オレは今、猛烈に驚いていた。
「うわあああああん!」
ぐすぐす、ひっく、ひく、ぐしっ、っく、ふ、ふえ、ぐずっ、ずずずずずっ、ぐしぐし、う、うぐっ、うあ、あああああああ、っん、ぐしゃ、ひっく、うく、うっく、うえっ、んんん、ひう、う、ううう、ずびっ、ぐしぐし、じくじく、ずず、ぐすぐす、ひええええええん、ずずずず、ずびびびびびびーっ。
そんな効果音を立てているひとりの人間は、人間とは思えないような多彩な音をその身一つで発しているのだから驚きで、「うえええええん」白い頬を涙で濡らしているそいつの両腕で大事そうに抱えられているたった一冊の本の存在は案外馬鹿には出来ないもんだと、ちょっとだけ感心する。「わあああああん」ギュッと固く目を瞑って、泣き声を上げ続けるそいつに、姉ちゃんの「斑ちゃん、落ち着こ?」という懐柔はまるで意味を成していない。悲しそうに眉を寄せ、長いまつ毛は涙で濡れていて、頬は絶え間なくその捌け口になっている。何かから守るように本を抱いて、小さく縮こまった斑はいつもより数段小さくて、「うわああああ……」そんな悲鳴みたいな声は思わず抱きしめてやりたくなるような、幼児みたいなものだった。
「……お前、いい加減泣き止んだら?」 「っひ、ひぅ、ううう、っく、うっく、……んっ、だ、だて、せ、せん、せんぱぁっ、わ、わた、っしっ、こ、こんな、こんな……っ」 「……泣くほどのことかよ」 「……うわーん!」 「うおっ!ストップ!ストップ!」 「サンドリヨン!よかったねっ、サンドリヨン!」 「わかった!わかったから落ち着け!」
再び号泣する斑。 姉ちゃんは「やっぱ女の子ねー」と、何故か一人で頷いているし母さんは「あらあら」と呑気な声を出してついさっきまでこいつの涙を拭いていたが、ティッシュを一箱使い切ってしまったのでタオルを取りに行っている。わあああああん、と子供みたいに大泣きする斑に困っているのはオレだけだっていうのがおかしい。いや、だって普通、困るだろ。こんな風に泣かれたら。だって、
「……オーゲサだろ。んな、童話読んだぐれーで」
溢すと、わあわあ、と泣いていた斑がピタッと止まり、こっちを見た。っていうか、睨みつけてきた(うわこいつたった一日でナマイキな)。うるうると水分で部屋の照明の光がキラキラと映り、ただでさえ丸くて大きい目が倍増しになったようで、本人は多分こわい顔して睨んでるつもりとかでいるんだろうけど、全般こわくなんかない。────っていうかむしろ………………。
「せ、せんぱいは鬼ですか……!?こ、こんな、こんないいお話をたくさん読んで育ったくせに、どうしてそんな冷たい言葉が出るんですかぁ……っ」 「はー?お前の涙腺がよえーだけだろ」 「あ?そんなことないわよ。あたしだって初めて読んだ時は号泣だったわ」 「じゃあ姉ちゃんもおかしーんだ」 「あんたケンカ売ってんの?」
ボキリと拳を鳴らす姉ちゃんの隣にはやっぱりまた泣き出す斑。顔を真っ赤にさせて、終始涙を流しながら、身体を震わせている。……そういえばオレ、こいつの泣き顔、はじめて見たかもしんない。──ああ、だからこんなに困ってんのか。泣くなって言ってからは一応泣き止もうという意思はあんのか、下唇を噛んで、ふるふると我慢してる風だけど、やっぱりせき止めることは出来ないらしくって、泣き止まない。戻ってきた母さんは白いタオルを斑の目元に軽く当てて、本を離さない斑を微笑ましげに頭を撫でていた。さっき散々ティッシュで拭われた目は赤いし、泣き止まないからうるうるしてるし、頬も赤いし、でも耐えてるしで、まあ、なんというか、その、ま、それなりに、
「……かわいい…………?」
は?なんか言った?とこっちを睨む戦闘体勢の姉ちゃんに聞こえていたのかと思うと、なんかしばらくはマトモに斑の方を見れなかった。
「うっ、ううううううう、よか、よかったねえサンドリヨン、よかったねおやゆびこぞう、よかったねおよめさん、よかったね王女さま、よかったねあかつきひめ、よかったね日の王子、よかったねカラバこうしゃくさま、よかったねねこちゃん、よかったねルナール、よかったねデジレ、よかったねジロフレ、よかったねデジール王子、よかったねミニョンヌひめ、よかったねサンチュレルおじいさん、よかったねおばあさん、よかったねカトリーヌ、よかったねジャン、よかったねアマドー!おねーさん、この本は、幸せな気持ちで満ちあふれていますっ!うっ、うううううう、こっ、こんなあたたかいお話、わたし、読んだことないですぅ……っ、ううううっ、」
姉ちゃんが小学校の時に買ってもらった世界童話の文学全集。全18冊にも及ぶそれは高価なものだという理由もあってか、思い出として、姉ちゃんの部屋の押し入れにしまわれていたらしい。その第8冊目であるフランス童話集を、なんと桃太郎や白雪姫、シンデレラでさえ知らないと言った斑に試しに読ませてみたところ、今に至って涙腺緩みっぱなしでボロボロ泣いていた。ぬいぐるみじゃあるまいし、つーか涙でふやけるぞと言いたかったけど「そーだよね!うん、いい話だ!」と満足げな姉ちゃんと、読後の幸福感にひたる斑に水をさすようでなんとなく憚られた。いや、泣いている斑がかわいいから言えなかった、とかでは、ない。決して。昨日まではあんなにムカつく奴だったのが一転したとかそういうのはなんか、自分がすごく簡単なヤツに思えるから、イヤだ。ちなみに白雪姫の話を噛み砕かずに熱の入った語りと景品の山から必要なだけ取り出した人形を駆使した姉ちゃんに吹き込まれた時の斑の反応といえば、 「王子さまって実は、魔法使いだったんですね!」 「いや王子だって言ってんだろ」 「だってキスしたら生き返るんですよ?魔法じゃないですか!」 「バーカ」 とても目を輝かせていて、まあ、そんなに、悪いもんでも、なかった。
「よしきた斑ちゃん、帰る時部屋おいで。ガキん頃読んでた本ひっぱり出しちゃるから持って帰りな!」 「わあ!いいんですか!?」 「てーか今からディズニー見ない?この前TSUTAYAで安く買ったんだー」 「見る!見る見る!」 「よーしテレビまで競走だーぁ!」
…………テンション高ぇー……。 というオレのぼやきは、女率の高い現在のこの家においてはことごとく無視されるらしい。
「ごらんあの子はいーつーでーもー、少し風変わりー」 「夢見っる瞳、空想ばかり」 「謎めいた子だよベルはー」
お前らの方が謎だ。
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