振り連載 | ナノ



 003



「……花井くん?」
「うわっ!」

声をかけたら、驚かれた。たぶん3ヶ月前のわたしであったなら、この『うわっ』はわたしに話しかけられて『うわ、最悪』の『うわっ』ではないだろうか、とか思っていたはずだ。もう、すぐに試合が始まるというのに、珍しくぼんやりと焦点の合わない瞳をしている花井くんが気になって声をかけてみたのだけれど、肌の発色もいいし、体調が悪いとかではないみたいで少し安心する。

「なんか、ぼーっとしてたから、どうしたのかなって……あ、お節介、かなっ、ご、ごめ、ごめん、ねっ、ねっ」
「なんで昔に戻ってんだ?」
「え。なんとなく、気分で」
「…………」

お前のノリって一体……。
暗にそう言われた気がした。

「──や。そうじゃなくて。元気ならいいんだっ、ほんと」
「……相内さあ」
「うん?」
「ヒーローって何?」
「……うん?」
「ヒーローって、何だと思う?」

わたしの方を見るのを止めて、そう尋ねてきた花井くん。やっぱりどこか雰囲気が変だな、と感じながら、わたしは考える。ヒーローって、あの戦隊モノとかでよく言われるヒーローのことだろうか。ヒロインと対称で使われるヒーローのことだろうか。

「意味そのいち。英雄、勇士」
「…………」
「意味そのに。小説や演劇などに出てくる男の主人公」
「…………」
「意味そのさん」
「……も、いーや」

最後まで聞かずに、移動してしまった花井くん。求められていたのと違う答えだったのかとショックを受けたけれど、どうやらグラウンド整備の集合がかかったようだった。部員さん達みんながベンチから続々とグラウンドへと走っていく。それを今度はわたしがぼんやりと見つめた。花井くんが見ていたのは、何処だったのだろう。

「……意味そのさん。はなばなしい活躍をした人」


三橋くんが、打たれる。ショートが詰まったゴロを捕球して、ファーストに送球し、難無くアウト。 2番にも打たれるもセカンドのジャンピングキャッチでツーアウト。3番バッターのゴロをファーストが捕って、走ってベースタッチでスリーアウトである。「さあ攻めるよ!初回は2点以上!!」声出しが終わって、1番の田島くんがバッターボックスへと向かう。その後ろ姿を見つめながら、近付いてきた監督さんに気が付いた。わたしは、振り向かなかった。

「拗ねてるの?」
「……拗ねてちゃ、だめですか」
「だめじゃないけど」
「けど?」
「子供みたいよ」
「…………」

子供ですけど。監督さんを見ないままそう返すと、ぷぷっと吹き出すような音が聞こえた。田島くんがセーフティーをきめる。泉くんと阿部くんがちょうど真ん前で声を出すのに焦点を合わせる。彼らや同じベンチ内にいる部員さん達には、聞こえていないのだろう。「ごめんなさい」と小さな声はやはり少し笑っている。

「……あんまり笑わないで下さい。ほらほら、試合中じゃないですか、今。そんなになめてかかると負けちゃいますよ」
「負けちゃえばいいのにって?自分の学校チームなのに、酷いわね」
「そこまで思ってませんよ……ただ、今回は、わたしの思うところとは違う。それだけです」
「斑ちゃん、どもらなくなったわねぇ」
「唐突ですね」

牽制。田島くんが滑り込んで一塁へ戻った。起き上がった彼はメットのつばに触れたから、監督さんはサインを出したんだろう。大きくリードの姿勢をみせた。ストライクのストレートを捕球したキャッチャーは二塁へと送球。田島くんはまた戻っていた。栄口くんが送りバントで1死二塁で泉くんの打席となる。

「ずっと思ってたわ。順応早いなって。予想通りに」
「……予想通り?」
「アメリカ合衆国イリノイ州、シカゴ大学。あなたが西浦に入学してくることになって校長先生、必要書類はそこから取り寄せたのよ」
「監督さん、見たんですか?」
「正確には見たのは志賀先生だけどね。実際の斑ちゃんを見て、驚いたわ。聞いてたのと全然違う」
「そりゃあわたしだって、日本に戻ってから、色々ありましたから」
「色々あったのは戻ってからじゃあないでしょう」
「…………」

首を振る投手。三橋くんとは違う。配球の組み立ては、どうやら投手が行っているらしい。先輩ピッチャーに後輩キャッチャーだからか、主導権は投手が握る。外に放った球は1塁側ギリギリのフェアで、ライトは慌てて捕球に向かう。ランナーは回る。1点。泉くんは三塁打。

「正しくは、前。それも『日本に戻る前』だけでなく、『アメリカへ行く前』でもあるんじゃないの?」
「……バイトでお忙しいんじゃ、なかったんですか?」
「気になっちゃって。こればっかりは千代ちゃんに任せるわけにはいかないし。大変だったのよ?色んなとこに電話かけまくったり」
「わたしのことなんて、放っておいてくれればいいですのに。部員じゃないんだから」
「マネージャーだって、大事な部の一員です」
「ばっかみたい」
「……ひねくれるわねー」
「可愛いげなくてすみません」

花井くん。さっき少し様子がおかしかったような、そうでなかったような。スクイズ。2点目。5番に回った。三振でアウト。

「あら。可愛いわよ?特に、チョコレートやオールドファッションとか甘いもの食べてる時なんか。地だし」
「……わたし、監督さんのこと嫌いかもしれません」
「はっきり言うのねぇ」
「思ったことは、言いますよ。元々がそんな性格だったんですから」
「じゃあどうして、斑ちゃんは変わっちゃったの?」
「…………」
「『かなめちゃん』のせい?」
「違います」

守備。4番はピッチャーフライ。そして5番は敬遠だ。バッテリーにヤジがとぶ。5番バッターが、バットを構えたまま立っている。しゃがれた声のヤジが響く中、結局フォアボールとなった。

「……監督さん」
「なあに?」
「わたし……かなめちゃんに秘密にしていることが、たった一つだけあるんですよ、ね……」
「……へえ。それはどんな──」
「両親が、事故に遭ってから」

攻撃。阿部くんの打順。首を振る回数が多い投手。恐らくは捕って投げるだけの捕手。配球は単調。内のストレートを完全に読んだ阿部くんはセンター前ヒットだ。沖くんはバントの構え。阿部くんは走る。死角と油断のミスで成功した盗塁。バントを決めてランナーを三塁に運んだ沖くん。水谷くんの打席。ボールスリー。スクイズ警戒。すべて自分の頭の中で考えて投げる投手。首を振る投手。考えついた球種にサインがかち合うまで振り続ける。フォアボール。9番の三橋くん。2球目で打つ。サードが捕球しそこねて、ランナーは水谷くんが二塁へ滑り阿部くんはストップ。三橋くんはアウトになった。崎玉側のタイム。笑っている主将。タイムおわり。二巡目の田島くん。初球セーフティー。水谷くんはホームでアウト。守備。ショートゴロ。サードゴロ。ライトフライ。終わり。攻撃。栄口くん。初球から振る。先頭打者。泉くん、左打席にスイッチ。センター前ヒット。花井くん。外低めのストレートをライトフライ。巣山くん。センター抜けてヒット。満塁。阿部くん。押し出しをさせる。沖くん。バント。転がしすぎ。捕手がホームを踏んでひとつアウト。一塁もアウト。ダブルプレー。「相内?」名前を、呼ばれた。振り返る。水谷くん。

「……相内、カントクと何かあった?さっきからさあ、グラウンド睨んでるよー……怖いよ……」
「……水谷くんの、ばか!」
「ええ!?」
「さっさと行って、打ってこい!」
「花井ーっ!何か知んないけど、相内がキレてるよー!」
「ほっとけ!」
「ひどっ!」「ひどっ!」

今日はわたしのテンションがおかしい。