「斑ちゃんの私服姿をみんなに説明してる時間がないから、なるべく知り合いに見つからないように。グラウンドで落ち合いましょう」監督さんはそう言って、出口付近で別れた。人混みの中、それは中々難しいとも思ったけれど、まあ西浦は西浦でお母さん方も応援団も固まっているわけで、彼らは出てきた部員さん達を取り囲んでいたのでそれを避けながら進めばそういえば、少しずつ球場の出口に近付いていく。とりあえずわたしは今着ているこの女の子らしい服を着替えてこなければならない。これからミーティングなのだ。こんなちゃらちゃらした格好で、グラウンドに入るわけにはいかない。崎玉戦にはマネージャーなので制服(もどき)を着て行って、その帰りから榛名先輩の家に住み始めたので、学校に着いたら試合後の練習のために部室に置いてあった練習着を取って来なければならない。部室といってもわたしと千代ちゃんはお隣りストバス部(同好会)の部室で着替えているわけで、先に手配だけでもしておこうと部室のカギを持っているはずのそよぎちゃんに連絡をしてみた。しばらくコール音が続いて、ようやく出たと思えば第一声が涙ぐんだ「斑っ!?」叫びだったから、わたしも泣きたくなった。けれど、球場の外で賑わっているみなさんに聞こえない程度の声でかなめちゃんと話をしたことを伝え、練習着に着替えたいのだけれどカギは持っているかを尋ねたその時、「斑ーっ!!!」どすん、と背中に衝撃が走る。懐かしいにおいと、長い金髪が揺れた。後ろから抱き着いてきたのはそよぎちゃんだった。額に白いハチマキを巻いて、上は学ランを着ている。ああ、そうか。応援団。わたしがいない間も、ずっと、応援していてくれたんだ。「おかえり!!」ボロボロ泣いて、わたしにしがみつくそよぎちゃんに、ただいま、と返した声が震えた。「小雀?」と人混みをかきわけてやって来た浜田くんと、目が合った。驚いて立ち止まった浜田くんに頭を下げると、何かを言おうてしていた彼は、そよぎちゃんの様子を見て、それから片手を上げて、近付いてくる。
「よっ。相内」 「こんにちは……」 「残念だった。でも最後まで、アイツらすっごい頑張ってた。挨拶するとき、小雀なんかもーボロボロ泣いちゃってさ」 「う、うっさいなあ……もう、とっとと行くよ!みんな待ってんだから。あ、斑。カギ」 「あ、ありがとう。え、なに、どっか行くの?」 「応援団の打ち上げ!」 「じゃー相内、また明日な」 「あ、うん」
……みんな、大人だよなぁ。聞きたいこと、というか、怒ること、たくさんあるだろうに。いつまでも子供だったのは、わたしだけだったんだ。かなめちゃんもいつの間にか、成長してたし。──わたしも、もっと、頑張らないと、な。手渡されたカギを握りしめて、出口へと急ぐ。と、首根っこを掴まれて後ろに引っ張られた。予想外のことに、ふんばりがきかず、引っ張られるまま後ろに倒れかかった。頭に、やわらかい感触がした。んーと、これは……。「斑ちゃん!」あ、この声は。
「監督さんっ!」 「ゴメンゴメン。言い忘れたことがあってね」 「はい?」 「阿部くんが接触でケガしててね。病院に行って検査を受けるの。斑ちゃんも来てね」 「え、ケガ……、あ、杖ついてた……」 「私は千代ちゃんに自転車借りて行くことになったわ。斑ちゃんはローブレ……」 「家、です」 「じゃあ阿部さんの車に乗ってってね。阿部さんには言っておいたから。裏の駐車場に回って!」 「あ、はい」
何かあっという間に決まってしまった。監督さんは言うだけ言って「また後でね!」と手を振りながら、遠くに見える野球部のみんなに合流すべく歩いていく。ポカン、とそれを見送ってしばらく。我に返って、わたしもUターンをして歩き始めた。そういえば、今あのシーンを『見返し』てみれば、確かに阿部くんは杖をついていた。……自分のことばっかりで、思慮の至らなさに気付いてばかりで、ヤになっちゃうな。それもこれから、ちゃんとしてかなきゃ。
「あ、阿部くんっ」 「……お。来たな。おかーさーん」 「あ、斑ちゃん。──あら?可愛いカッコしてるねー」 「へぁっ、あ、あのっ」 「いーから早く行こーぜ!近所だから監督のが多分早く着いてるだろーし」
そっか、監督さんや先生や部員さん達や応援団のみなさんにもだけど、お母さん方にだって、ちゃんと謝らなくちゃいけない。阿部くんは後部席に靴を脱いで入る。カバンの上に足を乗せる形で座った。わたしも、助手席に乗り込んで、車が発進する。「斑ちゃん、身体の調子は大丈夫なの?」発進してすぐ、阿部さんが前を見たまま尋ねてきた。
「……へ、からだ……」 「ガッコもずっとお休みしてたんでしょう?そういえば初戦の後も具合悪かったもんねえ」 「あ、はい、いえ、あの、しばらく休んでて、すみませんでした。今日も……」 「いーのよお!斑ちゃんには斑ちゃんの事情があるんだし。うちの子みたいに、ずーっと野球のコトだけ考えてるってワケにもいかないんだろーしね。女の子に悩みは尽きないのよー」 「…………」 「あっそうだケータイ見た?着信とかスゴかったでしょー。タカが家でケータイばっか触ってるの、初めて見たわぁ」 「え…………」 「ちょ、ヨケーなコトベラベラしゃべんなって!」 「なによもー、照れちゃって」 「照れてねえ!」
阿部くんはケガをしていても声が大きいなあ、という感想は置いといて。周りでは、身体の具合……が悪くてお休みしてた、ということになっているのだろうか?それに、阿部くんからのメールとか着信、そういえば夜が多かった、ような。それは阿部くんだけじゃないけれど。心配、やっぱり、させちゃってたんだな。思わず後ろを振り返ると、きゃらきゃら笑いながら運転する阿部さんをこれでもかってほどにギロッと睨んでいる阿部くんと目が合った。でも、こわくは、ない。
「なに」 「……阿部くん、ごめんね」 「…………。カラダは?」 「元気。あ、でも練習しなかったから鈍っちゃってるかも。また頑張んなきゃ」 「頑張るのはいーけど、ムリしすぎんなよ。またパンクすんぞ」 「うん。頑張るね」 「ん」
静かな車内。エンジンと風を切る音だけがしばらく響いた。阿部くん、今大変なのに。いつもより、少し優しい言葉をくれる。それがちょっと淋しかった。ワガママだけれど。そのうち「……お母さん。なに」と阿部くんの声で隣を見ると、運転席の阿部さんはハンドルを握り前を見ながら、なんだかニヤニヤしていた。「んーん?いやぁー?べっつにー?」そのイントネーションでは、全然『別に』という風には受け止められないのだけれど。阿部くんはミラー越しに阿部さんをジロリと見ていたけれど、やがて大きな溜め息を吐いた。と、その時、電源を入れていた携帯が振動した。ポケットから取り出して液晶を見る。
「……和己さん?」 「カズキ?て誰?」 「あらあらあら?斑ちゃん彼氏いたのっ?あらタカ、残念ねぇー」 「残念じゃねえっ!」 「彼氏じゃないですっ!」 「そーなのー」 「……出れば?」 「へ?あ、じゃーちょっと失礼します」
着信。阿部くんと阿部さん(なんかややこしいなコレ)に断りを入れて、通話ボタンを押す。耳にあてて「もしもし」と発すると「斑ちゃん?」と優しい声。声聞くの、初戦以来だ。
「斑です。お久しぶりですっ」 「おー。元気してたか?」 「はいっ。もう元気モリモリですっ」 「ははっ。モリモリか。あ、そうだ斑ちゃん、今日はどした?ベンチにいなかったけど」 「そ、その……。色々と、ありまして。でも、もう、大丈夫ですから」 「──そっか。なら良かった」 「和己さん、えっと……今日、もしかして観に来てたんですか?」 「ああ。美丞側のスタンドで観てた。コーチが利央の兄貴だって言ったっけ?」 「はいー、本人から聞いてます」 「で、一緒に観てたワケ。斑ちゃん、今はどこ?」 「ああ、車の中です。あの──ケガした阿部くんと、今病院に行く途中で」
そう告げると「なんだ。まだ途中だったのか」と返ってきたので、おや、と思う。まだ、と思ってなかったということは、もう、と思って、かけてきたのかな。「和己さん、そのことでお電話ですか?」
「ああ、まあ。いや、具合どうかなーって、ちょっと気になって。ホラ、途中引っ込んじゃったし」 「んーと……。そうですね──見たところ、U度のネンザで靭帯の負傷で間違いないですね。でもやりようによっては、新人戦も出られなくはないと思いますし、秋大会には間に合います」 「マジか!?」「ホント!?」 「…………」 「…………」 「あ、ワリ」「ゴメンねー」 「……あ、そうなの」 「……ようは、裂けた靭帯を埋める組織が瘢痕組織になって、それがある程度太くなっちゃえばもうプレイ出来ますからね。瘢痕組織が完全に元の靭帯に戻るまでにはもっとずっと時間が必要なんですけど、でも後は良くなるだけなので」 「へぇ……」 「心配して下さって、ありがとうございます。美丞の方にも、よかったら伝えて下さい」 「ああ……オレはもー別れてるから。多分しばらく会わないよ」 「そですか。……和己さん、これから練習だったり?」 「や、それはまぁ明日からかな。今日はとりあえず予備校」 「うわー。頑張ってくださーい」 「ああ。斑ちゃんも。じゃあね」
電話を切る。と、こちらを気にする2つの視線を感じたので「桐青のお友達です」と、本人不在の紹介をする。「へェ。お前他校に友達作るほど社交的なヤツだっけ」とイヤミを言う人は正直無視してしまいたい。
「野球部ですよ。ホラ、主将の河合和己さん。今日試合観に来てたんですって」 「へぇ、桐青がねェ……。つか、あんなでけぇ主将が友達って。お前の交遊カンケー、相変わらずワケわかんね」 「こらタカ!失礼でしょう!……でも心配してかけてきてくれたんでしょう?優しいわねー」 「はいっ。和己さんは、優しーんです」 「あっそ」 「お兄さんみたいです」 「……あっそ」
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