「──あ。橘さん」
ルーズソックスの蒸れに我慢をしながら、かんかん照りの太陽で暑く熱気のこもるグラウンドへと足を踏み入れた私にいち早く気付いて近付いて来たのは同じクラスの篠岡だった。こんな真っ昼間から部員に尽くそうとしているらしい、やたらとでかい麦ワラ帽子をかぶって、手には大きなカマ。危ねーし。「珍しいねっ」にっこりと人あたりのよさ気な笑顔。それを視界に捉えつつ、終礼が終わっていつも部活に走っているあの子を探す。探すまでもなく見つける。部員がそれぞれのポジションについて中腰で構えていて、あの子はホームでバットとボールを握っている。ボールを軽く上へ上げてバットで打つ。ダイヤモンド内を1度バウンドして、黒髪の男子がそれを捕った。鼻にそばかすのあるそいつは確かあの子と同じクラス。あの子に向かってその男子が快活に笑いピースを向けている。あの子は笑い返してそいつに同じのを返した。そしてあの子はボールを放り、バットで打つ。今度は上へ上がった。同じクラスの花井が難なく捕球していた。そんな様子をぼんやり見つめていると「橘さん?」と声がかかる。篠岡の存在を忘れていた。
「斑ちゃんに用事かな?わたし、呼んで来ようか?」 「……や、別に。あたしはダチに頼まれたモン届けに来ただけだし」 「お届けもの?」 「茜……河野からの差し入れ」
未だ家庭科室で己の限界に挑戦中(あの子の好物のチョコレートでお菓子の家を作るんだそうだ)なので手が離せないから。という理由で押し付けられた小さな紙袋を軽く揚げると、篠岡は、ああ、と納得した声を出した。
「河野さん、料理上手なんだよね」 「本人はプロ気取ってるけど」 「今日はどんなお菓子?」 「レアチーズケーキ」 「うわーおいしそう」 「小さめだけど1ホールあるからあの子に貰えば。じゃね」 「あれっ。帰っちゃうの?」 「悪いけどこれ、冷やしといて」 「あ、うん」
カマを持ってる篠岡に無理矢理押し付けるようにして引き渡した。容赦なく照りつける太陽のせいで、日焼け止めのクリームを塗った肌も気化寸前だ。フェンスから出て、真っ直ぐ帰宅する方へ足を向けたその時。
「……かなめちゃんっ!」
反射的、というか。 ほとんど本能的に振り向いた。
野球部の帽子をかぶっていて野球部の黒いアンダーを着ていて、下はハーフパンツ。日焼け止めなんてハナから塗っちゃいないんだろう、日に焼けた、けど体質のせいか部員よりは余程白い肌が眩しい。グラブを着けた手を振りきれそうな位に激しく振っていた。ていうか斑は走ってこっちに向かってきた。50メートル7秒ジャスト。
「かなめちゃん珍しいねっていうか初めてだっ!見にきたのっ!」 「つーかノックの最中じゃ」 「どうしたのっ!?」 「あー。オヤツ届けに来た」 「やたーっ!後でみんなで食べようっ!かなめちゃんはもう食べた?休憩のとき一緒に食べる?」 「味見係にされたよ」 「おいしかった?」 「いつもと同じ」
「楽しみ!」フェンスを利き手でがしゃがしゃと揺らして、屈託なく笑う斑。それにつられて、私も少しだけ笑った。この緑のフェンスがなかったら、頭の一つでも撫でてやるとこなのにな。落ち着きを取り戻した斑に「ノックの途中なんじゃないの」と指摘する。グラウンドで待ち惚けをくらっている部員どもを指差すと斑は「あっ!」と声を出して振り向いた。失念してたらい。
「……じゃ。あたし帰るし」
斑に背を向けた。そろそろ向こう側からの間抜けな水谷の驚きの声(私がグラウンドに寄っちゃ悪いか)や阿部と花井が斑を叱咤する声がうるさくなってきたからだ。今度こそ足を動かす背後であの子の嬉しそうな声が聞こえてきた。「ありがとうね!」それだけで満たされた気分だった。
恐いくらいに真っ青な空。 その下で輝く人間達。 その輪の中に、 その光の中心に、 戻っていくあの子。
「……暑い暑い」
シャツの襟元をはたはた扇いで、 冷房完備の自宅へと歩き出した。
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