振り連載 | ナノ



 001



「──うんっ。うんっ。三橋くんから聞いたんだねっ。うちも勝ったよっ。うんっ。メールはねっ、おとつい見たんだよっ。おめでとうっ。えっ、今っ?うんっ、ちょっとねっ、今、走ってるからねっ。ちょっと呼吸がねっ。それにジャグ抱えてるからねっ。あははっ、力仕事もっ、マネジの仕事だからねっ。三星って、男子校なんだよねっ?マネージャーの仕事とかは……あっ、カントクがっ。大変だねっ。わたしも千代ちゃんがいてくれてよかったなっ。一人じゃちょっと大変だよねっ。うんっ?ああそっかっ、そっち私立だもんねっ。野球いっぱい出来るねっ。嬉しいねっ。叶くんのフォークっ、また一段と落ちるようになったのかなっ、また試合出来るといいねっ。……あっ、そうだねっ勝っていったら普通に当たるよねっ。じゃあ会うのは甲子園でだねっ。うん、うんっ。あっ、そっちもう休憩終わるねっ。こっちもねっ、うんっ、あとちょっとで球場着きそうだっ。うん、じゃあまたあとでだねっ。うんっ。ばいばいっ」

ピ、という効果音で通話を切って、片手で持った携帯電話をポケットには入れずにチャックを開けたままのボストンバックへと落とした。走っていると、というか滑っていると、ハーフパンツのポケットに入れると落としてしまうかもしれないからである。逆の片手の指が遠心力や動作の衝撃のせいでギチギチと重く、ちぎれそうになっていたところをもう片手を添えることで救済し、その一瞬の動作の後に、ローラーブレードを装着した足を動かす。アスファルトの地面で、その度にゴロゴロゴロと鳴る。その音とは別に、「相内かのーとデンワしてたー!」「マネジローラーブレードずりー!」「ジャグ重くない?」「ムリすんなってしのーかの後ろのっけてもらえー」「もーケッコーな距離だぞーっ!」「お おれもきのー叶くんとメールっしたっ」「こっちの情報はしゃべんな、むこーの情報は聞き出せっ!」「阿部ってヒデーな!」「走りながら好き好きにしゃべんじゃねー!呼吸みだれんだろが!!」「くるしー!」「球場みえたっ」などという、部員さん達の声が聞こえるにつれてランニングの終点の球場入口が見えてきた。ので、自転車で一番後ろを走っていた千代ちゃんがホイッスルを軽く吹いて、みんなはゆっくりとペースを落とし、止まって息を整えた。わたしも思わずジャグを地面に置いて、肩で息をする。「斑ちゃん、大丈夫?」千代ちゃんが心配そうに尋ねてくるので、なんとか笑みを作って返した。

「……っは、走りながら電話は、公共マナー上でもよくないねっ!」
「チャリでケータイいじったらダメだもんねぇ」
「ローラーブレードについてはっ、記載してなかったけどねっ!」
「あははっ。ローブレでケータイ運転は斑ちゃんぐらいだよー」
「そうそう個性を真似されてもわたしのアイデンティティに関わるから別に構わないんだけどねっ」

笑いながら、千代ちゃんは地面のジャグの取っ手に両手の指をかけて、よいしょ、と持ち上げる。どうやら今度は千代ちゃんが運んでくれるようなのでお礼を言って、それから手の空いたわたしは電話で、車で先に着いているはずの監督さんに居場所を教えてもらったのちに、みんなを誘導すべく先頭に立ったのであった。「あ。やっぱローブレは脱がないんだ」栄口くんが後ろで何か呟いたような気がしたけれど、わたしは聞こえていないフリをした。


「……ふわーい。平日だっつのに人はいってんな!」

バックネット裏に続く階段を登りきり、あたりの観客席を一望した田島くんが、素直な感想を漏らした。階段出口のすぐ隣で待ってくれていた監督さんが、三塁側の内野席での観戦を促す。三橋くんは急な登場でビックリしたらしい。ぞろぞろ連れだって移動するわたし達。三塁側ってことは……岩槻西高校ベンチの方だ。

「相内、ここでも日焼けダメ?」
「駄目だねえ」
「ちぇ」
「田島くん、そういえば今日普通にサッカーしてたけど。指大丈夫なの?」
「全治一週間だっつーけど全然ヘーキ。つかサッカーは指使わねっしな!」
「あ、そっか。でも間違いなく4番サードからは外されるよねっ」
「ええーっ!」

ベルトを外そうとする田島くんの手を掴んで話題を変えてみたけど、不服そうな表情の田島くんだった。「オレひっぱってったげる」と水谷くんがおっしゃったのでお言葉に甘えた結果、水谷くんと手を繋いでからころと移動作業はウィル(車輪)におまかせしているわけで、わたしと田島くんがそのあとも益体もない話を続けていると勝手に三塁側スタンドへと辿り着いた。おお、てれぽーてーしょんじゃ。

「──さて。みんなも知っての通り、田島君の右手は全治1週間なの。1週間てことは、この試合の勝者との対戦──……すなわち3回線には間に合わない。3回線は田島君を、4番からもサードからも動かすよ!」ざわざわ、と部員さん。やっぱり、とわたしが頷く前に、一斉に監督さんの顔を見た部員さん達の中から田島くんが抗議に飛び出す。へーきだよ!らしい。声を上げた途端に田島くんは監督さんに頭部鷲掴み、ぎりぎりの刑に処せられた。田島くんはぴぎゃあ、というような叫びを上げて、三橋くんを怯えさせているけれど、監督さんの言うことには賛同である。無理はいけないし、無理をしなくてはいけないような試合でもないらしいのだし、ここは田島くんに大人しく引き下がってもらいたいところなのである。「ちょっと集まってちょーだい」田島くんを掴んだままそう言う監督さんのところにわたしと、顔を青くした部員さん達がその通りに集まると、監督さんはジャージのポケットからメモ用紙を取り出した。ちなみに実はそのメモ用紙、以前わたしが監督さんにあげたメモ帳のもので、柄はハートなのである。こちらからだと裏面しか見えないから問題はないけれど。「今から3回線のスタメン言うよ。みんな、そのつもりで観戦してね」

「1番ファースト、田島君」
「うぐ、ぐ……はい……」
「……ファーストは左打者増えてるから強い球くるし、三橋君みたく打たせて取る投手にとってはとても重要だよ」
「…………」
「1番打者はなんといっても一番多く打席に立てるし、足を警戒される中で盗塁するのは、ムズカシイ分面白いよ!」
「…………」
「1番、ファースト、田島君!」
「!はい!」

「……相内。カントクってすげーね」
「ていうか、こわいよねっ」

うまい、と思うのは多分わたしだけじゃあないはず。で、続いて2番は栄口くんは変わらず、上がって3番泉くん、4番は花井くんになって、5番が巣山くん。6番は阿部くんで7番は沖くん、8番は水谷くんで9番は三橋くん。田島くんがいないバージョンのクリンナップは泉くんと花井くんと巣山くんという、安定のとれた打順に決まったようだ。みんなそれぞれ元気よく返事して、それをふまえた上で、試合の観戦に入った。

「斑ちゃん。この試合高校の説明」
「はいっ。先攻の岩槻西高校は毎年60人強の部員が集う、そこそこ人気の県立高校でっ、地区大会を越えて春は県大会の1回戦、去年の夏は3回戦まで進出してきた、ここ10年で着々と力をつけてきた学校ですっ。夏のレギュラー陣には1年生はいなくて、毎年2・3年生を中心としたメンバーで出場していますねっ。で、後攻の崎玉高校は農業高校で、野球部部員は11人。うち3年生がショートのキャプテン1人だけの、1・2年生中心のチームのようです。ちなみにサードとキャッチャーは1年生で、あとは2年生です。春の大会は部員が揃わなくて不参加、去年の夏も1回戦負けしているチームでしたっ」
「ありがとう斑ちゃん」
「いえいえ」
「相内、それ暗記してんの……?」
「これだけ聞けば岩槻西が上っぽいけど、岩槻西はこの試合が『夏の初戦』なのよね」
「よいしょっと」
「あ、千代ちゃんっお疲れさま!」
「ごめんねおもかったー?」
「ヘーキだよー!」
「あ!知ってる!」

ジャグを運んできてくれた千代ちゃんにお礼を言いつつ、田島くんの素晴らしい記憶力に驚きつつ、わたしはグラウンド上に視線を巡らせる。ちょうど佐倉大地くんを見つけた。外国の血が混じっている利央くんよりは少し低いものの、180センチを越えている身長は高校1年生にしては高い。わたしにも10センチくらい分けてほしい。そんな長身の佐倉大地くんはマスクを被って、キャッチャーを務めている。


「カントクさーん!」

と、この球場でもよく通る声が響く。日差し対策のツバつき帽子を深々と被った、花井くんのお母さんが、監督さんに向かって片手を軽く挙げていた。その後ろにいる黒い帽子と服の女性は、はじめて見るひとだ。

「あ!花井さん!……と」
「こんにちはー、阿部ですー」

席から立ち上がる監督さんにぺこりと頭を下げた女のひとはそう名乗って、1回戦は来られなくてスミマセンでした、と言った。……阿部さん。阿部さん。阿部。あべ。阿部。……阿部?

「……阿部くん?」
「おー。ハハオヤ」
「…………」

にこやかで、きれいな人だ。
と思って見比べていたら阿部くんに睨まれた。いつまで経ってもこわい。

「花井君!ちょっとの間、よろしくね!斑ちゃん!こっちに付き合って!」
「え、わたしそっちですか?」
「ビデオだけじゃなくて、パソコンのモニターでも記録するんじゃなかったっけ?」
「あ、あ、そっかっ」

監督さんに言われて、そういえばノートパソコンを持って来ていたことを思い出した。鞄を掴んで、慌てて監督さんの後ろについていくことにすると、背後から声がかかる。「よけーなこと喋んじゃねーぞ!」とは阿部くんで、「転ばないよーに気ィつけろー!」という要旨が他のみんなだ。わたしは一体なんだと思われているのだろうか。

「斑ちゃん?」
「あ、は、はいっ!なんでしょう、花井さんっ?」
「やぁだ、そんなに恐縮しないで!こないだはあんまりおしゃべり出来なかったからねー、今日はおばさん達にちょっと付き合ってくれないかしら」
「こ、こちらこそっ。お隣お邪魔しますねっ!」
「花井さん、この子は?」
「ああ、マネジの相内斑ちゃん。斑ちゃん、こっち阿部さん」
「あっ、『第2のモモカン』さん!」
「…………」

花井くんの時も思ったことだけれど阿部くんは一体わたしを何だと認識しているのだろう。第2のモモカンってなんだ。はじめまして、とお辞儀をして、空いている席に座った。諸悪の根源の監督さんは笑いをこらえていた。失礼だった。

「……さて。監督さん、ビデオは画面このままで、撮る時だけスイッチ入れればいいんですね?」
「はい!あとここ陽射しがキツイんで、塩分・水分とって、熱中症も気をつけてくださいね!」

陽射しよけの帽子を目深にかぶり、きゅうりの漬物にスティックシュガーコーヒー、フレッシュコーヒーで塩水分の確保、うちわと凍ったタオルで熱中症対策もバッチリなお2人だった。なんでも、阿部くんも花井くんも小学生から野球をやっていて、観戦は得意らしい。小学生からかあ、ちょっと親近感わくなあ、と思いながら、わたしもモニターのセットをする。2人が録画する監督さんのビデオカメラをそのままビデオアダプターに繋いで、ビデオオーバレイの入ったノートパソコンに接続する。これでカメラのデジタル画像データをビデオ信号に変換し、取り込んだ映像をパソコンの画面に表示し、こちらでも記録しておくと同時に解析作業を進めることが出来る、優れもののノートパソコンなのだ。聖ちゃんのお父さんが勤めている会社の製品と知った時には、驚いた。

「あのー。監督もやっぱり、小学生からやってたんですか?男の子に交じってリトルとか……」
「私は、小学校は地域のクラブに入ってました。野球もサッカーもやれるトコで……女子もけっこういました。中学はソフトボール部です」
「高校は……西浦ですよね。やっぱり、ソフトボール?」
「いえ。野球部のマネージャーです」

何やら会話の弾み出した花井さんと監督さんのお話。その内容が監督さん自身のお話だとわかって、思わず耳をそばだてるわたし。だってみんな、監督さんのことって、ほとんど知らない。お話上手っぽい花井さん、どうにかいっぱい、聞き出してくれないだろうか……。他力本願。

「マネージャー!へー!もったいないって言ったら変だけど……へーえ!いや、うちの子がね、『監督はノック上手いけど、どこで練習したのかな』って言っててね」
「うまいですか?」
「上手ですよー」
「フフ。嬉しいな。──ノックは高校でやったんです」
「マネージャーって、ノックもするんですか?」
「……あの。いわゆる女子マネじゃなくて、練習の計画立てたりする人もマネージャーって言いますよね」
「あはは。そんなタイソウなもんじゃないですけど。顧問の先生は野球したことない人だったし、部員も少なかったんで、ノックも打撃投手も毎日やってたんです」
「…………」
「野球したことないって、志賀先生?じゃなくて?」
「ええ、もう転任されて。部は軟式だったしね。今とは、全然違ったんですよ」

微笑んで、そこまで言うと、花井さんから受け取ったコーヒーを一気に飲みほした監督さんは、気持ちよさそうに口を拭ってカップを返し、部員さん達が集まっているところへ戻っていった。残されたのはわたしと花井さんと阿部さん。…………。

「斑ちゃん、コーヒー飲める?」
「えっ、あ、お砂糖入れていただいてもいいですかっ?」
「ええ。はいどーぞ」
「ありがとうございますっ」

カップとスティックシュガーを頂いて、シュガーはコーヒーに混ざった。魔法瓶に入っていてキンキンに冷えていたコーヒーが喉を通って、気持ちいい。微かに残る苦さと砂糖の甘さが、喉の奥でベタついた。わたしは阿部さんの隣に落ち着きながらも、どこか内心もやもやと広がるものがあったのだ。

「ああ。そういえば斑ちゃんも、ノックや打撃投手をしているのよね?」
「……はい」
「大変ねえ」
「斑ちゃんは野球、やってたの?」
「あ、はい。小学校のころ、ちょっと外国行ってて、そっちでよく遊んでたんですよねっ……」
「へえ、外国!タカも言ってたよ、英語ベランベランだって」
「本場のイギリスじゃないんですけど、アメリカにしばらく」
「いつ帰って来たの?」
「中学……の、ちょっとしてからでしょうか。で、転入した中学っていうのが、阿部く……隆也くんがシニア時代バッテリー組んでた方と同じところでした」
「へー!縁があるのかないのか。じゃあもしかしたらどっかで会ってるかもね」
「中学では?」
「残念ながら、帰宅部でした」
「あらあら」

おしゃべりしながら、グラウンドにも目を向ける。崎玉のピッチャーさんはスクリューを使うんだな。なるほどなるほど。インプットしながら、隣で楽しそうに観ている花井さんと隆也くんを見て、ちょっと安堵した。お2人とも、思ってたよりずっとお話ししやすいし、気さくな方だ。「ところで、アメリカにはご家族の転勤か何かで?」……おっと。思っていたよりずっと、斬り込んでくる方だ。

「いえ。アメリカには、一人で行ったんです」
「ええっ、一人で!?」
「留学……といいますか。なんか、あったんですよ、そういう、特待の学校が。そこで色んな知識叩き込まれて、一通り学んで完成したら放り出されちゃいました」
「ドラマで見たことあるわ。ギフテッド教育、って言うのよね?」
「は、はい」

要は、目をつけた子供に、脳が柔軟なうちに子供の知的好奇心を促進し、高い吸収能力や適応能力を持つ幼い時に教育を開始することで脳の活性化を高めれば、いわゆる『優秀な人間』を生み出すことが出来るという考えを基本にしている、幼い子供を集めた特待式の特別支援教育学校だ。アメリカではそういった、いわゆるギフテッドキッズに対する支援や促進している大学がいくつもある。阿部さんと花井さんが大いに感心して下さっている視線から逃れ、手はキーボードを叩く作業を絶え間なく続けながら、試合を観戦した。頭ではなんとなく、さっきの監督さんを思い出しながら。監督さんの昔していたマネージャー業と、わたしの今行っているマネージャー業を比べながら。監督さんは一体わたしに、どうなって欲しいのだろうと考えながら。