振り連載 | ナノ



 僕の奔走日記(水谷)



ドキドキと波打つ心臓を抑えて走った。オレのクラスは7組で、あの子は9組。それは2つ隣ってだけで近いと云える距離でもあるし、オレにとってはクラスひとつをまたがなくちゃいけないもどかしい距離でもある。廊下を走ったからなのかそうでない他の何かのせいなのか、胸がうるさい。ドアから堂々と入ってくのはちょっと(何故か)恥ずかしいから、廊下の、開いてる窓からそおっと教室を覗き込んだ。あの子を探していると、すぐそばから「あ。水谷くんだー」と声がしたので見ると、長い黒髪に真っ赤なカチューシャをした女の子。廊下側の席らしくて、さっきまで使ってたらしい数学の教科書とノートをしまいながらにこやかな表情だった。オレには見覚えのない女の子だったので、オレのこと知ってるの?と聞くと「だってあたし斑のダチだもん」、野球部の子はみんな知ってるよー、と言う。斑、というのは、あの子の名前だった。どうやらあの子の友達のようだったので、頼んであの子を呼んでもらうことにした。

「ごめんなー。わざわざありがと」
「いーよ別に。あ、いた。あそこ。また田島に引っ付かれてるわ──斑ー!こっち来てー!」

女の子が指差した先には田島に抱きつかれてる相内のすがた。あ、相内っていうのは、あの子の名字。女の子が大声で呼んで手招きすると、あの子はぴくっと反応して、田島を引き離して、ダッシュでこっちに来た。逃げられた、と安心してるみたいだった。田島は残念そうな顔をしている。その際「ひじりちゃんっ!」と呼ばれていたということは、この親切な女の子の名前はひじりというのだろう。

「何かなひじりちゃんってあれっ、水谷くんっ。おはようっ!」
「おはよー相内。オレが頼んで呼んでもらったんだ。ごめんね?」
「ううん全然っ」

にぱっ、と、そんな効果音。チョコレート色の髪の毛がふわふわ。揺れて、相変わらず甘いにおいがする。こんなにちいちゃくてふわふわしてて可愛らしい子なのに、硬球をパッカスカ打つんだもんなあ。さすがに飛距離では勝てるだろうけど、打率とか勝負したら負けそうだ。「で、どうしたのかな?」首を傾げた相内に、本来の目的を思い出した。

「あのさ、これ。アイスクリーム屋の、割引き券なんだけどっ」
「あっ!サーティワン!」
「そう!サーティワン!あのさっこれペアの券だから相内行かないっ?」
「え、い、いいの?」
「いいよぉ!だってオレ、相内と一緒に行きたいんだもん!」
「ん?」

相内が首を傾げた。
可愛い。
じゃなくて。
ぽろっと溢してしまった言葉に自分でも気付いた。あの女の子が自分の席からにやにやと「言うわねー」面白そうに傍観している。……わぁ恥ずかしー……!きょとんとしたままの相内にいたたまれなくなって恥ずかしくなって、ごめんやっぱ今のナシ!って訂正しようとしたら、

「うん、じゃあ一緒に行こっ!」

笑顔で、すっごく、ほんとに楽しみにしてくれてるみたいな顔をして、そう言っ
てくれた。

分かる?
この嬉しさ。
分かります?
この優しさ。


「アホだな」

と、そう言われたのは、それから10分後のことだった。古典の時間がちょうど自習になったので騒ぐクラスメートの中、一人だけものすごく残念そうな顔をして用意してた教科書とノートと辞書を片付けた隣の席の女の子(オレンジの髪の毛に赤縁メガネ)に先ほどの話をすると(この子もあの子の友達だ)、にこりともせずにそう言った。ええ!?とオレは反射的に声をあげる。

「相内がアホなわけないじゃん!」
「斑がアホな訳ないだろう。アホはお前だこの水谷めが」
「ええーオレアホじゃないし!」
「アホだ。特に顔が」
「ええー!?」
「何だ、ちょっとアイスを2人で食べに行くことになったからってニヤニヤと」

ヤキモチ!?と、当然の反応を入れると、逆隣に座る女の子(金髪碧眼。ハーフらしい)に睨まれた。舌打ちもされた。怖かった。この子はいつも、どの授業にも参加していない。怖かったので声のボリュームを落とすことにした。ちょっとだけ。

「むー……佐野山のばか!」
「馬鹿はお前だ」
「そうだけどっ!」
「認めるのかよ」
「うー……相内は可愛いなぁ……何でオレ、9組じゃなかったんだろ……いいなあ田島は」
「田島というのはあの煩いチビか」
「佐野山、自分が170あるからってその言い方はひでーよ」
「ふん。私は小学生の頃から毎日牛乳を飲んでいたからな」
「あれ?牛乳って、骨を硬くするだけなんじゃなかったっけ?」
「…………!よくもっ、そんな、デタラメを、言うな!牛乳を温めた時に表面に膜が張ることを、ラムスデン現象と呼ぶのだぞ!」
「それ関係ないし!しかもこれ相内が言ってたんだもんねー!」
「…………!そ、そうなのか……?」

目を見開いて、オレの襟元を掴んでガクガク揺さぶってきた佐野山に相内の名前を出すと、衝撃を受けたような顔をして、パッと手を離した。呼吸が楽になる。「そうなのか……?」もう一度呟く佐野山。佐野山もそうだけど、相内の友達ってみんな、相内のこと大好きだよなぁ。逆隣の橘も親友だって言うし、化粧してる青乃とかちょっと怖い河野とかも、体育の時とかよく一緒に見かけるし。

「……そうなのか……」

佐野山はまだ呟いてた。
うん、佐野山って怖いけど面白いなあ。さすが、みんなの委員長だなあ。

そんな様子を見てると、ふと隣にからの視線に気付いた。向くと、橘は(せっかく美人なのに)ギロッと、凄い睨みを利かせていて、一言、

「斑は渡さない」

そう言ってもう一度オレのことを睨んで、また机に伏せてしまった。うん、こっちはただ単純に怖いなあ。遠く離れた教室の窓際で、こっそり隣同士になってオレを仲間外れにしてる阿部と花井は当然助けてはくれないので、早く席替えになんないかなあと神さまにお願いする毎日なのです。橘と佐野山2人とも、教科書とか絶対みしてくれないし。