振り連載 | ナノ



 002



「────え」

じゃあそういうことでよろしく頼むわね斑ちゃん、と肩を軽く叩いてわたしに背を向けてさっそく投球練習の準備をしようと歩き出そうとした監督さんを突嗟に引き止めようとして腕を掴もうとしたけど空振って勢いをつけすぎたのか思わずバランスを崩したわたしがつい掴んでしまったのが監督さんの綺麗なポニーテイルで「わあ!?」とビックリしたらしい監督さんは振り返ってわたしのことを見た。

「ごごごごごめんなさい……う、腕を、掴もうと思って……」
「いや……いいけど。大丈夫?」
「は、はい……」
「で。どうかしたの?」
「どうかしたの、って……」

本当に疑問そうに首を傾げる監督さんを相手に口ごもって、わたしは少し前のことを俊巡する。そうするとわたしの、すべて記録して漏らさない脳から思い起こされるのはただの普通の会話である。
次はコールドにしてほしい。崎玉に付き合って延長なんか冗談じゃねーし、9回でもなげェ。このまんま行くと、早けりゃ次の試合で、うちは三橋から崩れるよ。イロイロ考えたけど、こいつをもたせるには試合を早く終わらせるのが一番だと思うんだ。……え、あのさ。狙ってやれんならやりてェよ。だってふつーに、そのーが楽だしな?だから、狙おーよって話してんだよ。うん!いいかもね!ええっ。崎玉は得点も多いけど、失点も多いでしょ。7回までで、1回戦は7失点、2回戦は5失点。こっちが点をやらなきゃ、そう難しい話でもないよ!……そか?ナルホド……なのか?向こうはデータも持ってねェだろうから一巡目で点取るのが効率いいし、向こうにショックも与えられると思う。初回に5点とか入れられたらバッチシだけど、まあ1回に2点ずつ取りゃいんじゃねェか。2点ずつじゃこっちは点やんないって計算じゃん。5番はどうすんの?5番は敬遠する。え……全打席?2打席目は座るよ。結局歩かせっかもしんねーけど。どっかで勝負しなきゃなんねー場面あったら、イキナリは怖えーからな。ハッキリ敬遠すんのは、向こうのやる気をそぐためか。おー、崎玉は5番が精神的支えになってんだろうからな。そいつが勝負さしてもらえねーとなりゃ、ベンチが腐ンだろ。そうしたら5番以外の動きはスゲーにぶるぜ。────コールドやんぞ!!

「あの、えっと……」
「気が進まない?敬遠」
「…………」

何も言えないわたしに、監督さんは「斑ちゃんだものね」と言って、笑む。その笑みの意味は、わたしにはわからない。

「……敬遠は本当に、必要なことなんでしょうか」
「…………」
「三橋くんのためにコールドにしたいっていうのはわかります。試合でどうしても敬遠しなければならない場面が存在するというのも知っています。でもそれは、崎玉戦じゃないと思います」
「……要するに、勝負はしてあげて欲しいってこと?」
「だって、悲しいじゃないですか。勝負させてもらえないまま負けるなんて。だって、夏なんですよ?」
「…………」
「本当にそうするしかないんですか?」

崎玉の5番。
佐倉大地くん。
勝負をさせて貰えない彼は、
多分あと4日で夏が終わる。

「何とか、他の方法でコールドには出来ませんか?」
「……無理ね。それだとあっちに点が入るし5回じゃ終わらなくなる。……点差が開いてからなら阿部くんだって勝負するでしょうけど、目的は三橋くんを保たせることだからね」
「……なんか、ずるい」
「ずるい?」
「だって、勝負を避けて、もう相手が勝利に手の届かない所にきて、ようやく勝負をしてやる、なんて」
「…………」

ずるい、と呟く。
唇は突き出て、まるで喧嘩でもしてふてくされている子供みたいだ。自分でもそれは十分わかっているのに、それでも口に出さずにはいられなかった。監督さんは、眉を寄せてむくれているように見えるだろう表情のわたしの頭を撫でて、「スクリューの練習してくるね」と言って、千代ちゃんのところに行ってしまった。わたしは釈然としない胸のモヤモヤを消すことが出来ないまま、ベンチに戻った。千代ちゃんのかわりに、おにぎり作っておこう。ごはんはもうセットしてあるみたいだから、とりあえず具材を取りに行くことにしよう。数学準備室までは、やっぱりローラーブレードだった。

──わたしの物言いは、もしかしたら監督さんの考えを否定してしまったのかもしれない。そして最悪──監督さんを傷つけてしまったのかもしれない。

「──それでも────」


グラウンドを出て、しばらく走った。2回目のガードレールコーナーを曲がって道路を横切る。学校の敷地内に入ろうとしたところで、「あれっ」と、聞き覚えのある声がした。と思って、いつの間にか足元しか見ていなかった視界を上げるてみると、ちょうど学校を出るらしくわたしの方へ歩いて来ていた、ストリートバスケットボール部のみなさん。バスケットボールを頭に乗せてバランスを取りながらなのはそよぎちゃんで、マスコットガールのひよこちゃんはわたしに飛び付いてくる。あれ、そういえば今日はお化粧をしていない。暑いからだろうか。松本さんと室咲さんは手を振って、こっちにゆっくり歩いてくる。その他の顔の知らない部員さんらしき人たちはさらにゆっくりと2人のあとに続いてきた。「斑じゃーん。どうしたのっ?」尋ねるのは、わたしに頬擦りをするひよこちゃんだ。

「斑ちん、グラウンド担当なんじゃないっけ?」
「松本さん。わたし実は千代ちゃんと同じマネジだから、担当とかないんだよ」
「あは。そろそろそれムリあるからー。うちらはね、これからバスケしにコート行くの」
「相変わらずストバス部さんは仲良しでいいなっ。室咲さん、わたしは千代ちゃんが今手を離せないみたいだから、代わりにおにぎり作るんだよ」
「へー。いいなー」
「そよぎちゃん。一応言っておくけど、おにぎりを食べるのは部員さんだよ?」

部員さんのために作るんだよ?と念をおせば「うわー大変だー」と、コメントを変更したそよぎちゃんが素直に好きだと思った。「え。じゃああたし斑手伝うよ」ありがたくもそう言ってくれた家庭科の調理実習でオムレツをスクランブルエッグにしたひよこちゃんはストバス部員さん達と別れて、わたしに着いてきてくれることになったのだ。

「ひよこちゃん。いいの?」
「どーせマスコットガールはバスケをしないしね」

じゃあ頑張ってね、と2人でストバス部さんに手を振った際、「えーピヨちゃん来ねーのー」などという類の残念そうな声が多々あったあたり、ひよこちゃんは立派にマスコットガールという位置を確立していると思う。手を繋いで数学準備室に行って、冷蔵庫からおにぎりの具を引き取ってグラウンドに戻る。

「……ん。そういえばひよこちゃんも、ちょっと肌焼けたね」
「うん。まあ外に出てるからね」
「ほう」
「バスケはしないけど」
「ふむ」
「応援とか?」
「あはっ」

「斑とおんなじ色だー」腕まくりしてあるシャツからは、細い手首が覗く。ゴールドやシルバーのジャラジャラした飾りが日の光で眩しかった。「なんか綺麗だね」と言えば、ひよこちゃんは何故かハッとしたような表情になって、腕からアクセサリーを外した。誤魔化すように笑うひよこちゃん。もしかしたら酸化対策なのかもしれない、と勝手に納得をした。

「おにぎりはねえ、昨日のトレーニングのトップは一番好きな具で、ビリの人が白むすびなんだよっ」
「へー。じゃあ、これからビリのヤツはタバスコむすびにしよっか」
「だめ」
「ちぇー」

グラウンドに入ると、ひよこちゃんを見た部員さん達の反応は様々だ。ひよこちゃんを見て明らかに面倒くさそうに顔をしかめる人(阿部くん・泉くん)、今日のおにぎりの味を心配する人(花井くん・巣山くん)、アメちゃんをあげたことのあるひよこちゃんを見て目を輝かせる人(三橋くん・田島くん)、また可愛いとか言ってからかわれるんじゃないかと身構える人(水谷くん・沖くん)、単純に手伝いに来たことを嬉しがっている人(西広くん・栄口くん)という具合で綺麗に5等分されて、ひよこちゃんはいずれのどの5つのグループにも投げキッスを返してわたしにウインクした。偉大だと思った。「あ。また来てくれたのね」監督さんには顔パスでベンチに行って、ごはんが炊き上がっているのを確認した。

「ひよこちゃん、はいこれ」
「ん。なにこれ、おわん?」
「ん。これでね、てととーって」
「てととー?」

おかかにシャケにツナにイクラ、エトセトラ。わたしの言った通りに2人で『てととー』ってして、とりあえずまんまるのおにぎりを作ってお皿にのせていく。11合もあるから、1人じゃあ大変だったところだ。わたしは千代ちゃんほど手際がよくないからである。

「あー。野球ばっかしてるもんね」
「納得しちゃダメ!疑問を持って生きることを忘れないでっ!」


「あ。斑ちゃん、青乃さんっ」しばらくして千代ちゃんが走ってベンチに戻って来た時にちょうどおにぎり作りが終わったので、2人して千代ちゃんに顔を向けた。「2人とも髪の色おんなじだから、一瞬どっちだかわからなくなっちゃったよ」わたしは水道で洗って濡れた手をタオルで拭いて、ジャグからドリンクをコップに注いで千代ちゃんに手渡した。うんそうだ、これこそがマネージャーの仕事だよね。

「なんかいつもと逆だねっ」
「…………」
「あは!斑うけるー」
「…………」