「では、始めて下さい」
五木の模擬テスト。試験官の言葉と共に一斉に問題用紙をめくる音、解答用紙を表に向ける音が響き、カツカツコツコツとシャーペンが叩かれる。オレは周りが音を立てる中、数瞬だけ目を閉じて深呼吸をした。すう、はあ。息を吐くと肩が下がり、少々の脱力感。ちょっと力抜きすぎたかもなあと苦笑して、それからオレも解答用紙に自分の名前を書き、試験に取り掛かった。最初は数学。ざっと一通り問題に目を通すと、最後の問題以外はそんなに難しいとは思わなくて、とりあえず最初の計算問題に手をかける。基礎中の基礎問題。それほど時間をかけずに解き終える。次の問題は比例と反比例の応用問題。途中式がいらないので問題用紙の余白スペースに計算を走り書きして答えを記述する。次は図形の相似についての穴埋め問題。これはパターン化されているので機械的に埋めていく。次は。次は。次は。『まずは問題文を少しずつ式にしてみて下さい』斑ちゃんの言葉を思い出して、それに従う。ペンを動かす。滑るように動く。手に力はいらない。ダラダラと長い文章問題をスッキリとした式に変換して答えへの道がハッキリ見えた時、オレは思った。あ、オレ大丈夫だ。
「おお。なんか書いた覚えのある答えがいっぱいある……」 「オレは、オレって天才じゃねえのってぐれーの出来だった」
帰り道。電車に揺られてようやく地元にたどり着く。5教科全部を受けてきたので、マンションに着いた頃にはもう暗くなっていて、吐く息も真っ白になっている。オレと榛名は試験後特有の脱力感にみまわれて、コンビニで肉まんを買い食いしてダラダラと歩いて帰ってきたわけだった。そうするとちょうどエントランスのところに、見慣れた後ろ姿があったので、おーい、と声をかけてみた。振り向いたのは、やっぱり斑ちゃんだ。オレ達に会うためにここへ来たのに何をそんなに驚くことがあるのだろうか、わからないけど目を見開いて、瞬時に頬を染める斑ちゃん。ビクッと肩を跳ねたあと硬直しきった斑ちゃんに首を傾げながらも、オレと榛名は近づいていった。
「お前ジャマ。どけ」 「あ、ご、ごめんなさい」 「榛名、お前な……。あ、斑ちゃん、こんばんは。テスト終わったよ」 「こ、こ、こここっ、こんばん、は」
「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あきまる、さん」と斑ちゃんはいっそ清々しいほどにどもって、ぺこりとお辞儀した。エントランスのロックを解いて、先に入った榛名を追いかける。立ち止まったままの斑ちゃんにどうぞ、と招き入れて、3人でエレベーターに乗った。その際「お前は階段で行けよ」とかまた言い出すヤツがいたので軽く小突いたりなんかして。そして素直に従おうとする子がいたので必死に引き止めたりなんかして。
「まずは世界地理から。0度の経線が通っているイギリスの都市は?」 「ロンドン」 「地球上の位置を示すために赤道と平行に引かれた線」 「緯線」 「経緯線を利用した直線的な国境が多く見られる大陸」 「アフリカ大陸」 「水産・鉱物資源を沿岸国のものにできる、海岸から200海里までの水域」 「排他的経済水域」 「西アジアや北アフリカに広く分布し、礼拝や断食を義務付けている宗教」 「イスラム教」 「中国ね人口の約90%を占める民族は何という民族か」 「漢民族」 「中国では人口増加を抑えるため何という政策をとっているか」 「一人っ子政策」 「流域がコメの大産地となっている中国最大の河川」 「長江」 「朝鮮戦争で朝鮮半島は2つの国に分断されたが、北緯何度の緯線で北と南に分かれているか」 「北緯38度」 「植民地時代に、ヨーロッパ人が商品作物を作るために開いた大規模な農園」 「プランテーション」 「アメリカの先住民を何というか」 「ネイティブアメリカン」 「17世紀に奴隷とされた黒人はどこから連れて来られたか」 「アフリカ」 「アメリカには多くの人種・民族が暮らしているので人種の何と呼ばれているか」 「人種のサラダボウル」 「サンフランシスコの郊外にあって電子産業の集中している地域を何というか」 「シリコンバレー」 「ボストンからワシントンにかけて大都市が連なり、1つの巨大都市のようになっている。このような地区を何というか」 「メガロポリス」 「コカコーラやマクドナルドのように世界各国に進出し、多くの利益をあげている企業を何というか」 「多国籍企業」 「シェンチェン・チューハイなどにある外国企業の受け入れを進める地区」 「経済特区」 「高緯度地方では夏になると太陽が沈んでからも薄明るい状態が続くが、これを何というか」 「白夜」 「ベネルクス3国と呼ばれる国を答えよ」 「ベルギー・オランダ・ルクセンブルグ」 「EUの本部がある国と都市を答えよ」 「ベルギーのブリュッセル」 「EU最大の工業地域を何というか」 「ルール工業地域」 「EU最大の貿易港を何というか」 「ユーロポート」 「じゃあ歴史語句編いくよ。黄河流域で生まれた文明」 「中国文明」 「その文明で使用され、今の漢字のもとになった文字」 「甲骨文字」 「朝鮮や中国から日本に移り住み、文化や技術を伝えた人々」 「渡来人」 「663年、百済を救うために唐・新羅連合軍と戦い敗れた戦乱」 「白村江の戦い」 「701年、唐にならって作られた律令制度のもととなる法令」 「大宝律令」 「戸籍に基づき、6歳以上の男女に口分田を分け与え、死ねば返させる制度」 「班田収受法」 「聖武天皇のころの文化の名」 「天平文化」 「奈良時代の貴族や農民の和歌を集めて作られた歌集」 「万葉集」 「日本最初の征夷大将軍」 「坂上田村麻呂」 「10世紀の中ごろから藤原氏が行った政治」 「摂関政治」
おおお……。と、声にもならないけど感心してしまうほどの、即答。このまま最後までいっても同じだろうと、オレは問題を読むことを止めた。そして手にしたままのプリントをまじまじと見る。斑ちゃんのお手製プリント社会バージョン。一問一答プリント。斑ちゃんに勉強を教えてもらって、もう1ヶ月は確実に過ぎた。主要な3教科は今日の五木のテストまでにあらかた補強してもらえたけど、いかんせん目標は榛名を合格させることなので慎重に行わなければならないということで時間がかかり、社会と理科はまだほとんど手付かずの状態である。というわけで、今日からは副教科を中心に授業は進む。斑ちゃんはファイルからいそいそとプリントを取り出して、震える手でオレと榛名に渡してくれたのだった。
「これで一問一答するように、し、して下さい。せんぱ、い、ど、どうぞ」 「おー」 「あの、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あきっ、あきま、る、さん、あの、これっ……」 「ありがとう。……あのさ斑ちゃん。なんか最近、オレの名前だけやたら噛んでない?」 「えっ!?」 「オレ何かしたっけなあ」 「…………。…………。…………。…………。……い、いえ、あの、べ、べつにそんなことは……」
何かしたらしい。 全く覚えがないけれど。 ……何したんだ、オレ?
「あ、あの、気に、なさらないで、ください。気に、なるなら、何なら、わ、わたし、こ、ここから、き、消えます、けれど」 「いやいやいや」
相変わらず目茶苦茶自虐的だ。 せっかくいい子なのに。
「おお。消えろ」 「……さ、さようならっ」 「榛名!!斑ちゃん待って!」
ああ。 日常になりつつある、 こんな景色。 疲れるけど、どこか楽しい。
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