振り連載 | ナノ



 サウンドミュージック・アワー(3)



「あの、先輩、どうしてここに?」

────どうしてここにと聞かれても。
何故かあんなに焦って走って来たわけだし、気まぐれではない。何故かこいつを探してここに来たわけだし、ドーナツを食べに来たわけでもない。誰かと待ち合わせてっつっても、秋丸や先輩達は置いて来たわけだし。けどそんなことを正直に言えるわけなくて、答えられなくなったオレはやっぱりぶっきらぼうに「うるせえ。何でもいいだろ」と返すしかなかった。目の前のそいつはきょとん、としたように首を傾げて、それからまたパソコンの方に視線を落として手を動かし始めた。………放置か。せっかくわざわざ見っけて相席までしてやってんのに、こいつ放置。オレがわざわざ走ってまでミスドに来て探してまでこいつの相席になって声までかけてやったってのに、こいつはオレを放置したままパソコンでカタカタカタカタとキーボードを叩いている。テーブルの上に置かれたトレイには、飲みかけのオレンジジュースと食いかけのドーナツ(オールドファッション)がオレと同様に放置されていた。…………オレはジュースやドーナツと同格か?こいつの中では同格なのか………?───ていうかこいつ、なんか今までと態度違ってねえか?オドオドはどうした。怯えた目は。不満と疑問が次々と湧いてきてそいつのツラを見てみれば、相変わらず見慣れないキリッとした表情でカタカタと何かを打ち込んでいる。キーボードの方に視線を落とさずにずっとディスプレイから目を動かしていないから、こいつはタッチタイピングが出来るんだろう。しかもものスゲ速い。オレがやったら打ち損じとかしそうな勢いだ。────ていうか、オレつまんねえんだけど。

「………………なあ」
「どうかしました?」

お。
今度は返ってきた。

「何してんの?」
「仕事です」
「仕事?」
「お金を稼ぐことです」
「辞書はいらねえよ」
「そうですか」

…………愛想がねえよ。
喋っている間も片時も画面から目は離さない。喋ってるというよりかは口をきいて貰ってる、って感じの、突き放した口調だった。こいつ、マジで性格変わったか?───ん、でもさっきは普段通りだったよな……。仕事中だから、か?………………。…………………。

「なあ」
「どうかしました?」
「それいつ終わんの」
「あと5分弱で」
「あっそ。そのドーナツ食っていい?」
「駄目です」
「は?」
「駄目です」
「……………」

………えええええ。

どうやらこいつ、仕事中は人柄が変わるらしく。一定のタッチで鍵盤を叩いていくそいつの言った通り、もうオレはあと5分弱、こいつの仕事が終わるまでは大人しく待つ必要があるらしかった。いや、待つ必要はねえけど。そもそもなんでオレはこんなところに。そんで、なんでオレはこいつの言った通りにしてるんだ。豹変したこいつの態度にうろたえてんのか?まさかオレが?………意味わかんねー!

「なあ」
「どうかしました?」
「そんなメガネしてたっけ」
「オシャレ眼鏡です」
「………ああ、そう」
「はい」

ダテなのかよ。
いや、
確かにオシャレに見えるけど。
団子頭とか似合ってるけど。

カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ─────無機質な音があまりにも長く感じられて、特に目的もなく(正確には目的がわからず)この席に座ってしまったオレは待っている間特にすることも見つからず、かといってわざわざドーナツを注文する気にもならず、暇を持て余していたのでテーブルに肘をついて、《仕事》するそいつの顔をずっと眺めていた。つうか、仕事って何だ仕事って。こいつ中坊だろ。……………………いや、別に、これはそういうアレじゃないけど、自分で言うだけあって、メガネは、似合ってる。レンズは小さい楕円で、ちょっと太めの黒縁ってのが、まあなかなか、様になっているっていうか。髪上げてるし。お団子だし。2つだし。袖なしパーカーにタンクトップ、ジーンズって、こいつのこんな、ラフだけど洒落た感じのカッコ、初めて見たし。いつもは中学の制服だし。昨日はワンピースだったけど。───にしても、小せえ頭。あんな小せえ脳に、どうやったらオレ以上の知識が入るんだ?ああそういえばそんな小さい頭をオレは片手でこう、ギリギリっと、締め付けるように掴んだことがあったっけ。孫悟空、みたいな。あん時こいつはスッゲ痛そうに顔歪めてて、でもオレはその表情に飽きるまで止めなかった。今考えりゃあなんて酷いことをって思うけど言える立場じゃねえし。でも多分、今ならそんなことはしないと思う。多分、断言できる位には、そう思った。カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ。…………つーか、この食いかけのドーナツはどうするんだ。仕事が終わったら食べるのか?───いや、いやいや、そもそもこいつ、いつからここに?

「おい」
「どうかしました?」
「このドーナツって……」
「お昼ご飯です」
「…………昼?」

晩でなくて、昼?
繰り返すと「はい」と返ってきた。
いや、「はい」じゃねえよ。
ここに来て何時間経つんだ。

「………お前、いつもそんなん?」
「人間は塩と水さえあれば一ヶ月は生きていけるそうです。それって海さえあれば良いということでしょうか?」
「いや、知らねえし……」

やばい………。
こいつ、面白い。
昨日の今日で面白えぞ。
昨日の今日で、
どうしよう、オレ。

つうか仕事しながら食えばいいのに、と言いかけて自制した。こんなの考えるまでもなく言うまでもなく、手に油付くからに決まってんじゃねえか。また馬鹿を晒すトコだった危機にホッと息を吐いて、そしてそれからテーブルを見る。

「……………」

無言で、ドーナツを見る。
無言で、ジュースを見た。
そして無言で、考える。
これは───親切だよな?
別に、下心とかないよな?
ない。親切。
オレって優しすぎ。
トレイの上のドーナツに手をかけた。

「───おら、口開けろ」
「………んっ」

無表情でカタカタとやっていたそいつの口にドーナツの端を押し付けて、何をするんだと言われる前に「食わせてやる」と言った。やっぱりカタカタは止まらない。そいつはディスプレイから首を動かさなかったが、それでもちょっと目を見開いて、けどやっぱ腹は減ってたみたいで、オレの言葉の通りに小さく口を開けて、ちょっとドーナツを中に入れてやるとそいつはその分だけをかじり取る。乗り出してた身を元の席まで戻してそいつを見ると、カタカタと指を動かしたまま「むぐむぐ」とドーナツを咀嚼していた。オールドファッションが好きなのかそんなに腹が減ってたのか、大層うまそうに食っている。「むぐ。むぐむぐ、むぐ───ごっくん」飲み込んだのを見計らって、今度はドーナツを掴んでるのとは逆の手でオレンジジュースの入ったグラスを近付けて、ストローの先端をそいつの口元に押しやる。次の瞬間にはくわえられ、吸い上げられて上昇し、飲むことに成功するそいつ。こくり、と喉に通してストローを離すのを確認して、またドーナツを差し出してやると次からは口を開いて待っていた。「あーん」……………こいつの仕事が何だかは知らねえが、仕事中のこいつに無理矢理構おうとすんのはもう止めよう。いつもよりどもらないし話は進むが、態度がそっけないし冷たいし、段々あつかましくなってくるから。ドーナツを食わせてやりながら、オレはそう心に誓ったのだった。


「……ふう。おいしかったです」
「そうかよ………」
「ごちそうさまでしたっ」
「仕事は終いか?」
「あ、ええ、はい。今しがた」
「ああ、そ」
「お疲れさまでしたっ」
「…………お疲れさん」

メガネを外して、満足そうな顔をする────斑。いや、ダテなのに外す必要はあるのか?ノートパソコンを閉じて鞄にしまうと、仕事モード(仮)はすっかり消え失せて、けどハツラツな顔で笑顔を見せてくるあたりが昨日までのこいつとは全然違う。いや、昨日の最後の方にじゃれ合った時は、その片鱗は伺えたけど。じゃあ───何か。少しは慣れてくれたと───そういうことだろうか。……………、嬉しい。かもしれない。昨日あの時に感じた嬉しさが、今日一日こみ上げていた高揚が、再び戻ってきたようだった。

「………?あの、先輩」
「ん───あ?」
「な、何か頼まれないんですか?ドーナツ食べに来たんですよね?」
「あー。や、いい。食う気なくしたわ」
「はっ!も、もしかして、親切でわたしに食べさせてくれていたと見せかけて、実はひとくちふたくち、こっそりと!」
「……………」
「………な、なんですかっ、その間っ。お、脅しですかっ。威嚇ですかっ。殴るっていうんですかっ。ひ、ひい、へ、へこたれないですよっ。わたし、負け───負けないんだからっ」
「…………ぶ」

やっぱこいつ、変だわ。
もしかすると、昨日オレがこいつの言葉によって慰められたように、こいつ自身も声に出して述べることで、何かをふっきれられたのかもしれなかった。「また笑ったっ!」どもってるけど調子に乗って、オレが黙ると怖がって、けど恐る恐る歯向かって、今度はちょっと怒っているような、そんな風に百面相する斑を観察して、自然と口端がつり上がっていく。頬のゆるみは───もう止まらなかった。

「───なあ」
「ど、どうかしましたっ?」
「…………ぶ」
「あれ、今笑うとこありましたっけっ?わたし何か変なことしましたっけっ?してないですよねっ?これ明らかにおかしいですねっ?」
「おま───笑わせんな──っくく、」
「わ、笑わないでくださいー……」
「ぶは───っ、くくっ、……………、………ふう。ああ、笑った」
「……………」
「黙んなって。そーだお前仕事終わったんなら、これからちょっと付き合え」
「え?」
「拒否権はねえぞ」
「ええっ!」
「おら、行くぞ」
「先輩っ、もしかして、昨日ムダにした分のお勉強ですかっ?」
「ムダにしたとか言うな」

しかも勉強ちげーし。
どっちかってえと、お前の勉強だし。

結局オレは何にも頼まずに席を立った。片やドーナツ1個とオレンジジュース1杯で5時間以上粘った女。店側にとっちゃあさぞ迷惑極まりない客だっただろうが、オレには関係なかったし、こいつもどうせ気にしてないんだろうと思うと、相当愉快な気分になって。出口へと歩く途中に振り返って後ろを確認するようなことはしなかったけど、自動ドアが開くと同時で隣に走り寄ってきたそいつが視界に映って、オレはそのまま一歩、外へと踏み出した。