振り連載 | ナノ



 009



「ほらーっ!おばさま!おねえさん!こっちです、こっち!」

先輩や加具山さん、ピッチャーを筆頭としたものすごい努力のお陰で実力向上のみでなく、応援席の賑わいまで取り戻すことに成功した武蔵野第一高校野球部の皆さん。学校の人達が一番下の方を占領していたのでわたし達はちょっと上の方になってしまったけれど。とにかく席を取ることが出来た。選手の人達はというと、後攻になったらしく守備確認をしている。右隣に座ったおねえさんが、人おーいわねー、と息を吐く。人込みをかい潜ってここに来るのが少し疲れたようで、わたしの肩にもたれかかってきた。「斑ちゃん、疲れたよー」甘えてくるおねえさんにキュンとなって、帽子の上から頭を撫でた。斑ちゃん、と呼んだのは反対隣のおばさまだ。

「よかったの?元希のとこ行かなくて。何か声とかかけた方が、あの子も落ち着くでしょ」
「良いんです。先輩とお喋りしたいのは、わたしの思うことですし……試合前の選手の方には、わたし自分からつついたりしたくないんですよね。もしかしたらそれで崩れてしまうかもですし」
「ふうん?」
「それにわたしは先輩をリラックスさせるスキルなんて持ってないですし、ね」

「えー、そんなことないと思うケド」とおねえさんが言うけれど、わたしはグラウンドを見つめる。いつものごとく、先輩は4回から投げるらしいので、マウンドに登って牽制の確認に入っているのは加具山さんだ。

「どっちが勝つかな」
「お、おねえさん……先輩を応援しましょうよっ」
「やあ、なんか下の方で榛名くん榛名くん言ってる声が聞こえてきて」
「おねえさん……」
「弟の分際でモテやがって……」
「…………」

おねえさんも充分キレイなのに。美形の姉弟とは遠い存在のわたしからしてみれば贅沢な話である。……わたしなんか、背も、伸びないのに。「斑ちゃんはそのままでいーの!」頭撫でにくくなんじゃーん、とおねえさんはケラケラ笑った。まったく可愛いおねえさんだ。「あ、ほら。始まるみたいよ」おばさまの声に再びグラウンドを見ると、両チームの選手さん達が審判を挟んで一列に並んでいた。しあす!と、帽子を取って礼。その後まもなく武蔵野メンバーは守備につき、相手チームはバッターボックスとネクストバッターサークルに一人ずつ、あとコーチャーに二人入り、プレイボールだ。

「あの加具山ってコ、前よか速くなってんね」
「前って。そっか、おねえさんはあんまり試合観に行かないですね」
「んー。まああたしにも用とかあるし、それに元希なら大丈夫だって思うし」
「……姉弟愛っ!」
「今回はホラ、せっかく斑ちゃんいることだし?今日ヒマだったし。こんな機会滅多にないっしょ」

加具山さん、立ち上がりも良いみたいで好投。初回の守備を4人で切って、武蔵野の攻撃となる。わ、初球打ち。ここからでは甘い球とかちょっと判断し辛いけれど、打球はセカンドの脇を抜けたゴロになった。途端、歓声がより大きくなるこちらのベンチ。続け!と2番バッターが気合いを入れる姿が見える。レフトフライによって、捕球されるもランナーは進塁に成功。続く3番が打ったのはスライダーで、上がってしまった打球はセンターに処理された。その間の進塁は叶わずに、2アウト2塁。4番は一番飛ばしそうな大河さんだ。……にしても、結構単純な攻撃の仕方なのに、よく打ってる。相手ピッチャーの持ち球はストレートとカーブとスライダー。球速差は10キロほどあるんじゃないだろうか。けれど良くて130キロくらいで、普段から速球にものすごく慣れている武蔵野の人達にはちょうどいいみたいだ。もしかしたら、ちょっと物足りないくらいなのかもしれない。2ストライク1ボール、4球目のカーブを、力いっぱい振り抜く大河さん。キン、と鳴って、ライトのグラブの手前に落ちた。

「ライト前ヒット……って、あ」
「わ!先制じゃん!」

ランナーが一人還って、バッターは2塁へ進塁。ホームベースがスパイクに踏み締められると、フェンス近くの学生集団から聞き慣れない音楽が流れてきた。吹奏楽部だ。「あ。これ校歌ね」とおばさまが呟く。活気が一段と出た武蔵野スタンドと選手さん達を見て、これは流れを掴んだかもしれないと思った。5番バッターの人がセカンドゴロでアウトとなり、チェンジとなる。


「……加具山さん、やっぱり球速上がってますねー……」
「え?あそっか、斑ちゃん、去年の秋冬は試合観に行ってるもんね」
「はい。身体つきも、去年と違くて……他の人も」
「はー。元希、前はケッコー愚痴こぼしてたのにね。ね、おかーさん」
「始めの方は言ってたわねえ。サボってるだのやる気ないだの……そう。頑張ってるのよね、みんな」
「……榛名先輩は、やっぱり凄いです」

キン、と鋭い振りのバットに当たる音がする。加具山さんの3球目が先端に当たり、ボールはライト方向へ。顔が見えないほどに距離のある先輩はギリギリまで後ろへ下がって、右手を高く上げる。そのグラブにボールが、入った。

「元希が凄いって?まーた斑ちゃん、ンなこと言ってると、あいつ調子乗るわよぉ」
「や。あはは……。でも、ホントに、先輩にはいつも助けられてます」

グラウンドのプレイから視線をそらさないまま、言うと、両隣からは信じられないような視線が向けられるけれど、別にいつも突っ走っている先輩のフォローをしているわけではない。

──中学1年生の頃、先輩が学校に来なくなって。リハビリをしているのだと思った。けれど2ヶ月経った後に再び学校に戻ってきた先輩を見て、覗きに行った野球部にはいなくて、でも誰に尋ねることも出来ないままそれから3ヶ月くらいした時、シニアで投げている先輩を見つけた。そういえば、身体に球を受けていたキャッチャーは小さかった。今から思えば、あれは阿部くんだったのだ。

「武蔵野は今日調子いーね」
「見たところ、相手が打ち取りを優先するタイプの学校ですからね。でも武蔵野は速球に強いし、130キロ代では通用しないですよ」
「なるほど。相性がいーんだ」
「元希もやっぱり真剣ね。リトルの頃から野球やってきたけど……シニアでは、プロしか見ていないようなところがあったから。あの子もアレはアレで今を見ようとしていたんだろうけど」

先輩と出会った頃、先輩は怪我をしていて、野球をやっていなかった。シニアの先輩を見たのは一度だけだった。だから怪我以前の先輩の野球をわたしは知らないし、シニアの先輩も知らない。でも高校に入ってしばらくの間はすごくイライラしていて、ため息を吐いて、一人でいたような雰囲気があって。それが今、こんなに熱くなって。

「先輩、武蔵野で楽しそうです」

守備にも攻撃にも、こんなに気迫が伝わってくる。ちょっと粗削りなプレイだけれど、力押しで進めようとしたり、単調な作戦だけれど、どこか心惹かれる。そうだ、野球ってこんな単純なスポーツだった。そんな風に思わせてくれる。

「…………凄い、な」

榛名先輩がマウンドに立つ。
身体が震える。
堂々としたその様に、憧れた。

「先輩は、凄いなあ」

立ちたい。
わたしもあんな風に立ちたかった。