「森で時間くっちまったな」
花井くんが、紫色になった空を見上げてそう言った。森をぬけてしばらく歩き続けたものの次の村はまだ見えなくて、一行はひとまず足を止める。西広くんが、沖くんと阿部くんが集めてきてくれた薪を放射線状に重ねて置いていき、とりあえず火をつけようとしているのを見ていると、じゅっと染みたような感覚に身をよじらせる。伸ばしていた右腕をひっこめると、千代ちゃんが心配そうに眉を寄せた。
「斑ちゃん、大丈夫?」 「えっ、あ、うん」 「痛いよね、やっぱり。……ごめんね。私、戦えなくて……」 「へ、平気だよ!こんなの、ねっ!わたしはほら、ちょーっとだけ、鍛えてるしっ」 「うん……わ。やっぱりすごいね、この薬。結構深い傷なのに、もう消えちゃってる」 「さすがゲームだね」 「はい斑ちゃん。次、足出してくださーい」 「はあーい」
腕の怪我がすっかり回復して、大きな岩に腰掛けているわたしは片方の足を千代ちゃんに向けた。モンスターは決して強いものばかりじゃないけれど、歩けば歩いただけ現れるのでキリがない、という意味ではかなり厄介な存在であって、それが醍醐味なのだとかは、そよぎちゃんが言っていた。彼女はラスボスにあたる前にレベルを99にまで鍛える子だからだ。「この調子だとさあ」わたし達女子から少し離れたところにいる水谷くんが言う。「傷薬だけは常にもっと持っとかなきゃいけないよな」それには皆が頷いた。
「12人いるしなあ」 「ゲームだったら、ギリギリまで我慢させたりできっけど」 「オレら痛みあるしね」 「ダシオシミしてたらいけねーよな!」
確かに、実体であるわたし達には、擦り傷だって痛い。部活で慣れっこなのである程度は我慢できるけれど、攻撃による怪我は擦り傷だけではない。現に、例えばわたしの足から流れる血は、ぱっくりと横一線に裂けた皮膚から出ているものだ。薬を指につけた千代ちゃんがわたしを見上げて「ごめんね斑ちゃん」と言い、意を決したように、その指を皮膚の断面にあてがった。
「いっ……!」 「ご、ごめんねっ!すぐ、痛くなくなるから」 「ん……。はやく、おわらせよ……っ」 「ぬ、塗るよー」 「うっ、んあ、……あっ!」
ああ、心配してくれている、千代ちゃんに申し訳ない。頑張って痛みに耐えていると、向こうから「相内!変な声を出すな!」と振り向いて怒鳴り付けられた。人が声を出さないように、必死で口に手をあてて、身を丸めて、泣かないようにも気をつけて、耐えているというのに何て酷い叱咤なのだろう。花井くんってそんな人だっけ。と思った。は、花井くんの……いじわるぅっ!息も絶え絶えにそう叫ぶと「だから声を出すな!」と、血液が逆流したような顔をされた。何か怖かった。そして、りふじんだ。
「はい、終了でーす」 「ありがとう、千代ちゃん」 「痛くない?」 「もうすっかりだよ!」
名残で涙はまだ乾かないけれど。腕と足を曲げたり伸ばしたりして、本当にすっかり治っているのを確認すると、わたしと千代ちゃんは手を繋いで離れたところにいる皆のところへ歩く。皆は何故か、わたし達に背中を向けて腰を下ろした上にわたし達から距離をおいて、各々戦闘で傷ついたメンバーの手当てをしているのだ。いっぺんにやればいいのに。と思いながら、空けてくれた輪に混ざった。
「花井くんって意地悪だよね」 「ケガはもーいーのかよ」 「あれ?やさしい……?」 「殴んぞ。つか、お前もーしゃべんな」 「なんでっ!?」 「お前の声は凶器だ!」 「意味がわからないです……」
それも、なんか皆まで頷いているし。三橋くんがパンを配ってくれて、受け取ったわたしは、もう付き合いきれないとばかりにそれを頬張った。ああ、コッペパンだ。せめてチョコレートがほしい。村まで行ったらあると思うのでふんばりどころだ。
「日が昇ったら出発しようぜ。村探さなきゃな」 「火、ついたまま寝てダイジョブかな?」 「ヘーキだろ。オレらここで野宿するって決めてから、モンスター出ねーじゃん?」 「さすがゲーム……」 「そのへん都合よくなってんのな」 「製作者の都合だな」 「製作者とか言うなっ!」 「風呂入りてーなあ」 「阿部、魔法でシャワーとか出来ねえ?」 「まだ水鉄砲しか出ねー」 「ぶっ」 「水でっぽう!」 「つか、この本マジレパートリー少ねえよ」 「しのーか!アベって今レベル何?」 「えっとねー、7です」 「おー。まーまあいってんじゃん」 「おう。でも読める呪文ってまだ水鉄砲だけなんだよ。オイ相内、元の世界戻ったら改良しろよこの本」 「阿部くんがもっと頑張ればいいじゃないですか?」 「テメ」 「風呂ー!」 「うっせえなー水谷」 「はやく阿部レベル上げてよー」 「相内が外にコイン式銭湯とか作ってねえのが悪い」 「そんなの旅じゃないです」
さあ、 明日のために眠りにつこう。 とりあえず、村を目指して。
モンスターは様々な姿をしているけれど、ある程度はその地形に見合った性質を持っていることが多い。例えばはじまりの島に辿り着くまでの道は海に囲まれていたので現れたモンスターはほとんどが水魔だったし、森の中では昆虫系統のモンスターばかりだった。モンスターを倒せば血が出てそのまま息絶えるのかというと勿論そんなリアリティを追求している訳がなく、血は出ず普通に消えてくれる。「恐すぎるわ!」「スプラッタか!」と、そよぎちゃんとひよこちゃんが左右同時ツッコミをしてくれたお陰だった。……わたしって、ちょっと普通とは違うのかもしれない。そして薬草やお金を残すのである。というわけで、わたし達は結構なお金を獲得している。戦える人間が8人もいるお陰だった。けれど12人いるので、これからもあまり食事などにお金は割いてられなさそう。けど、まあ、ドラクエシリーズもパーティ制で成り立っているから、大丈夫かもしれないけれど。テリーでも、しもふり肉とか食べてたし、なあ……。
「あかねちゃんの、ごはんが食べたい……」
ぽつりと呟いて、やはり足を進めた。隣から、何か言った?と千代ちゃん。首を振って、笑顔を見せると十倍素敵なものを返された。前に視線をやると、サルのような外見のモンスターを杖でぶん殴る阿部くんが見える。千代ちゃんは本に視線を落としながら「花井くん9なったね」とか「巣山くん8だー」とか言っていたけれど、モンスターが消えた途端に「阿部くん!」と声をかける。
「お。レベル上がった?」 「うん、8になったよ」 「本見てみよ。おい水谷。お前ちったあ先頭出ろ」 「えー!オレむりだよお」 「女みてーな声を出すな……」 「水谷。オレも前行く。レベル上げたいから」 「沖ぃー!神!」
水谷くんをまるっきりシカトした阿部くんは分厚い本を開いて、その頁を凝視している。「お。やっと増えた。しかも2個」そしてぐりんと首を回して、わたしを手招きするので隣に並んだ。
「これ、何の魔法」 「わあ!やったね阿部くん、ついにL'Arc-en-cielに到達だよ!」
「ラルク!?」と耳のいい水谷くん。「阿部、ラルクのメンバー呼べんの!?」すげーすげーを繰り返す水谷くんを指差してわたしを窺うけれど、残念ながら答はノーである。ラルクのメンバーは呼べない。それは召喚師の仕事である。それにラルクはわざと呼び方を変えた名前にしていて、正しい読み方はラルカンシエル、である。
「ラルカンシエルとは虹の意味」 「……つまり?」 「おめでとう!虹が出せるようになったよ!」 「めでたくねえ!」
怒鳴られてしまった。
「どうしてっ?虹だよ?」 「虹が出たら何だってんだ」 「テンションが上がる!」 「ふざけんな!」 「えーっ。だって三橋くん、虹の根元には宝物があるって言うよねっ?」 「う、は、うんっ」 「だから何だと言う……!」
だっはー、と深い息を吐いて、何かを諦めたようにわたしと三橋くんを交互に見た失礼な阿部くんにもう一つの呪文は大量の水を相手にぶつけるカメックスのハイドロポンプみたいな感じの魔法であることを教えたけれど、「何かもう疲れたよオレは……」とスルーされた。
「あ、べくん、お、怒……」 「阿部くんはきっと、朝食がパンとリンゴだけだったのが不満なんだね……。和食派だもんね……。毎日朝はいっぱい食べて来てるもんね……」 「待て。お前何でそれを」
きっと。
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