振り連載 | ナノ



 020



監督さんと語り合って、志賀先生と語り合って、花井さん達と語り合って、ひよこちゃん達と語り合って、散々語り尽くした飲み会の帰り。一応帰りが遅くなることはおねえさんとおばさまに連絡しておいたのでともかくとして。榛名家のみなさんにも色々とお話しすることがあるので、今から帰りますという電話をして、お店を出る。明日からの練習のために家にある練習着やその他練習に使う用具などを取りに帰らなくちゃいけないので、方向が同じ花井さんと一緒に帰ることになった。そういえばはじめに花井くんとはち合わせしたのはゴールデンウイーク明けだったなぁ。ああそうだ、今晩はまたお泊りさせてもらうことになるだろうけれど、引きこもりの期間が終わったため明日からはまた家で一人暮らしの生活が始まるのだ。ちょっと、いやかなり淋しいけれど、榛名家のみなさんには本当に、迷惑、もといご心配と苦労をかけてしまった。あったかい家。本当に大好きだ。バイバーイ、とみんなに手を振り頭を下げ、行きましょ、と陽気な声で歩き出す花井さんの後を追った。花井さん、かなり軽快な足取り。結構酔っているらしい。隣から、ふんふーん、と鼻歌まで聞こえてくる。本当に明るい方だなぁ、とほほえましい。

「あー楽しかった!初めて飲んだけど、盛り上がったわねー。これなら定期的に集まっちゃおっかなー」
「あははっ。みなさん結構飲みましたよね。花井さん特に」
「あらそーお?」
「ひょっとして、酒豪ですかっ?」
「やだもー!あんなの軽めよ軽め!斑ちゃんも大人になったらあれぐらいねーもー軽いモンよお!斑ちゃんはど?楽しめた?」
「あ、はいっ。さっさか謝ってちゃんとスッキリして、これで明日からの練習も存分に頑張れます」

「そりゃよかった」と笑顔を崩さない花井さんに、ありがとうございます。と一言かける。不思議そうに「なにが?」と尋ねてくる花井さんに、わたしは精一杯の感謝をこめて、笑顔を見せた。

「泉さんに水谷さん、西広さんに沖さん、三橋さん、田島さん、巣山さん。阿部さん……はムリだったけど。みなさんに、謝りたかったんです。あと、ひよこちゃんやそよぎちゃん、いくちゃん、あかねちゃん、ひじりちゃんとしころちゃん、いちごちゃん。みんなを呼んでくれたの、花井さんかなって」
「……やだ、もぉ。何でわかったの?」
「物事を仕切れてしっかりしてて優しくて、でも優しいだけじゃなくて厳しさも持ってる。面倒見がよくて責任感がある。そういう男の子、わたしは一人知ってます」
「…………」
「ありがとうございました」
「……ま。私も梓も、なーんも知らないけどね。でも斑ちゃんが何の理由もなく、途中で物事をほっぽり出しちゃう子だとは、どうしても思えなかったし」
「……随分買われてますね」
「買ってるわよぉ。そりゃ、ものすごくね。それに私好奇心旺盛だから、わからないことがあると気になって気になって仕方ないの。でも無理強いはしたくない」
「そういう男の子も、一人知ってます」

そう言って、顔を見合わせて笑った。花井さんが「そーゆートコも私に似てんのねー」とおどける。花井さんは、人を笑顔にするのが本当にうまい、と思った。あの場には、本当に本物の笑顔が溢れていた。そしてそんな輪の中で、彼女も本当に笑う。本当にとても、楽しかった。夜はもう暗くて、星が数えきれないぐらい出てる。見上げながら歩くのも程々にして、以外としっかり歩いている花井さんに意識を向けた。

「あ!聞いたよーカントクに!斑ちゃん目標『日本一』だって?」
「あ、はい」
「それに比べてウチのムスコはもー。ミーティングモメたんだって?ったくもー!主将つったらみんなを引っ張ってくモンでしょーが!ってねぇ」

軽く批難するような口調で、呆れたような言い方をしているけれど、花井くんのことをとても信頼しているのも知ってる。息子としてもキャプテンとしてもプレイヤーとしても、いいヤツ、だもんね、花井くんは。花井さんも、きっと、いいお母さんなんだろうな。花井くんの言動の端々から、なんだかんだで仲良さそうな気配は感じ取れるし。思春期の男の子には、それがちょっと恥ずかしいだけなのだ。それを見ているのがちょっとおかしくて、すごく懐かしかった。だから少しだけ、淋しくなった。切なくなった。泣きたく、なった。

「梓への土産バナシもできたなー」

家に帰ったら、一人で、少しだけ泣こう。泣いてスッキリして、明日から365日、頑張ろう。全部スッキリして、全部綺麗にして、頑張るんだ。


「斑っ!」
「……先輩?」

花井さんと別れて、そんなに長くない道のりを経て着いた、久々の我が家。の前に、先輩がいた。暗がりの中、門柱に背中をもたれさせて、立っていた。脇にチャリも停めてある。もう10時なのに。どうしてここに、と駆け寄って、そしたら軽くデコピンをくらった。

「……痛い」
「休憩中にねーちゃんからの留守電聞いてよ。で帰ったらかーさんがオメーから電話あったっつーから。ここ寄ってから帰るっつって」
「はあ。それで、なんで……」
「練習着だの道具だの取りに来たんだろ。ついでにお前、着替えも積めるだけ積め」
「え?あの、わたし明日からここで」
「いーから、積め!」

しまいにはよくわからないうちに頬をギュウギュウとつねられ伸ばされ、でポケットをまさぐられてカギを奪われ、門を開いて敷地内に入り鍵穴にカギを差し込んで回す。開いたドアと中に入って行く先輩。ボケッと見送っている場合じゃない、とハッとして後を追うまで十数秒、わたしは突っ立っていた。中に入って先輩はさてどこにいるだろう、と思考する前にわたしは寝室に向かった。そしてタンスの方を見る。先輩はやはり、下着を物色していた。じいっと見つめてしばしば手に取り、サムタイムスわたしに投げ付けてくる。なんかもう、当然のように堂々と、こうやって下着を選ばれてしまったら、大人しくカバンにつめるしかなくなってくる。「黒ねーのかよ、黒」と言いながら主に白いのやピンクのを寄越してくるので「先輩、黒が好きなんですか?」と尋ねれば「たまにはセクシー系も見てーじゃねーか」と返ってきた。出てってくれないかな。と一瞬だけ思った。というか、なんで着替えをこんなに。しかも今のローテーションで充分足りていた下着をこんなに。

「んー……こんなもんか。セクシー系は買って揃えろ。スケスケのヤツな」
「先輩、あの、なんで下着を……」
「お前、夏が終わるまでウチにいろ」

下着の段からやっと目を離してこっちを見たかと思えば、先輩はそんなことを言った。え、と声を漏らしたわたしを見つめたまま、先輩は引き出しを閉める。「……わたしの、ためですか?」淋しい。という感情が、沸き上がる度に、全力で側にいてくれようとする先輩。おねえさんと、おじさまおばさま。あったかい。嬉しい。羨ましい。そんな感情があることを、わかっていて、側にいてくれる。けれどそう聞いたわたしに先輩は首を振った。

「オレのために言ってんの」
「……先輩のため?」
「そ。大会中だし、オレはオレのモチベーションのために言ってんだ」
「モチベーション……」
「今から試合だ!って時、お前に頑張れーって言われると、燃えんの」
「…………」
「帰って来た時、お前におかえりって言われねーと、調子狂うの」
「…………」
「寝る時はおやすみ。起きたらお前が隣で寝てねーとヤなんだよ。で、お前はオレにいってらっしゃいって言う係なの」
「…………」
「ウチにはお前がいねーと、オレはもー回んなくなってる」
「…………」
「だから少なくとも夏の間は、ぜってーにオレから離れるな」

なんなんだろう。
この、安心感。
絶対的で決定的な、
求めれば求めなくても与えられる、
全世界の子供に、
無条件で与えられるはずの、

「…………愛」
「は!?は、エ!?」
「今すごく、愛を感じました……」
「あ、ああああああいって」
「あははっ。うれし……」
「…………」
「……うれっ、じい」

うれしい。
うれしくてうれしくて、どうしようもなく、この上ない幸せ。泣けてくる。わたしは、なんて幸せ者なんだろうって。数十分前、とても幸せそうに家庭の話をしていたみんなに、他の誰でもいい誰かに、誰もに、大声で自慢したい。幸せだって。わたしは幸せだって。誰かに伝えたい。「わた、わだ……っし、幸せ、でずっ」視界がぼやける。涙があふれる。唇がふるえた。身体がうずいた。ボタボタと涙の粒がフローリングに落ちる音が聞こえる。頬を伝うそれを掬うようにあてがわれた大きな手の平がわたしを撫でた。

「せん、ばいはっ、ズルイでずっ。わだじ、ひ、一人でっ、もっどシリアズに、な、泣ぐっ」
「おっまえ、オレが言ったこともー忘れたのかよ!一人じゃねーっつったろ!」
「う、ううっ。わずれでないけどっ」
「一人で泣かせっかよ」
「ぜんばいーっ」
「おー泣け泣け。泣いてスッキリしちまえ。涙はいーぞ。コル……コル……コルなんとかってゆーストレス物質がだな」
「ゴルヂゾールでずっ」
「何言ってっかわかんね」

引っ張られて、ベッドに座る。よしよしと撫でてくる手を払うことなんて出来るわけがない。こんなに安心を与えてくれる手が、この世にあるのか。あるんです。そしてその手はいつだってわたしに差し延べられている。その手を握って二人家に帰れば、きっと同じ手のあたたかさを持つ人達が出迎えてくれる。一人で泣くことを許してくれない人達が、わたしにはいる。バカなわたしに何度でも、それを教えてくれる人がいる。だからきっと、わたしはもっと頑張れる。


「たでーまー!」
「た、だいまっ」

先輩に手を引かれて帰った。別に、逃げたりしないんだけどな。とは思わずに。ドアを開けて靴を脱ぐと、パタパタとスリッパが床をこする音が連続して、やがて「おかえり!」と言ってくれる笑顔が向けられた。「あらまー大荷物ねー」と軽ーく感心したような声だけで、中へ促してくれた。どうやら先輩は『夏ん間』云々をもう伝えてあるようだ。「モトー。アンタ部屋片付けなさいよー?」荷物を見てそう言うおねえさんを見て、そう思う。ふああ、と大きなあくびをして、先輩は「フロ入ってくる」とリビングを出て行った。「元希にしては頑張った方よねー夜更かし。もー11時だわ」というおばさまの言葉で、一瞬頭が真っ白になる。

「っそーだ、先輩、……明日5回戦じゃないですかっ!今日も練習で疲れてるのに、迎えに来たりなんかしてっ」
「いーのよ別に。アイツが好きでやってんだし。こんぐらいの夜更かしで試合に支障きたすよーなら、あんなトレーニングこなせないわよ」
「で、でも、明日勝てばベスト8なんですよっ。大事な、大事な試合なのに。──それに、ここにいろって話なら、ここでだって出来たはずだし、着替えだって、別にこのままでだって大丈夫だったし、それとっ」
「さみしーんじゃない?」
「…………え」

慣れ親しんだソファに身体を預けて、おねえさんの言葉に耳を傾けた。おばさまはお風呂場に先輩の着替えとタオルをもって行った。おじさまは……明日も仕事だから、寝てるかな。静かな夜。外から虫の鳴き声が聞こえてくる。おねえさんは言った。さみしいって。さみしいって、誰が?

「斑ちゃん、西浦で頑張るって決めたんでしょ?ここに住む前は頑張って勉強教えに来てくれてたけど、練習で疲れてるのはよくわかってたからね。ベスト16だって?きっと意識の高い野球部なのね。来年に向けて今から頑張るんでしょう」
「…………はい」
「モトは、それが淋しいんだよ。だから野球してない時間は少しでも、斑ちゃんと関わっていたいんだよ。あたし達はもちろん斑ちゃんが戻ることになって嬉しいけど、このままずぅっと斑ちゃんがいたら、どんなに楽しいだろうって思ってるからさ、あたし達は」
「……先輩もおねえさんも、淋しい、ですか?わたしが、いないから?」
「おとーさんもおかーさんも。ね」
「…………」
「ひと夏だなんて言わずにさ。もう、ずっとここに住んじゃえばいーのにって、あたしだって思ってる。斑ちゃん」
「はい」
「斑ちゃん、大好きよ」
「…………っ」

お向かいに座って綺麗に笑うおねえさんの胸に飛び込んだ。いいニオイとやわらかさに包まれて、気持ちよくて寝てしまいそうだ。「先輩、わたしを一人で泣かせないんだって」と言えば「あたしだって、そんなの許さないわよ」と力強く答える。おねえさん、好き。ほんと好き。おねえさんに抱き着いてしばらく甘えていると、唐突にリビングの扉が開く。入って来たのは先輩だった。暑いらしく、パンツ一丁で普通に入って来た。

「あっ!オメーなんでねーちゃんには抱きついてんだよ!」
「先輩、試合前にそんな興奮しちゃダメですよ」
「オレにも甘えろ!」
「両手を広げる前に服を着て下さい」
「アンタ斑ちゃんいるとホントやらしーわねー」
「斑!逃げんな!オラ!」


お風呂から上がってリビングに顔を出すと、ソファに寝転んでうたた寝をしていたらしい先輩がパチッと目を覚ました。わたしの顔を見ると起き上がって、近付いてきたかと思うと「おやすみ」と頭に手を乗せ、あくびをしながら出て行った。おやすみなさい、と返して見送る。……おやすみが言いたくて、待っててくれたのかな。と思うと少し気恥ずかしくて、嬉しい気持ちになった。「ムフフ」と何だかニヤニヤしてこちらを見てくるおねえさんから逃れるように、お風呂の前に置きっぱなしにしていた携帯を手に取った。「……え」ディスプレイに映る『着信8件』。あれ。と思って履歴を見ると、部員さんと千代ちゃんからのものであるとわかった。あれ。今日会ったのにな。と不思議に思いながらも、とりあえず一番近い時間にかかってきた西広くんにかけ直すことにする。何回かのコールの後、繋がった。

「もしもし、相内?」
「あ、もしもし。こんばんはっ。ごめんね、電話、気付かなかった」
「あ、んーん。こっちこそゴメン。夜遅くに。……あのさ、今、ちょっと話せる?」
「うん?うん。どうしたの?」
「……目標、のコトなんだけどさ」
「ああ、目標。うん」
「相内はさ、『日本一』だったじゃん」

少しためらいがちな声が聞こえてくる。あ、そっか。明日の部活で、揃えなくちゃいけないもんな。わたしは絶対に譲るつもりはないけれど、わたしとは違う意見のみんなだって、それぞれちゃんとした理由や思うところがあっての目標を立てたわけで、意見のぶつかり合いだから、説得するための電話をかけてきたのかもしれない。もしかしたらみんなも。そういえば着歴の名前は阿部くん以外の『甲子園出場』を掲げるみんなである。そう考えたものの、西広くんの言葉で、そうではないことを知る。

「オレ……オレもホントは、日本一、て書きたかったんだ……」
「え?」
「……でも、オレ、試合で一回も打てなくて……。どっかで安心してたんだ。補欠ってコトに。オレ初心者だしって。なのに急に出ることになって……むちゃくちゃビビった。気持ちで負けちゃってたんだ」
「…………うん」
「だから、そんなオレが、あの試合の後で『日本一』なんて言うの、恥ずかしくてさ……」
「うん」
「でも、田島や三橋や相内がさ、当然みたいにソレを目指してんだって知って、オレはスゴイ嬉しくなったんだ」
「……そっか」
「オレも、そっちに行きたい」

西広くんは強い。と思った。初心者とか経験者とか、ホント関係ないな。と思わせてくれる。きっとこれからも、西広くんはグングン伸びる。男の子って、ホントわけわかんないな。とも思わせてくれる。まだまだこれからが成長期なんだなーと感じさせてくれる。

「わたしもね、今まで部活ほっぽりだしといてイキナリ何言ってんだーって思われるかもな、とかは考えたよ」
「そ、そーなの?」
「うん。それに試合するのはわたしじゃないから、勝手に高望みすんなーって思われるかな、とも」
「どっちも、そんなこと、思わないよ。オレらは相内のコト、仲間だしスゴイって思ってるし、……今は、いつか相内を超えたいって思う」
「……うん」
「ダメかな」
「ううん。いいよ。たぶん、それでいいんだと思う。ていうか、わたしだって、西広くんには負けないから」
「アハハ。オレ?」
「うん」

濡れた髪を拭きながら、電話の声に耳を傾ける。恥ずかしいとか周りに何て思われるかなとか、そういうのはわたしにもある。マネジのわたしが『日本一』なんて言って、西広くんに言ったみたいに思われるのではないか、と考えてしまうこともある。それでもわたしは監督さんに言ったように、譲るつもりは一切ない。ワガママだろうが高望みだろうが自分勝手だろうが、わたしは負けたくないのだ。しばらく会話を続けて、もう電話を切ろうとなった時、「明日、胸張ってみんなに言うよ。オレは日本一がいいって」そう言った声がひどく穏やかで、電話の向こうのあどけない笑顔が浮かんだ。通話が終わって、思わずニッコリすると、「なになに、こんな遅くにオトコと電話?」ニヤニヤとした笑顔が近付いてきた。あと7人。場所、移ろっかな……。