黒くて長いさらっさらの髪の毛。まっすぐに伸ばされたそれからはふんわりと優しい花の香りがする。その黒の間で映える赤色のカチューシャ。白くてきめ細かい肌。一見すると魔女でも連想させてしまいがちなその風貌はしかし、小綺麗に、そしてイマドキのファッションに身を纏っているせいか、《面倒見よさげなお姉さん》にすら見えてしまうから、おしゃれというのは偉大なのだとか。すっきりとした紺のストレートデニムのパンツと対照的にゆったりとした黄色い七分袖ニット。『私服校って素晴らしい』を語るは西浦高校の1ねん9くみ情報塔、園田聖と書いて、そのだひじりちゃん。わたしはひじりちゃんと呼んでいる。
「ねえ斑。合コン行かない?」
そんなひじりちゃんは休み時間、浜田くんの席の机の上に腰掛けて、相変わらず携帯電話(ピンク)を開いてカチカチとせわしなく指を動かしながら顔はわたしに向けていて、そのようなことを聞いた。わざわざ机の上に座らなくても普通に着席すればいいのにだとか、ディスプレイ見なくてそんな高速メール打ち出来るのは異常だとか、そもそも合コンってなに、だとか。そのような意見や質問は、ひじりちゃんには効果を成さないことは百も承知の事実だったので、わたしはいくつか彼女に吐き出しそうになった言葉を飲み込むのに時間がかかり、かかったせいでしばし沈黙になってしまった空気をなんとなく気まずく感じてしまう。ひじりちゃんを見ると、ひじりちゃんはとてもイキイキとしたような笑顔でわたしの返答を待っているのだ。これはいわゆる《時間が経てば経つほど》シリーズの一種で、このひじりちゃんからのお誘いへのお返事次第で、わたしはKYだと認識させられてしまう恐れがあるというプレッシャーというか重圧というか(どっちも一緒だ。わたしは今混乱している。)、とにかくそんな感じで笑みがひきつったままひじりちゃんを見つめたまま迷っていると、キィ、と隣の席から控えめな音がして、田島くんと一緒に三橋くんの所へしゃべりに行っていた泉くんが帰ってきたのかと思って見たらその席にはしころちゃんが無表情で着席していたのだった。
「しころちゃん」 「あれ、錏。錏も合コン行きたいの?」 「……聖。斑が困る。から、そろそろ諦めた方が。……いい」 「えー。だって一回連れて来てって、写メ見せたら頼まれたんだもん」 「えっ、ちょ、ひじりちゃんアレみせたのっ!?」 「うん。見せた見せた」 「……騙し撮りしてた、アレか」 「失礼ねぇ、騙してないわよー」 「……寝起きがけに『はいチーズ』……は、卑怯だと思う……。斑も、そう思う……」 「だってそれはー。斑写真撮らせてくんないし」 「だってそれはー。ひじりちゃん、悪用するんだもん。他の子とは撮ってるもん」 「しないわよう」 「今してるからっ!」 「……可哀想に」
広いおでこを惜しげなく晒して、前髪は真ん中で左右に分けられている。茶に金がところどころ混じっていて、毛先まで丁寧にパーマがかけられてふわふわのクリームをイメージさせる。表情の変化が乏しいという難点でさえその落ち着いた雰囲気の容貌と相まって、きゃあきゃあと騒いでいたわたしたちよりも大人びているようにも見えるけれど、実際当人にとっては終始一貫して眠気と気だるさを保持しているだけなのであーる。──霞野に錏と書いて、かすみのしころ。しころちゃんと、わたしは呼んでいた。ひじりちゃんとしころちゃんは仲良しさんらしく、席も廊下側の一番後ろの横2列をキープしている。休み時間はちょくちょくこちらにやって来てお喋りをし、時たまひじりちゃんはわたしを合コンに誘ったり、しころちゃんがなだめてくれたり、まあそんな感じで絡んでもらっていた。そよぎちゃんはストバス部の集まりがあるとかで教室を出て行くことはしょっちゅうで、基本はこの3人で固まって時間を潰したりしているのが、最近の日常なのだった。
「ねぇ斑」 「なぁに?」 「斑のメアド売ってもいい?」 「……ひじりちゃん」 「……聖」 「だってぇー」
むすーっ、と拗ねたように唇を尖らせるひじりちゃんは、大人びた外見にも増して可愛らしい。可愛らしいけれど、却下である。ひじりちゃんは相変わらず携帯をカチカチしていて、「ごめんやっぱ売れない……っと」どうやらオコトワリのメールを打っていたらしかった。しころちゃんはそんな様子を呆れたように、むしろ面倒くさそうに見ていて、ひじりちゃんが送信し終えたのを確認すると、自分のお役目は果たしましたとばかりに顎から机上に落として頬を付けた。その眠そうな瞳には、わたしとしころちゃんとその他のものはトリミングで約90゜ほど回転されて映っていることだろう。
「うーん。ねえ斑、どうしても、ダメ?」 「聖、諦めろ。……それに斑は、部活で忙しい。……毎日頑張っている……んだ」 「──むぅ。わかったわよ。斑、休日とか、連絡してね?暇な時、遊ぼうねっ?」 「う、うんっ。遊ぼうっ!」 「カラオケカラオケ〜!」 「しころちゃん、ありがとうっ」 「……べつに。……あれを止めるのは、私の役目だから。……めんどい」
ふああ、と、右頬を机に付けたまま、大きくあくびをするしころちゃん。生理的なそれで、ブラウンの瞳が少しうるんだ。本当に何もかもやる気がなくて面倒くさそうなしころちゃんだけれど、面倒くさそうにしながらもいつもちゃんと止めに入ってくれるしころちゃんは、優しい人だった。いや、だからって毎日わたしを合コンに誘ってくるひじりちゃんが優しくない人だって言うわけじゃあないけど。
「だって斑って毎日部活だからさぁ、学校の外じゃあ中々遊べないんだもん」 「……ひじりちゃんさえ良かったら、部活、終わってからとか、どうかな?」 「え、夜?」 「うん、基本夜。バイトあるから行けない日もあるんだけどね……って、あの、ひじりちゃんが良かったら、なんだけどっ」 「──ううん、平気。全然いける。ありがと」 「わたしも、ひじりちゃんと遊びたいから。しころちゃんとも、ねっ」 「……たまになら」 「うんっ!遊ぼうねっ!」
あくまで体勢も表情も動かさないしころちゃんだけど、笑いかけると微かに微笑んでくれた。
「相内、それ何?」
しっかりした性格のわりに何故か忘れ物の多い泉くんは、今日は国語の教科書を忘れてしまったようで、チャイムが鳴ると隣の席で窓際のわたしの机に自分のそれをいつものごとくくっつけ、我がもの顔でわたしの机の中からわたしの国語の教科書を引っ張り出し、我がもの顔でページを開いて真ん中に置いた。やれやれいつものことなので大して気にせず、わたしはノートを取り出してペンで書き込む作業を続けていると、泉くんは「それ何?」と聞いてきた。わたしが開いているノートの内容が国語で今やっている小説のそれではないと気付くには、充分すぎる至近距離。窓際のわたしに為す術なし。敢えなく無念。みたいな。気を取り直して、わたしは小言で「お勉強ノートだよ」と囁いた。
「お勉強?国語じゃねーじゃん」 「国語はいいんです。わたし頭いいから」 「おまえ最近開き直ってきてねえ?」 「え、えへっ」 「可愛くねえ」
……がーん。
「い、今のはへこむよっ……」 「あー、ウソ。ウソウソ。可愛い」 「なんかそれこそ嘘っぽいなあ!」 「はいはい。で、じゃあ何の勉強よ」 「筋肉です」 「は?」 「筋肉です」 「…………」
泉くんが冷たい目でわたしを見た。 言っておくけど、別に勉強のし過ぎで頭おかしくなったわけではない。断じてない。
「この前、武蔵野の試合見に行ったじゃんっ。泉くんも榛名先輩、見たよね?」 「見たよ。スゲかった」 「うん。で、先輩は脱いだらスゴイ身体をしているの」 「…………は?」 「それで、1年生のわたし達に筋トレは難しいかもしれないけれど、やっぱり骨格筋の能力の維持向上・肥大はすべてのスポーツへの単純なパワーアップに繋がるしねっ、なんとかキツくなくて1年生にも無理なく出来るようなトレーニング方法を夏大に向けて考えておこうかなって思って、じゃあまずは筋肉と筋肉トレーニングについての身体影響と精神及び肉体への負担効果についての考察を……」 「いやいやいやいやいや、相内」 「へ?」 「ちょっとタンマ」
右手を突き出して『ストップ』のポーズの泉くん。言われた通りに黙って、とりあえず泉くんが口を開くのを待つことに。泉くんは自分で真ん中に置いていた教科書で何故か自分の顔を隠し、その後目元の位置まで下げ、視線だけをわたしと合わせて、「えーっ、と……」とどもった。微妙に見える頬が、少し赤かった。
「ぬ、脱いだらって……」 「へ?ああ、ハダカってこと」
バサッと音がして、泉くんを見た。 顔の位置まで上げていた教科書を膝の上に落としていた。ページが少し折れている。……わたしの教科書……。
「…………あのさ」 「うん?」 「お前と榛名サンって、やっぱソーユー関係なのかよ」 「ソーユー?」 「だからそのっ……」
「脱いだとか、ハダカとかさぁ……」茹でダコ状態で言い辛そうにしている泉くんの表情と物言いで、なんとなく言いたいことがわかった。
「あー、えっと──単に、筋トレの話してて。監督さんが、筋トレのメニュー決めるのに悩んでたみたいだったから。力にね、なれないかと思って」 「……ふーん。でもわざわざ脱ぐんだ」 「それは先輩が勝手にっ!わたしもびっくりしたんだよっ!」 「で、『先輩』の筋肉はどーだったよ」 「すっごい綺麗だった……!」 「死ね」 「ええっ!」
死ねって言われた!背中を向けて一人ショックを受けていると、当の泉くんは言いたい放題言ってすっきりしたようで、もうなにくわぬ顔で「筋トレねえ」とノートを覗き込んで呟いてきた。
「中学ん頃フツーに筋トレあったけど、とにかく腕立てや腹筋やスクワットで。すげーキツかっなぁ」 「自重を利用するフリーウェイトって、無理しない程度に鍛えるには代表的な方法らしいんだよ」 「んー……。相内もやってみたら多分分かるけど──地味にキツいし。つまんねーし。……まあ、必要な事ならやるけどさ」
ぷい。と、顔を前に向けてしまった泉くん。教壇に立ち孤軍奮闘する教師の話を聞く気になったわけではないらしく、黒板の字を書き写しながらもシャーペンを握るのと逆の手は暇そうに消しゴムを弄んでいた。……バーベル・ダンベル・マシンまたは自重などを使い筋肉に負荷をかけ体を鍛えるトレーニング、主に筋力の向上を目的とするトレーニングを総称してウェイトトレーニングという。そのウェイトトレーニングによる筋力アップの基本理論となるものが一般に《超回復》と呼ばれるものである。筋肉は、通常時では受けない強い負荷を受けると、筋肉を形成する筋線維の一部が損傷し疲労状態となり、一旦筋力が低下する。その後およそ36〜72時間で元の水準まで回復したのち、再び同様の負荷を与えられた際に備えて元の水準を超えて筋線維を成長させようとする性質を持つ。この現象を、超回復という。過負荷からおよそ48時間〜96時間が超回復期間とされ、この間は過負荷を受ける前よりも筋量・筋力が向上している。その後何もしないと再び元の水準に戻ってしまうけれど、期間中に再び筋肉へ過負荷をかけてやることを繰り返すと、徐々に筋量・筋力をアップし続けていくことが出来る。らしい。尚、ウェイトトレーニングを実施するに至ってはいくつかの原則なるものを意識して行わなければならない。漸進性過負荷の原則、継続性の原則、特異性の原則、個別性の原則、意識性の原則。──要するに、トレーニング様式によって特異的に成長していく筋肉は、毎日続けて少しずつ、それぞれ自分に合ったトレーニングによる効果を意識して行える、且つ団体的で孤独感なく、楽しく行えるようなものを考えればいいということだ。……うーん。あるのか、そんなの。あの監督さんなら、何か思いつくだろうか。
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