「おっかえんなさーい☆」 「…………」
がちゃこ。 扉が閉まりました。 ……じゃなくて。
「どうして閉めるんですか出ていくんですかっここが先輩のおうちですよっ!」 「なんかヤな予感すっからだよ」 「はっ!もしや先輩はエスパー!イクストラオーディナリー・パーセプションの持ち主!?さすがわたしの先輩ですっ後輩、鼻高々ですーっ!」 「……お前がそのテンションの時って、たいてい厄介ごと抱えてんだよなー」 「そんなことないです!遊びに来ました!おじゃましてます!早くただいまをして下さい!」
扉を押し開こうとするわたしと、扉によっ掛かっているらしい先輩。何してんのー、と奥から聞こえてくるおねえさんに手伝っていただいて、二人でお疲れである先輩を無理矢理お出迎えした。先輩は心底面倒臭そうな表情で靴を脱いでわたし達をフラーッと通りすぎながらただいまと言った。なんとなく、後ろをついていった。部屋へ入ると、カバンを乱暴に床へ置いて先輩は服を脱ぎ始めたので、急いで回れ右をしてリビングに戻った。「斑ちゃん、元希は?」「着替えしてますっ」おねえさんはお財布を手にしていて、どうやらコンビニに買い物へ行くらしい。後まかせたよー、と言い出ていくおねえさんを見届けると、わたしは深い息を吐いた。おばさまはまだ帰っていない。先輩と、ふたりきり。ここからは恐怖の時間である。ねーちゃーん、とトコトコ歩いてきた先輩は、おねえさんがいないのと、おばさまがいないのと、わたししかいないのを認識した上で、にんまりと笑った。こわい。
「──で?逃げ帰ってきたワケか」 「……頭が……わけわっかんなくなっちゃって……ですね……」 「さっきの威勢はどーしたよ。……け。無駄に元気ぶりやがって」 「……ごめんなさい」 「お前が、オレにウソなんか吐けるわけねーんだろが。バカ」 「……はい」 「……んでさ、お前はどーしたいわけ。ウチ来て、そっからどうしたいんだよ」 「で、出来れば……あの……しばらく、お世話になりたいです。かくまっていただきたいです……」 「あ?」 「い……まは……今は、その……あんまり、誰とも、会いたくないんですよね……気分なんですけど……」 「……はあん。じゃーなんでウチ来たわけ?」 「……人恋しくて」 「わっがまま」 「……さみしくて」 「…………」
隣に座り、向かい合って正座。下を向いて指をいじるわたしを、たぶん先輩は強い視線で見ているはずだ。けれど批難はしてこない。「女ってめんどくせーな」とは、ぼやいたけれど。だからこそ先輩の家に足を運んでしまったのかもしれないという仮定は、もし、そんな先輩だからこそここに来てしまったのだとしたら、と考えると笑えてくる。わたしは最低だ。
「──ウチ泊まんのは、別にいーよ。そん代わりオレん部屋な。文句言うなよ」 「はい……出来ればおねえさんと一緒がよかったなんて我が儘は言いません」 「我が儘っつか文句だそれ」 「お世話になります」 「おう。あ、部活どーすんの。やめるって言ったわけだろ?退部届とか、そーゆー手続きは?」 「……郵送?」 「え。持ってんの?」 「家にあります。入部届にくっついてんですよね。……着替えとか、どっちみち一度家に寄らなきゃなんないです」 「あそ。そっち夜でいかったらついてってやっていーけど」 「あ、はい。夜でおっけです。……時間がかぶらなければ」 「時間ってナニよ」 「部員さん達の帰宅です」 「会いたくねんだ」 「そりゃあ……気まずい、ですすし」 「んなことイチイチ気にしてたら、したいこと何も出来ねーだろ」 「いちいち考えちゃうのが、わたしの性格なんですっ!」 「そらそーだ」
もう一度、お世話になります、と頭を下げたら、先輩はおっきな手の平で乱暴に撫でてくれた。──先輩は本当に黙って、全てを聞いてくれていた。何かを思っているはずなのに、あえて黙って。ほんとは、その傾聴の姿勢が、いつかのかなめちゃんとダブって見えた。
「ねーちゃんもいいっつったんだ」 「はい。泣いてたわたしを慰めてくれました。それでティッシュが足りなくなって、コンビニに行ってます」 「どうりで目があけーわけだ」
こうしてわたしは、同じことを繰り返してしまうのかもしれない。甘えて、我が儘で縋って、大切な人を駄目にして、そしていつか、その重さを抱えきれなくなって、今のように逃げ出すのだ。
「あんま深く考えんなって。ウチなら大丈夫だろ。ねーちゃんも親も、みんなお前んこと大好きだし」 「……先輩もですか?」 「は!?……ば、バカじゃねえのっ」 「そだったら、嬉しんですけどね……」 「…………」
「斑ちゃん、学校はどうするの?終業式までどれくらい?」 「あ、えと、西浦は明後日なんですよっ出来れば……休みで通したい感じです」 「じゃあおばさん、明日電話しておくわね?おばさんでいい?」 「は、はいっ」 「ひひ。オレがかけてやろーか?『斑は昨日付けで退学を希望してまーす。んで武蔵野きます』」 「元希!また斑ちゃんいじめて……」 「斑ちゃん、元希の部屋でいいの?お姉ちゃんと一緒でもいいのよ?」 「え……」 「ちょっ、それムリー!もーこっちで寝るっつったんじゃん!」 「じゃーベッド貸してあげてね、元希。あんたは床に布団敷いて寝ること!」 「う……」 「はいっわかりましたっ」 「だー!勝手に返事すんな!」
鯖のホイル焼きをつっつきながら、談話する食卓。明るい照明。冗談。笑顔。食後、むっすりとする先輩に、ベッドと布団を反対にしましょうと提案して、渋る先輩を押し通した。ていうか、なんだかんだでわたしにベッドを譲ってくれるつもりでいたらしい。大会の真っ最中だというのに、一身上の都合で睡眠の環境を変化させるわけにはいかない、との判断である。まあ、すでにお宅に押しかけて環境変えちゃってるけど。せめてもの、というやつである。枕変わると眠れない人って、いるらしいし。「斑、おまえんち行くぞ」自転車の鍵のわっか部分を人差し指でくるくる回して急かす先輩に、慌てて駆け寄った。
「あー。勉強ドーグとかはいらねーよ」 「ああ、夏休みですもんね」 「どっちにしろ、大会中だってのに勉強なんか、やってらんねしな」 「……先輩」 「んー?」
ちりりん、とベルを鳴らし、先輩の足は軽快なリズムでペダルをこぐ。後ろの荷台に座るわたしは、お荷物状態である。わたしの着替えや歯ブラシ、旅行荷物を取りに行くからとローラーブレードを着用しようとしたけれど却下されたのだ。先輩の背中に頭をよっ掛けて、先輩を呼ぶ。振り返らないまま返事をした先輩。わたしはポケットから、自分の携帯電話を取り出した。黄色い。金髪をイメージして決めた色だった。監督さんと通話した直後から、電源は切ったままである。
「……この携帯、没収して下さい」 「……いーのかよ」 「今は、何も考えたくないんです。……キャパシティ超えちゃったんですよね」 「いいけど。……うし、斑」 「はい?」
前を向いて自転車を操縦したまま、片手だけを差し出す先輩に、わたしは黄色いそれを乗せた。先輩は自分のズボンのポケットに突っ込んだ。
「……これは、オレん部屋の、机の引き出しん中にしまっとく」 「──はい?」 「そこに、隠しとくから」 「…………」 「隠すんだからな」 「……はい」 「うし」
それにしても、かっこいーことだの言ってる場合じゃなくなってきちまったよなあー。そんなぼやきのような呟きが風の音に紛れていたような気がした。
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