振り連載 | ナノ



 イン・ザ・ブルースカイ(泉)



「泉くん!」

声のする方を見れば、ポフッと顔にタオルを投げられた。ずり落ちるそれを手にとると、正面にはニコニコと笑顔の相内が、両手にドリンクを持って立っていた。「へへっ。お疲れ様だねっ!」オレと同じように息を切らしているそいつはオレにひとつを押し付けて、それからベンチに戻っていく。ボーッとしていたオレに持ってきてくれたのか。

「今日は泉くんのオニギリ、イクラなんだよっ!早く来ないと、わたし食べちゃうからねっ!」
「相内!」
「なにっ」
「泥、ついてる」

右の頬に指をさして知らせてやる。相内はその通りの場所を指でなぞり、泥がついたのを見て、無邪気に笑った。そして今度こそ立ち止まらずに、戻っていく。オレはとりあえずその場にしゃがみ込んで、とりあえず、そうだ、早く鼓動を、整えよう。


「相内!オレ、あたらしーテーピング買ったんだぜ!」
「あ、田島くんだー」

朝一。相内を目にするなり一直線に駆けていって、その背中に飛びついた田島。「巻いてよマネージャー!」と、新品のテープを見せて、相内の背中に半分乗っかかったままぎゅうっと抱きしめるように絡みついているのを見たオレは、それから相内がもう少しで前に倒れそうになっているのを確認して、二人を引き離した。田島は後ろに難無く着地して、相内はヨタヨタとよろめいたので支えてやる。「あ。泉くん、おはようっ」見上げてくる相内にデコピンをひとつ、いれた。

「なにすんのっ」
「アホ。もっと嫌がれ」
「相内ー!テーピング!」
「あ、うんっ。巻くねっ」
「田島、オメーも自分でやれよ!」
「だって相内がやったほーがウマイんじゃん!」

田島は相内に絡み過ぎでひっつき過ぎで甘え過ぎだと、オレは思う。にんまりと悪気のない代わりにタチの悪い笑みを浮かべて、田島は今日もまた相内に宿題を教えてもらう約束を取り付けやがったのだ。後ろから「み、みん、な、お、おは……」と声をかけてきた三橋にみんなで挨拶をすると、この妙な空気とモヤモヤは溶けて、すっかりただの野球部の集まりとなったのだから、安心するところではあるけど。

「今日はね、なんとっ、野球部クラス対抗ヘビジャンケン大会を行います!勝ったクラスの人のオニギリは、あかねちゃん特製オムすびスペシャルになります!」
「うおー!オレぜってー勝つ!頑張ろーな9組!」
「が、がん、ばっ」

カルガモの兄弟みたいだ、と端から見て思う。それを浜田に言うと「お前が長男だよ」と言われて金髪をわしづかみした。


「えー……血液が全身を循環することにより──止まることのない変化……生きている証拠……細胞は約2年間……入れ替わり……遺伝子という一人の人間の情報……鋳型に基づき……古い細胞は死滅し、新しい細胞に……。捻挫──打撲──肉離れ──骨折……ケガ……使い過ぎによる筋肉の繊維化と収縮……新しい細胞に変われずに眠っている……」
「…………」
「酸素や栄養を運ぶべき血管が少なくなることで、やがて神経が……正常に機能しなくなり……痛みを感じにくくなるが──これは……年月が過ぎれば……硬くなった筋肉は全身への広がりを見せ……身体のバランスを崩し、二次的に痛みのある部分の出現が……」
「……お前、コワイ」

授業中。のハズだ。今は。という正常なツッコミは相内にはまるで意味をなさないものなのであり。頬杖ついて、どっか遠くを見て、ぼんやりしながら、ブツブツと呟いている意味不明なコトバは、今やっている英語の授業とは全く何ら関係のないことのハズだ。多分。相内は、え?とこちらに顔を向け、そうですか?と首を傾げた。ここだけ切り取って見ると、フツーに女子高生なのに。オレは「今英語の時間な」と、いつものように無駄な事実を述べてみた。

「あははっ。昨日、読書をしてて。ちょっと頭に詰め込み過ぎちゃって、飽和してる状態なんだ。整理しなくちゃっ。お片付けっ」
「読書ね……お前はいちいちケタがハンパなくちげーからな……」
「ちょっぴりです。ほんの37冊ほど」
「だろーな!そーだろーよな、オメーはよ!」
「しーっ。今は、授業中だよっ」
「やかましいわ!」
「む。不良少年の兆しがっ」

力の抜ける声と、力の入る会話。オレ、コイツと喋ってると、ムキになる自分がバカらしくなってくるわ……。むむむ、と何か変な声を出す相内はほっといて、泉君静かに、とオレを見る先生に曖昧に笑ってやり過ごした。はー、と息を吐く。田島と三橋に似た感じの脱力感がオレを襲う。けど、それとは何か違う感じの。っていうか、何か、なんて。そんなの、わかってはいるんだけど。

「んー……英語の時間ですか……Behavior is ultimately……the product of the brain,……the most mysterious organ of them all.Exactly what……it is──about our brains that leads to our extraordinary conscio……usness remains obsbure……but we can certainly learn much from sketching the con──trast between……our brains and those of our closest relatives……The first thing……」

くそ。
この、ニブチン!


「泉くん!ほらっ!頑張って!」

夕方。地を這う蛇の身体の形をした少し高めの平均台、いわゆる蛇じゃんけんの上で、オレは栄口に3回目の勝利を収めていた。「ごめん巣山ー!」と敗者は飛び降りて、また端から巣山が早足でバランスをとりながら歩いてきて、半分よりも更にその半分1組側に寄ったところであたったので、最初はぐー、と声を合わせる。「じゃんけんポン!」結果は、巣山がグーで、オレがパー。「くっそー!」今日はもしかしたら運が向いてるのかも、とニヤニヤしながら1組の端を目指して歩いていくと、「ちょおっと待ったー!」ギリッギリすんでのところで、1組の助っ人登場だった。

「泉くーん!負けるなーっ!いちごちゃんは、弱いぞーっ!」
「ふっふっふ。甘いよ斑、勝利はこのあたし率いるさっかーすっちーの仲良し1組が頂きなのさ!」

つまり、栄口率いる1組野球部は巣山と2人で数が少ないから連れて来られた、相内に「いちごちゃん」と呼ばれる永田苺だった。ミニスカートの下にジャージを履いて、あからさまな田島のエロ対策は万全であり、健全なオレら高校球児の隠れエロ対策も計らずとも完璧なのであった。それはともかくとして、「頼むぞ永田!」「いちご牛乳やるから!」と声をかけられて腕まくりをする永田と向き合って、

「じゃーんけーん……」
「ポン!」「ポン!」

結果、
オレがパーで永田がチョキ。
河野特製オムすびゲット目前でまさかの敗北に愕然とするオレは勝ち誇った永田に蹴落とされ、9組ゾーン端っこへとつかつか歩いていく永田に「このバカヤローが!」と吠えた。

「泉のバカー!」
「うっせー!」
「いっけえ三橋くん!」
「な、永田さん!じゃん、け!」
「勝負だ三橋ィ!」
「負けるな永田ー!」
「じゃーんけーん……」
「ポン!」

何だかんだ言って、この練習メニューは結構楽しくもある。ジャングルジムオニに氷オニ、蛇ジャンケン、探偵とか、懐かしいし楽しいし燃えるし、遊んでる感覚があるから時間が経つのが早い。「うわーっ!助けてすっちー!」「永田のバカー!」オレは9組の順番待ち列に戻って、田島と相内と三橋の応援をした。

……って。
進展、しねえ!