振り連載 | ナノ



 020



「あ、相内だ!」
「おかーりー」
「た、ただいまっ」
「メシ食おー!」

グラウンドに戻るとお弁当のつつみを片手にわたしを指さす田島くんが一番に目に入って、それからコンビニ袋を下げていたりパンの袋をくわえていたりで部員さん達と千代ちゃんがいたりして、わたしも座って、ミスドの箱を膝に置く。「ドーナツっ!?」目を輝かせて、隣から覗き込んでくる田島くん。わたしの肩に顎を乗せて、中を見ようとしているようなのでケーキ屋の箱と同じ仕組みのそれ開いて、田島くんに見えるようにする。後ろからは水谷くんが逆の肩に顎を載せている。……なんで2人とも、顎?

「すげーうまそう!!」
「い、いっぱいあるから……よかったらどうぞ」
「でもこれ、オールドファッションの数が他と比べてハンパないね……」

オールドファッション5個。
エンゼルフレンチ2個。
ダブルチョコレート3個。
ハニーディップ、キャラメルアーモンドリング、それぞれ1個ずつ。
半熟ハムエッグパイにチーズマフィンをデザートとして、カプチーノシェイクを飲み物に。
占めてお値段、2,077円(税込み)ナリ。

「え、オレらももらっていいの?」
「リッチドーナツまであるー!」
「オレ ホイップクリームついてるやつもらいーっ!」
「あっずりぃ水谷!」
「パイ食う、パイ!」
「オレ ハニーディップな」
「私ダブルチョコレート!」
「ちょ、相内の分のこしとけよ!」
「お、おれ、オールドファッション!」

「三橋くん、だめぇーっ!オールドファッションは、全部わたしのなんだからぁっ!」

「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」

…………はっ!
思わず叫んでしまった。

箱に手を伸ばしかけていた三橋くんが、大袈裟でなくビクッと肩を震わせて、伸ばしかけていた手を、そぉーっと戻していった。我に返って見てみると、三橋くんは涙目だった。更に見ると、既に好き自由ドーナツを手に取っていた皆も固まっている。

…………。
オールドファッション美味しいもん。
これさえあれば生きていけんだもん。

それにしても沈黙の野球部をどうにかしようと、とりあえずわたしは、ぐすぐすっといい感じにしょんぼりしている三橋くんの肩を慰めるように叩いた。叩いて、ミスタードーナツの箱の中身を三橋くんに見せるようにする。

「──ほ、ほら三橋くん泣かないでっ。ダブルチョコレートあげるからっ!」
「う……うひ、」
「結局1つもやらねえのかよ!」

泉くんが突っ込んで、
気まずい空気は払拭される。
そんな感じで、食事開始。

うまそう。
いただきます。


「相内。榛名と何話したんだ?」
「へ……え?」
「残って話したんだろ?」
「あ、うん、二・三言。結局わたしを怒鳴りたかっただけみたいで……」
「なんじゃそら」
「ていうか、阿部くんも残るよう言われてたんだね?」
「…………」
「阿部くん帰りましたよって言ったら球場外に消えて、わたし置いてけぼりにされたから無断で帰ってきたわけなのです」
「……そら、悪かったな」
「いえ、逆に助かりました」

いただいている途中の会話。
わたしは3個めになるオールドファッションにかじりつき、今度千代ちゃんとミスドでポン・デ・リングを食べる約束を取り付けていたところに、さっきから聞きたくて我慢していたのが限界になったのかのような顔をした(どんな顔だ)阿部くんが尋ねてきたのだ。──阿部くんを探しに行くことによって榛名先輩がわたしを置き去りにしたことは、結果的に言えば本当に助かったと言っていいほどだった。あのままじゃグラウンド整備やダウン終わるまで待たされた上に、こうして顔を付き合わせミスタードーナツを食べる相手が傍若不尽のわがままな年上になってしまうところだったのだから。別に先輩が好きとか嫌いとかそういうわけではないけれど、昼間の楽しい食事の時間、共にするなら野球部の人達を取りたいところ。

「ていうか、相内って榛名サンと付き合ってるの?」
「付き合ってないです」

栄口くんの恐ろしい質問に即答。
あんな人と付き合えません。
毎日が戦争です。むしろ命日です。
第一、あっちだって多分、オコトワリな筈だ。かっこいいからモテるだろうし。あ、そういえば前に、好きな人がいるとかいないとか聞いたようなことがあったような気がするなぁ──「ふーん」と頷いた声は何故か多くて、見ると先程まで思い思い好きな相手と自由に会話していた部員さん達や千代ちゃんがわたしと栄口くんの方を向いていて、ああだから恋愛とか嫌なんだよねと投げやりに思った。4個めのオールドファッションを食べ終わってラストのスパートで食しに入ると、泉くんが「よく飽きねーよな」と少し呆れた顔をして言ってきた。そんな泉くんは半熟ハムエッグパイを美味しそうに食べている。…………、半熟ハムエッグパイ。半熟ハムエッグパイ。半熟ハムエッグパイは、黄身がとろりと半熟の目玉焼きとハムを包んでハムエッグ風にこしらえたパイで、そよぎちゃんが言うことにはボリューム満天なのだとか。これはそんなに甘くないし誰か食べるだろうと思い購入したものだけれど、こうして改めて見てみると、なかなか、おいしそうである。

「……おいしそう……」
「ん、コレ食いてーの?」
「食いたいです」
「正直だな。……ほれ」
「んっ?」
「一口やる」

その意味をあまり深く考えてはいないだろう泉くんのお誘いに、というか誘惑に負けて、今だけはその鈍感さに甘えることにする。わたしは正面に位置する泉くんのところまで身を乗り出して、差し出してくれたパイを一口かじった。ちょうど半熟タマゴのところ。とろり、と口の中で溶けた。────これは、

「……おいしぃー……!」
「189円は惜しくねーよなー」
「あっ、泉くんもこれ、食べる?オールドファッション、美味しいよっ」
「……もらう。つーかそれ、好きなんだ?」
「うんっ。ドーナツの中では、一番好きかな。泉くんの食べたパイはね、そよぎちゃんのオキニなんだよっ」
「へー……んじゃ、一口」

今度は泉くんが近付いて、わたしの差し出したオールドファッションを大きく開けた口で、ぱくりと。おお、わたしの一口とはスケールが違う、みたいな。もくもくとおいしそうに咀嚼する泉くんもやっぱり男の子なんだなぁと再認識なのだった。泉くんは咀嚼していたしわたしは再認識させられていたので、隣からの「ずっりー!」との声に一瞬反応が遅れた。隣を見る。わたしを見て声を上げたのは田島くんだ。

「泉ずるい、相内オレにはくんなかったのにー」
「田島のは強奪だからな」
「ゴウダツ?」
「あ、田島くん強奪っていうのは──」
「わざわざ教えなくていいよ」
「なんだよ泉ー!相内おしえて?」
「う、うん。あのね強奪ってのは──」
「教えなくていいって!」

田島くんの学力向上に協力してくれない泉くんだった。田島くんは、難しい言葉の意味がわかっていないところがあるから、日常としてボキャブラリーを増やしておかないといけない。考査で痛い目に遭うからだ。昔のかなめちゃんがそうだったから、その致命的な欠点の重大さがわかる。

「オレ、もードーナツ食っちゃったもん。だから相内一口くれないんだろー?」
「うん、そりゃあ」
「泉ズルいぃー!」

わめく田島くんにかわす泉くん。2人のやりとりを見ながら、わたしは最後のオールドファッションを食べ終えた。飲み込んだ。一連を見ていたらしい阿部くんに「お前案外ケチだな」と言われた。でもオールドファッションは譲れなかったのだ。


「…………え、」

沖くんと花井くんがピッチャーを……?そう聞き返すと「聞いてなかったわねー」と監督さんに笑顔で睨まれた。

「ごめんなさい……」
「何か考え事でもしてたの?」
「いえ、お昼寝です」
「立ったまま!?」
「はい。ごはん食べたら眠くなります」
「…………」

沈黙の監督さん。
あ、これは初めてかもしれない。
気を取り直したらしい監督さんの説明によると、これから毎週ある練習試合、1日2試合をやり抜くために投手経験のある沖くんと花井くんを控えにするらしく。まあ、いくら何でも三橋くんに全試合完投させる方法は選ぶべきではないけれど。

「三橋くん、嫌がりませんでした?」
「してたけど了解済みよ。ホラ!」

促された視線の先。
投球練習をする三橋の背中にある『1』を見て、なんとなく状況を察した。……あれ、イジメだと思われないだろうか。

「さて。そんなワケで、田島くんも控えキャッチャーになったから私ブルペンの方で指導しなくちゃいけないのよね」
「あ、ならわたし内外野ですか」
「うん、お願いね!今はバッティングやってるけど球使い切ったらみんなで拾いに行って、それからキャッチボール。終わったら内外野間の送球練習を徹底的に」
「はいでーす」

指示を確認して、手首のゴムで邪魔にならないよう髪の毛をくくる。時間を見ると、もうそろそろ練習球がなくなる頃合いだ。グラウンド全体を見渡すと、ころころと転がっていく球がほぼ絶え間なく、あちこちに落ちているのが多数。わたしはバッティングのゲージに近付いていって、声をかけることにする。見ると最後の一球を巣山くんが綺麗にライト前に打ち上げたところだった。

「れっ、練習球なくなったから、みんなで拾いましょーっ!あとっ、ゲージも片付けましょーっ!」

うーす、と男の子達の返事が返ってきて、ちょっと赤面。なんか照れる。直前まで打っていたのか少し息を切らした水谷くんがゲージを押しているので、手伝いに走る。

「あ。ありがとー」
「うん、あの、お疲れさまっ!」
「ありがと!ね、相内最近声おおきくなったよね」
「ほんと?」
「ほんと!オレ休み時間とか相内が廊下にいるとすぐわかるよ」
「え、えへ。かなめちゃん、好き……」
「ほんと仲良いよなー、あの橘が笑顔なんだもん」
「おかしいの?」
「おかしーよ!教室じゃ全然笑わねえもん!」

縦になったゲージを押して倉庫まで運びながら、水谷くんは声を上げる。わたしにはどうしてそんなに力が入っているのかがわからなくて、首を傾げる。派手だとか不良だとかは色々言われているかなめちゃんだけれど、笑顔はよく見せてくれている。通常はニヤリと意地悪するような笑み、たまにふわりと、綺麗な微笑み。楽しい時には本当によく笑う子だよ。そう言えば、水谷くんは「それは相内にだけだと思うよー」と言った。ゲージを置いて倉庫から出ると、部員さん達が身を屈めてたくさんある球を拾い集めている。わたしもそこで球拾いに混ざろうとすれば良かったものの、話の内容が内容なだけに、というかかなめちゃんのことなだけに、わたしは柄にもなくムキになって聞き返した。

「でも水谷くん、ひよこちゃんは?ひよこちゃんといる時は、きっとかなめちゃん、いつも笑ってるよっ」
「青乃?うん、笑ってるよ、割と頻繁に。けど、それだって相内のせいじゃんか」
「…………え?」
「だってさぁ、なんか似てるんだよね、相内と青乃」

「橘とじゃれてる時の様子が似てるっていうか、同じっていうか……」練習着に付いたゲージの土を払いながら、水谷くんは考えるようにして言葉を紡ぐ。出口の前で立ち止まっている水谷くんの背中は、まだ暗い倉庫の中にいるわたしからは眩しくて、よく見えない。声のトーンからしても、水谷くんは普通に喋っているだけなのだろう。何でもないような、普通の声。わかってる。わかっているのに、意味がわからない。どうしてわたしは、腹の辺りがずしりと、重くなっているんだろう。内蔵全てが腫瘍にでもなってしまったかのような居心地の悪さに、気持ち悪さ。重くて重くて、今すぐこの場から逃げ出してしまいたくて仕方がない。よくわからない。水谷くんの言いたいことも、この不快さも、まるで意味がわからなかった。

「相内?」

水谷くんの声がして、視界の先に水谷くんがいないことで、いつの間にかわたし自信がうつ向いてしまっていたことに気付く。映るのは明暗のついたコンクリートと自分の靴だけだった。そのことに気が付いて、ふと顔を上げた。様子からして水谷くんはこちらを向いているのだろうけれど、眩しくて表情がわからなかった。けれど、何故か水谷くんが近付いてくるのはわかる。少しずつ眩しい外の景色の面積が減っていって、わたしが元の薄暗さだけを取り戻した時には、目前に水谷くんの口元と首の辺りが映っていたからだ。そしてその僅かなパーツでさえ、すぐに見えなくなる。

「…………」

それはいわゆる、
いつものギューってやつで。
唐突にやって来るハグの時間。
少しは慣れてきたはずなのに、
その不自然。
その違和感。
わたしは戸惑った。

けれど、わたしを抱きしめている水谷くんの方が、戸惑っているように思えてしまった。ぎり、と締め付けられるような感覚。痛い。痛いのに。痛いのは嫌なのに。痛いから、離してほしいのに。

「………ご、ごめん」
「え、え──」
「──そんな顔、させるつもりじゃなかったんだ」

「ほんとにごめん」何故か謝られて、更にわたしは理解不能に陥ってしまう。──そんな顔?わたしは今、どんな顔をしていたんだろうか。顔の筋肉の感覚が麻痺して、自分で自分の表情がわからない。自分で自分の感情がわからなかった。こうして暗い倉庫の中、水谷くんに抱きしめられているというのに、わたしの脳内の中枢を占めているのがかなめちゃんだという異常さにも充分驚愕に値した。ただ、肩口のあたりに顔をうずめて、「ごめん」と謝りながらもどことなく親鳥に甘える雛のような水谷くんを見て、わたしは動くことが出来ずにいた。

やがて。
「──ごめんね」
と。
水谷くんがゆっくりと離れる。
外からの光が遮られている今、その表情はよくわかった。どこか不安気な、なぜか悲しそうな、瞳。わたしは「いいよ」と言って笑ってみせたけれど、それを見た水谷くんはますます顔をくしゃりと歪めるのだ。──鏡が欲しい気分だ。自分がどんな姿をしているか見れたなら、この不可解な心情にも少しは説明がつくかもしれないというのに。

「相内ー?水谷ー?」

外から泉くんの声が聞こえてきた。多分、球拾いが終わったんだ。なら次は、キャッチボールをしなければ。監督さんに頼まれていたことを思い出して、背伸びをして水谷くんの肩越しに外を見る。──眩しい。

「……練習、行こう、水谷くん」
「────うんっ」

練習着の半袖の裾をつまんで恐る恐る笑いかけると、今度こそ水谷くんは、いつも通り笑ってくれた。「行こっか!」笑顔でわたしの手を引いて、暗闇から連れ出す。その転身に唖然として、けれどすっかり元気な水谷くんを見る限りではわたしの顔も少しはマシなものになったのだろうと。

「あ、おせーぞお前ら!」
「ごめんごめーん」
「ご、ごめんねっ」
「……何してたんだ?」

わたしと水谷くんが手を繋いでいることはそう珍しい事ではないのだけれど、それでも泉くんは怪訝の眼差しを向けてきて、答えあぐねているわたしより早く水谷くんが「ヒミツ」と言って、わたしを繋いだままグラブを取りにベンチへと駆け足する。

「あ、ちょ、相内──水谷!」
「あ、あれ──……?」
「キャッチボールキャッチボール!」

わたしは泉くんの方を向いたまま、ずるずるずると踵を地に付けた体勢で引きずられることになるのだけれど、水谷くんはウキウキと何やらむしろ張り切ってさえいる様子だった。──まあ、やる気があるに、超したことはない、かな?

「相内っ、ひとり余るからオレとキャッチボールしよう!」
「──う、うんっ!」
「お、相内もやる気だぁ」
「マ、マネジだからっ!」