかった。何もしたくなかった。何も聞きたくなかったし、もう誰も傷付けたくなかった。けれどそれをしようとすると、わたしはどこにも行けない。進めないし、戻れない。誰もいない。だからわたしは淋しかったのだ。だからあの時、先輩が話しかけてくれて、誘ってくれて、多分、少しだけ、救われた。本当に楽しそうにボールで遊ぶ先輩を見て、ホッとした。 「だから本当はわたし、先輩には結構感謝してるんですよ。先輩の人柄や先輩のバスケ、わたしは好きです。だから先輩は先輩なりに先輩のバスケを上達して下さい。落ち込むことなんか、なんもないです」 「……水無ちゃん」 「食べたら、コート行って、遊びましょう。それで、楽しく、上手くなりましょう」 「…………。やっぱ水無ちゃん好きっ!なんかクール!ミステリアス!ビューティ!そしてナンパ!」 「はぁ?わたしのどこがナンパですか」 「さりげなく口説き文句!落ちちゃう!オレ落ちちゃうかも!ピンチピンチ!友を取るべきか愛を取るべきか……、それが問題だ」 「え、マクベス?」 一転。 明るく人懐っこい笑顔。 うん。 これが先輩だ。 見てると優しい気持ちになる。 顔には出ないけれど。 「……あれ?──先輩、あの人、なんですかね?」 「うん?──うん、ホントだね。さっきからどーしたんだろ。迷子かにゃ?」 再びコートに戻り、先輩はハリケーンの特訓を、わたしは3Pの練習をしてしばらく経った頃だった。不意にフェンスの向こう側に焦点がいき、そこに一人の人が視界に映る。どこかの制服を着ているその人は先程からこのあたりを行ったり来たり、ウロウロキョロキョロしているのだ。先輩も気付いてはいたらしく、その人を見て首を傾げる。そしてすぐさま大きな声で「おーい!そこの人ー!金髪の!」ブンブン手を振りながらそう言った。え、呼んじゃうんだ。金髪の『そこの人』は声に気が付いてこちらを振り返る。大きく手を振る先輩に「どしたのー?迷子ー?」と尋ねられ、その人はこっちに向かって来た。やがて歩いてくるその人がある程度顔が見える距離にまで近付いてくると、先輩が「あっ!」と声を挙げ、人差し指を向けた。失礼では……?とも思ったけれど、その人は大して気に留めた様子もなく、「どもっス」と会釈する。わたしも会釈を返す。先輩を見ると、驚愕の表情のまんまフリーズしていて反応がない。こら。あんたが呼んだんでしょうが。とは思うものの、自然解凍を待っている暇はない。 「わたし達、ここから見てたんですけど……どこかお探しですか?」 「あ、はいっス。あの、誠凛高校ってどこだかわかるっスか?地図見ながら来てたんスけど、逃げ回ってたら道わかんなくなっちゃって……」 「え、逃げ──?」 「黄瀬涼太!!」 「はいっ!?」 「あ。解凍した」 「解凍?」 「先輩、お知り合いですか?」 「水無ちゃん!知んないの!?黄瀬クンじゃん!黄瀬涼太クンじゃん!モデルじゃん!去年のZuNoNボーイじゃん!今年はついにドラマデビュー!?のウワサの黄瀬クンじゃん!」 「あ。ドラマはデマっスよー……」 「はぁ。モデルですか。興味ないです」 「ええっ!?」 あ。ちょっと失礼だったかも。ガーン、となっている黄瀬さんに先輩が馴れ馴れしく肩を組む。「あーあー気にしなくていーよ黄瀬クン。水無ちゃんはいっつもこーなの。クールビューティなの。気にしたら負けなの」慰めるような声色とその内容にちょっとん?となったけれど、まあいいや。そっスか、と立ち直ったらしい黄瀬くんに「地図あります?」と聞くと携帯を見せてくれた。ああ、こんな概略図で初めての場所に行こうとしてたのか……。 「なーなー黄瀬クン。あとでサインちょーだい!あとプリクラ撮ろ!」 「先輩、ちょっと黙って下さい」 「だってオレの目標だし!スカウト!」 「そんなん知るわけないですが。第一黄瀬さんの目的は誠凛であって、先輩と2プリすることじゃないですよ」 「むー」 「……にしても、その、ずのん?ボーイさんが、どうして誠凛に?」 「あー。いや、ちょっとバスケ部に用があるんスわ」 「バスケ部?」 「あー、黄瀬クンバスケ部だもんね。『キセキの世代』の一人だし」 「────き」 「ぅわお。そこまで知ってんスかー」 …………。 黄瀬涼太。 キセキの世代。 その一人。 ──この人が。 「…………」 「中2からバスケ始めて帝光でレギュラー入り!ハイテクのオールラウンドプレイヤー!ひゃっほぅかっこいいね!」 「あーいや、あの記事ホントちょっと大ゲサすぎるっスね……」 「オレもさー、始めたの去年なんだけど、なっかなかムズいもんよー」 「えぇ!?去年!?それでトルネード!?ていうか、二人ともバスケ部なんスか?」 「んーん。ストバス同好会」 「へ、へー……」 「……黄瀬さん。誠凛までの道でしたよね。このコートを出てあっちに歩いて一つ目の信号を渡って左折、そのまままっすぐ行くとコンビニがありますからそこの前の通りを右折。直進するとすぐです」 「へ?あ、ど、ども……?」 述べながら、さっきから地面に放置してあったボールを屈んで拾う。随分と早口になってしまったけれど、黄瀬さんが覚えきれていようがいまいが、更に言えば黄瀬さんが無事に誠凛へ辿り着くことが出来ようが出来まいが、そんなことはどうだってよかったのだ。黄瀬さんの戸惑ったような声が聞こえてきた。「──水無ちゃん?」と、先輩が声をかける。わたしは顔を上げない。振り向かなかった。数秒の間、沈黙。そしてその後、「──よし!」と先輩の声。そして、引っ張られた腕。引かれるまま振り向くと先輩は楽しそうに笑っていた。 「黄瀬クン。今のわかった?わかんなかった?わかんなかったよね?この辺道ややこしいよね?こんなんじゃいつ着けるか不安だよね?不安で仕方ないよね?困っちゃうよね?体育館の場所とかもわかんないしね?他校生だしモデルだし、あんまりウロウロして目立っちゃってもよくないしね?いいよそれじゃあ一緒に行こう!案内してあげるよ!」 「マジっスか!?」 「ちょ、先輩!?」 「任せてよオレら誠凛生だし!バスケ部ともマブダチだしさっ!さあ水無ちゃんもご一緒に!」 「ちょっと!」 「ありがとっスー!!」 「そのかわり後でプリクラを!」 ズルズルと引きずられる。 畜生。 この、お人よしめ。 ← → |