振り連載 | ナノ



 006



「相内。部活行くぞ」
「泉くん、こ、この手はっ?」
「またサボるといけねーから」

別にサボった訳じゃないんだけどなあ、と思ったのを飲み込んで、大人しく廊下を引きずられているわたし。ああ、泉くんと手を繋ぐのは初めてかもしれない。わたしを引っ張る泉くんの隣には田島くんと三橋くんがいて、7組の前を通り過ぎてからは引きずられているわたしの両脇あたりに花井くんや阿部くんや水谷くんや千代ちゃんがついて来ていた。「金曜は相内いねかったから、守備練とかのローテ狂ったんだぞ」という、責めるような阿部くんからの攻撃に耐えつつ、千代ちゃんとたわいのない話をしながら、ズルズルと、後ろ向きに喋っているわけなのだけれど、これはやっぱり、自分で動かなくてもいいわけだから、楽だ。ローラーブレードを履いていたなら泉くんももっと楽に引っ張って行けたんだろうけど、でもズックと床との摩擦があってもそれほど頑張っている様子はなかったので、やっぱり男の子の筋力は凄いんだなあと一人で感心する。ていうかわたし、最近こんなんばっかりじゃないか?

「斑ちゃん、今日はマウンドだよね?」
「うんっ。千代ちゃんは今日もベンチだよねっ?」
「うんっ」
「えへへ」

本来のマネジ業をすっかりまるまる千代ちゃんにやらせてしまっている申し訳なさもあるのだけれど、千代ちゃんいわく「斑ちゃんはすごい」ということで、休憩に入るとわたしにもちゃんとアクエリやタオルを笑顔で渡してくれる。なんだかわたし、野球部員みたいな扱いを受けているような気がする。監督さんの考えていることは、わたしにはまだ読めない。

「相内、金曜、あいつのトコ行ってたんだって?」

下足室に着いたので泉くんから手を離してもらい、皆は靴に、わたしはローラーブレードへと履き替え、わたしはローラーブレード、皆はチャリを停めてある部室までは歩きということで連れ立って向かっている途中のこと。普段の授業のごとく金曜の部活のようにサボったりしないようにと、後ろから泉くんの見張っているかのような視線を感じながら、何故か隣を歩く阿部くんがそう尋ねてきたので頷くと、途端に嫌な顔をされる。……嫌なら、聞かなければいいのに。ついでに、仮にも先輩に、あいつとか言ったら駄目。そう思うけど、怖いから言わない。言えない。

「よ、呼ばれたから……」
「パシリかよ」
「マッサージだよっ」
「マッサージ?」
「肩が、こったんだって」
「肩ぁ?」

うん、と頷けば、横を向いたまま、器用に角を曲がる阿部くん。目を丸くしている。首を傾げると、「だって、肩だろ?」と、言う。ああ、そういえば、先輩は自分の身体をものすごく大事にしているから、肩に負担をかけるようなことは勿論しない(鞄は投げ肩とは逆にかけている)し、誰かに触らせるようなことも絶対にしなかったのである。阿部くんと榛名先輩がシニアでバッテリーを組んでいたというのが中学生のころで、榛名先輩が荒れていたのも中学の頃。だとすれば多分、阿部くんが言いたいのは、そのことだろう。「先輩とは、ちょうど荒れてた頃からの付き合いだからねっ。勝手知ったる何とやら、みたいな」あの頃の先輩は怖かった。今思い出すと、ものすごく怖かったなあ。しみじみしながらそう言うと、阿部くんは、はあ、と曖昧な相槌を打った。

「アイツが誰かに肩預けるなんてな」
「ちょうどケアサポートメントの勉強でマッサージの訓練してたから、多分練習台になってくれたんですよっ」
「ますますありえねー……」
「阿部くんは、先輩のこと嫌いです?」
「大嫌いだよ。つーか、お前、アイツに余計なこと喋ってねえだろな」
「余計なこと?」
「オレのこととか」

この前アイツんトコの試合見に行った時に話したようなこと!阿部くんの言葉に、わたしはしばらく、滑りながら考えた。ここ最近の、先輩との会話を思い返す。相変わらず顔をしかめている阿部くんに、すぐ「喋ってないです」と返すことが出来た。

「阿部くんの話題、今まで一度も出たことないですね」
「…………あそ」
「あ、あれ。わたし、何か……阿部くん、怒ってます?」
「怒ってねーよ」
「そうですか?──あ、でもそういえば、あんまり野球部の話題とかにもならないですね……」
「あ?じゃー何喋ってんの?」
「え、げ、ゲームとか、映画とか、漫画とか、音楽とか、お菓子とか?」
「フツーじゃん」
「普通ですよ?」

阿部くんは一体、先輩を何者だと思っているのだろう。そう自問して、大体想定出来てしまうという事実が、榛名先輩は罪深い人だと思ってしまうところなのである。あの人はあの人で、結局野球することが生き甲斐みたいになってるからなあ……。先輩がゲームセンターに行くという事実で驚愕した去年の夏を思い出す。行ったことのなかったわたしは慣れないゲームに苦戦していると、横から馬鹿にしたような笑いが聞こえたものだった。──目を見開いて『びっくり』している阿部くんと、自転車の部員さん達が部室へと着替えに入り、マネジのわたし達も着替えなければならないので、野球部部室のお隣さんである、ストバス部部室の扉をノックする。こんこん、と軽く2回叩くと、しばらくもしない内に、中からそよぎちゃんが出てきた。ピンク色のポッキーをくわえている。

「あ。斑じゃーん」
「さっきぶりっ。今日も中、お邪魔して、いいかなっ?」
「いーよ。てかまだあたしとヒヨコしか来てねんだ。しのーかさんもどぞ?」
「あ、ありがとうっ」
「お邪魔しまーす」

毎度のことながらも律儀にお辞儀をして中に入る千代ちゃん。入るとお色直し中のひよこちゃんが「斑ーっ!」と。抱きついてきて。これも日常。「あたしに会いに来てくれたのねっ!」はしゃぐひよこちゃんと冗談混じりのポッキーゲームをしながら、わたしは練習着(汗かくからもうアンダーだけ買って、下はハーフパンツ)に着替えた。ちなみに甘党なひよこちゃんの好みはつぶつぶ苺である。ていうか思いっきりミニスカ制服のひよこちゃんは、一体何故ストバス部に入ったのだろう。今度は千代ちゃんに絡みつくひよこちゃんを指さしながらそよぎちゃんに尋ねてみると、曰く、マスコットガールらしい。「行かないでー」と泣きまねをするひよこちゃんをそよぎちゃんに泣く泣く託して、わたし達も外に出た。部員さん達が丁度チャリに跨っているところで、目が合った水谷くんが「こっちこっち!」と手招きしてくれる。

「お、お待たせしてごめんなさいっ」
「ごめんねっ、遅れて」
「ううん、オレ達も今着替えたとこなんだよー」
「大方、小雀に捕まってたんだろ」
「ていうか、ひよこちゃん」
「え、青乃ってストバス部なのか?」
「マスコットガール」
「は?」

花井くんが首を傾げて、とりあえず皆は自転車で、わたしはローラーブレードで、千代ちゃんは水谷くんの後ろに乗っけてもらって、グラウンドへ向かう。今日はアップが済んだらバッテリー担当のわたしはしばらく調子を見て、その後は内外野陣と合流して、連携の確認と送球の徹底。バッティング練習の間は監督さんと、この前の練習試合と今週までの課題発掘。……もんもんと思考しながら滑っていると、栄口くんがハンドルから片手を離して、わたしの肩に軽く触れる。ん?と、見ると、ほっとするような笑顔である。片手運転のまま栄口くんはその手のひらに紙で包まれた小さな四角い何かを乗せていた。……この匂いは、チョコレートだ。わたしは確信していた。

「相内、チョコ食う?」
「え。何チョコ?」
「明治のブラック」
「食う!」

「女の子が食うとか言っちゃ駄目だよ」と苦笑しながらも渡してくれた栄口くんにお礼を言って、公道を横切る最中だというのにわたしはすぐさま包み紙をはがして口の中へと放り込んだ。コリ、と、軽く噛むと、じんわりと溶ける、少し苦めの甘み。

「あはは。幸せそうだね?」
「チョコレートは幸せの味だよっ」
「おいしーよね」
「ね、ねっ!」
「あ!栄口が餌付けしてるっ!」
「相内が餌付けされてるー」
「してないよ!」
「されてないよっ!」
「相内。チョコ好き?」
「好き!ですっ」
「栄口は好き?」
「好きですっ」
「えっ!?」
「チョコくれる人は好き?」
「大好きですっ!」

「力説かよ!」と突っ込む泉くん。
「オレ明日からチョコけーたいする!」と田島くん。
「しっかり餌付けられてんじゃねーか」と阿部くん。
「おっ、オレ、にも、チョコ……ほし」と三橋くん。
「マーブルならオレも持ってるよー」と水谷くん。
「チョコ?決め手はチョコなの?食い物なの?」と栄口くん。
「セブンでもうチョコアイス売ってたよねっ」と千代ちゃん。
「虫歯なっちゃうよ」と沖くん。
「チョコ食べると集中力が上がるんだよね」と西広くん。
「相内はアポロの新商品、もう食べた?」と巣山くん。

そして。

「お前らっ、広がって進むんじゃねーよ!縦に一列で並べっ!」

というのが、
我らがキャプテン花井くんだった。
管理職って大変だよね。

こうしてまた、汗を流すのです。